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「銃弾に撃たれて、手足を切断した」ひとりの人間が味わった激痛をとどめる

先日、友人たちと「しょうけい館(戦傷病者資料館)」を訪れました。九段下駅からすぐの資料館です。

しょうけい館は、戦傷病者とそのご家族等の戦中・戦後に体験したさまざまな労苦についての証言・歴史的資料・書籍・情報を収集、保存、展示し、後世代の人々にその苦労を知る機会を提供する国立の施設です。

しょうけい館HPより

1階では春の企画展「残された言葉や声をたずねて」が開催されていました。そこには、戦争というものを生々しく語る言葉たちが並んでいました。

銃撃を受けた瞬間、傷口に手を当てたところ指が患部に入っていき、意識不明となった

この方は頭部に銃弾がかすめ、21日間の意識不明状態の後に奇跡的に一命をとりとめました。ですが、亡くなるまで左半身麻痺とてんかんという後遺症に苦しんだそうです。

どうして弾が当たった時に死ななかったのか。
この世は地獄だ。

戦闘中に銃弾が右脚をかすめ、左脚を貫通。その後左脚を根元から切断する手術を受けたそうです。切断した脚の激痛に悩まされ、この世の地獄という程の苦しみから解放されたのは、効果のある鎮痛剤が手に入ったとき。既に受傷から60年近く経ってからでした。 

世の中にこんな痛いことがあるだろうか。

ニューブリテン島(ラバウル)にて敵機の爆撃により左腕を受傷した水木しげる(武良茂)さんが当時の痛みを綴った言葉です。あの「ゲゲゲの鬼太郎」の作者の水木しげるさんです。出血多量で翌日には左腕を切断されました。

戦時中に地獄のような苦しみを味わった人。
たとえ生き残ったとしても、一生傷の痛みや後遺症に苦しみ続けた人。
一人ひとりの顔写真やプロフィールと共に綴られた言葉には思わず顔を歪めざるを得ませんでした。

なぜか、わたしにとってはTVやSNSで見る映像よりも現実味のある感じがしました。

「これが自分の家族のことだったら?」と考えたとき、
一人でもこんな目にあってほしくないよなあと、
何を今更というくらいあたり前のことを思いました。

ただ、こうした一見あたり前のように思えることが、
「みんなにとっての最優先事項か」というと、
決してそうではないんだなということを、ロシアのウクライナ侵攻にあたって学びました。

一人ひとりの生命よりも優先されるものがあるという価値観があることは頭ではわかるものの、今回の展示を見て、わたしにとっては大義名分よりも人命が大事なのだと改めて思ったのでした。

しょうけい館は1階の企画展と2階の常設展があり、情報がもりだくさんで、見せ方も工夫されています。近くに行くことがあれば、ぜひお立ち寄りください。(入館料は無料です。)

1階には図書閲覧室があってそこで水木しげるさんの自叙伝的な漫画や、「私の履歴書」が読めるのですが、これがおすすめです。水木しげるさんの人生は、まるで漫画のような、驚きが満載でした。

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