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演劇から離れてしまった人の断絶/救済

 いつもこういう演劇の感想とかはX(旧Twitter)で書くのですが、多分文字数が足りなくてとんでもないことになりそうなので初めてnoteを書いてみます。

※注意 このnoteは2024年度高崎経済大学演劇研究会三扇祭公演「Platform」のネタバレ、更には独自解釈や深読み、自分勝手な考察を含みます。演出の方や役者の方、演劇研究会の方々とは全く違う方向性の解釈をしている可能性が非常に高いです。また、自分自身がこれまで体験してきた経験や主観、偏見などによって偏っている可能性があります。さらに結構長いです。あらかじめご了承下さい。オコッタリキモガッタリシナイデネ‼︎

夏公演の話

 自分はこの公演を見る前に、夏に行っていたプレ公演である「Platform」も観劇しました。
 その時の感想としては、「重大な事故や事件が発生した際でも、当事者以外の人々は自分自身の都合や予定を優先してしまう」というような、自分の世界しか考えていない人々のグロテスクさや非常識さ、またそれが当たり前とされる世界の残酷さを、日常の一部である駅のホームを再現し、観客も舞台のの一部とする事でちら側に突きつけている、という感想でした。それはある意味で教訓じみていながらも、日常の風景でしかないという物悲しさ、無情さを誘うような舞台だったと思います。

夏の時


…が、今回の秋公演ではその印象とは全く異なった印象を得ました。

現実としての駅のホーム/舞台として"非"現実的な役割のホーム

 夏公演では現実のホームであるように感じていましたが、今回の三扇祭公演では駅のホームはあくまで「駅のホーム」を再現したものであり、「駅のホームを再現した劇を演じている人々」を演じようとしているのでは?と感じました。その理由としては役者の方々の台詞回しが不自然だったとかそういうのではなく(むしろ自然な雑談が上手かった)
・夏公演時よりも簡素に表現された駅のホーム
・雑談の中に含まれた「公園"この"公演って事?」という、公園と公演のギャグによる、第四の壁を破ったとも取れる発言(ただこれは役者のセリフを決めてないらしいから偶然出ただけかも)
・音響担当、演出が観客のすぐ側にいる
・駅のホームを崩壊させてから教室に戻った様子
・舞台が切り替わった後しばらく続いた役者の雑談
などから、「役を演じている、ということを自覚している人々」の役を演じているのではないかな、と感じました。これらの要素から、今回の舞台はリアルなホーム、日常の延長線上というよりかは演劇の場としてのホームを表現しているのではないか?そして、その舞台の上で「演技をしている人々」の演技をしているのではないか?と思いました。
 テクストに行う場所は「どこでも良い」と書かれている点や、パンフレット裏に書かれた「全てがある空間であり、何かがない空間だ」と記載されている点などもそれを示しているように感じました。

会場前に貼ってあったポスター

劇中の人々と我々の混在/断絶

 劇中に登場する人物は
・人々(雑談をしてる人達)
・車掌
・我々観客
の3組と、「わたしでありあなた」がいます。前述した通り人々は劇中でずっと喋っていて、その内容は本当に雑談(1日目は主に三扇祭の内容が多かった)でした。しかし、主演のSくんが務める「わたしでありあなた」はそれとは対照的に劇中でずっと黙っていて、観客以外の人々が消えた後にポツポツと話し出し始めます。彼のセリフは、友人が線から逸れてしまった(ない状態になった)ことに影響を受け、自分や他者の生(生活)を信じられなくなってしまっい、ある/ないの境界が宙吊りな状態の人物として描写されているように、劇中の様子やパンフレットの裏を読んで見えました。

 ただ、ここで言うある/ないと言うのは「生か死か」よりは「演劇」と言う行為自体のことではないか?と考えました。
というのも、今回の舞台は一見すると観客も演劇の一部である(自由に動いて良いと言われているし)と思われます。しかし、実際には遠慮や困惑もあり動けず、劇中には話せず、さらにはセリフによって線の内側まで下げられてしまう…こんな人達が果たして舞台の一部になれているか?と言われると疑問に思ってしまいます。あくまで観客の方々は観客であり、舞台からは隔絶した存在であるため、干渉が難しいゴーストの様な存在です(観客→役者の干渉は行わない、行えない、演劇で「ない」状態)。それと比べて役者の方々は自由に話すし、舞台に来た電車に乗るし、こちら側に頭を下げてくる(自分の友人の隣に座る時に頭を下げていました。)…と言った点から、舞台の一部である「電車に乗る客」としての役割を自由に演じられていたと思います(役者→観客の干渉は可能、演劇で「ある」状態)。そのため、我々観客と役者の差が如実に、残酷なまでに示されてしまいます。

 観客であるが故に演劇ではなく、観客でない(役者である)が故に演劇である。表面上は仲良く座っていたり立っていたりして見えますが、その内情は絶望感をひしひしと感じるほど断絶しきっています。
 その狭間にある状態として描かれているのが、「わたしでありあなた」だと感じました。
 劇の半ばまでは黙ったままだが、途中からこちらに向けてポツポツと語り始める。しかしその後には舞台から消えてしまい、その後二度と現れることはない。そんな彼こそ、演劇が「ある」状態と演劇が「ない」状態の狭間にある人と言えるのではないでしょうか。

 彼のセリフで言及される「点線の内側にある生活」と「その逆にもある生活」。片方から逸れたら元の内側に戻ることはできない。この内側にある生活こそが演劇がある生活であり、その逆にもある生活こそが演劇がない生活と考えると、逸れた友人(演劇がない→辞めた?諦めた?)は戻ってくることが無く、そして自分もまだある側から逸れて、ない側へ行ってしまう、というある種運命付けられた悲劇性を感じます。
 何故こう考えたのかと言うと、「わたしでありあなた」の役を演じたSくんが3年生である、と言うこともあるんですよね。もちろん、Sくんは多分これからも関さんの劇に出るだろうし、「ある」側に居続ける人だとは思います。しかし基本的にサークルでやっていた様々な活動は3年時までないし大学卒業と共に触れなくなるる人が多く、それは恐らく演劇でも変わらないでしょう。その「演劇から離れる人を見送り、自分も離れなくてはならない」という人間である可能性もあるからこそ、3年生であるS君が演じたのでは?と感じました。
 「わたしでありあなた」はそうして演劇ではなくなり、「ない」側になった「わたし」は「あなた(つまり観客)」となり、舞台から断絶され、演劇を見ることしかできなくなる…。そう言った物悲しい人々の悲哀を表現しているのではないでしょうか?ラストの机を並べて雑談をするシーンで「わたしでありあなた」が居なかったのは、彼が完全に「ない」側になってしまったことを示唆している様に感じました。
2日目を観劇した際は、例えば劇中で正座をして見たり、発車する電車に乗って見たりと、まるで劇の中の一部であるように振る舞っている観客が数名いました。これは一見すると演劇が「ある」状態になっている観客が多いように見えますが、やっぱり最後のシーンでに点線の逆側に押し込められてしまうため、真に内側に戻ることは叶っておらず、「ない」状態のままではないか、と考えます。

配布されたパンフレット

車掌がもたらす同じ目線と希望/救済

 今までの自分の考えですと、単に「演劇から逸れた「ない」人々は「ある」方にもう戻ることはできないよ🎵客と役者が一体化した様に見えた舞台の方式でもあくまで君達は隔絶されてるからね🎵」と言う悲しい結論を突きつけているのみに思えます。
ただ、「わたしでありあなた」が内側と生活の境界が分からなくなったり、関さんがこの舞台を「曖昧な状態」と表現していたり、「ここに登場する人は全てがあるし、何かがない。」と言っているように、全てはあるようでない状態や、あったりなかったりするという極めて不安定である状態になっているだけであり、一視点から見ると断絶している状態であると考えられます。
 ここを救済し、我々を「ある」状態に戻してくれるのは、「車掌」の存在では?と考えます。役者が演じる人々がお互いに話していて演技をし、観客は役者を見ているだけ。この不均衡で一方向からしか干渉できない状況を一変させ、視線を一つにまとめているのが"車掌"です。つまり、各々の状態を均一な状態にし、一体感を生んでいるのが車掌の役割なのではないでしょうか。私の愚鈍な頭では、車掌が何を示しているのかまではわかりませんでした。が、一体化することができる、という希望/救済の象徴が車掌なのではないか、と私は信じます。これは私自身が、既に演劇をしなくなってしばらく経ち、「ない」側で無くなっているため都合の良い妄想かもしれません。それでもこの考え方は、自分の中の「演劇」を無くしたくない思う1人の人間の最後の希望であり、救済をもたらしてくれるかもしれない最後の心の縁なのです。
 演劇からの断絶と救済。悲劇的でありながら、それでも救済を求めてしまう。演劇をこれまでやってきた我々の心理を突いてくるような劇でした。

全部お前の妄想では?本当によく見たのか?

まあ…はい…そうかも…(なので演劇研究会の人とか今回の公演に関わった人々に怒られたら消します…)

その他いろいろ

・途中で電気を付けたり消したりしたのは何だったんだ…?とは思ってしまいました。あれも演出の一環なのか、それともトラブルを回避するのでやってたのか…真相は謎である。→2日目に照明スイッチに触れないで欲しいという要求があったので、やっぱりトラブルかも?
・関さんがめっちゃ近くにいたのがちょっと面白かったです。ほぼ隣。ちけえ!!!
・役者の人たちはみんな自然な演技できててすごいな〜〜って感じでした。今後も楽しみです🩷
・Sくん、ずっと座りっぱなしなの大変そうだな〜と思った。マジお疲れ様です…。

ありがとうございました!今後も応援しています!


それでは、さようなら。

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