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息子家族と同居してから
一人暮らしの私が息子家族と暮らし始めてから、すっかり変わった私の暮らし。
何と言っても辛かったのは、自分の持ち物を、納得しながらも、半強制的に処分しなければならなかった。
引っ越してきてしばらくしたある日、今日は食器棚の整理をしようぜということで、中の物を全部出して、これは要るこれは要らないと分けて、要らないものはダンボールにいれていくことになった。
おかぁが残したいものは残せば良いんだからと言われていた。
でも、息子夫婦の考えと私の思いは違って、これは要らないだろうと、要らない箱に入れる物がどんどん増えていった。
どんどん要らないものに入れられる好きな器を見て、
私の心がついていけなくなって、もうこれ以上できないわと伝えると
たから、要る物は残せば良いと言ってるだろうという。
そうじゃないんだって!
ここに残ったものは、私が何回も選んで残っているものなんだよ。
人をもてなすのが好きだった主人は、よく蕎麦やうどんを打って、親戚や友人にふるまっていた。
なので、取り皿や、小鉢、大皿などたくさんあった。
やがて、主人の両親や、主人のお姉さん、周りの人が亡くなったりして、人が集まる回数が減って、それに連れ食器も少なくしてきた。
そのうちに
仲良しの友達夫婦との4人前の食器になり、主人が亡くなってから、3人前に減らして。
友達夫婦との食事も外に行くことが多くなって、ついに一人で使うお気に入りのものだけがよく使う場所に置かれるようになった。
だからといって全部捨てたわけではなく、思い出の物など捨てきれなくて、飾って楽しんでいた。
それを、息子であれ人の判断で、要る要らないと分けられることが、とても切なくなったのだ。
けど、気を取り直して、本当に辛い思いで捨てた。
そして、食器戸棚の中は、息子夫婦の好みの食器が納められた。
そんな感じで家の中全部が変わっていった。
自分が亡くなった後、こんなふうに何でも捨てられるのだろうなと、自分はまだ生きているけど死んだもの、居ない者として扱われているような感じがして切なかった。
そして、自分の部屋以外は居場所が無くなった。
息子家族は、日本での新しい生活にワクワクしながら、たくさんの荷物を持って越してきた。
私も、結婚したときは新しい生活に、ああしたいこうしたいと、夢を持ってスタートしたものだ。
なので、息子夫婦が暮らしやすいように、自分達のやり方で家を整える気持ちはよく分かっているつもりだ。
何よりも、孫達が落ち着いて暮らせることが一番大事と考えているので、息子夫婦のやり方に全部任せることにした。
こうして暮らしてきて、何ヶ月も過ぎていく間に気がついたことがある。
私は、結婚したときから主人の家族と一緒に暮らしてきた。
最初は義母と一緒に台所仕事をしてたけど、そのうちに全部任されて、それが当たり前のこととして食事作りをしてきた。
何か食べたい物はありますかと聞くこともしないで、自分の思うように作ってきた。
今、若い人達と暮らして、気がついたことがある。
食べる物でも、もっとさっぱりした物を食べたいとか、こんな味付けのものを食べたいとかあっただろうに、義両親は何も言わないで食べていてくれたんだなぁ。
毎日の暮らしでも、義両親は何にも言わないで私のやりたいようにやらせてくれていたんだなぁ。
息子家族と一緒に暮らしてみて初めて、義両親の心の広さに気が付かされた。偉い人達だったなぁ。
我儘な私が義両親と同居して、ぶうぶう文句を言いながら暮らして、それでも、おばあさんのお世話をし、おじいさんの時は楽しくお世話をして看取って、亡くなってから初めて同居したことで私が成長させてもらったことに気づいた。
私だけではなく、子供達にとってもおじいさん、おばあさんがいたことはとても良かった。
そして、立場を変えてまた息子家族と同居して義両親の生き方から勉強させて貰っている。
一人暮らしに慣れてしまった後の同居は大変で、落ち込むこともあるけど、逃げるわけにはいかない。
先人の良いところを見習って、自分も楽に生きていきたい。
私の人生勉強に終わりは無さそうです。
読んで頂いて、ありがとうございました。