高校の「探求」の授業にお邪魔した記録。

某私立高校で行われている「探求」の授業に呼んでいただいて、ゲストとして参加してきました。
良い刺激と学びをたくさん受けたので、雑記。

人を知るためには、「なぜ」を問わない方がいい。(前書き)

Q.イチゴは果物ですか?
A.植物学では野菜だし、栄養学では果物。

ある問いに対する答えは、視点や目的によって異なる。
科学を学ぶ際に「なぜ」の問いが重要であることは確認するまでもないけれど、それは前提とする視点や目的がある程度絞られているから。

対人関係においては、相手のことを知ろうとするときに「なぜ」を問うと、往々にしてうまくいかない。
人の意思決定、特に重要な選択は、様々な要因が組み合わさって決まる。そのイメージなく「なぜ?」と聞くと、「理由はあれもこれもあるけど、何を答えたらいいんだどう?とりあえずこう言っておくか…」を招くき、会話が深まらずに横滑りしやすい。

中学生の進路指導でよくあるのは、
生徒「私、〇〇高校に行きたいです」
先生「なぜそう思うの?」
生徒「…なんか、雰囲気が良さそうだからです…」
これは断じて、質問者の方に責任がある。

極端な言い方をすれば、「なぜ」は、あまりにも安易な質問であり、「思考や想像を放棄して、回答者に丸投げする質問」ということにもなる。
少なくとも、指導者的立場にある人間であれば、相手に興味を持ったうえで、直接的に「なぜ?」と聞かない技術はあった方が良い。

前書き、おわり。

「探求」授業の内容

お邪魔した授業のテーマは「質問力」。私の当日の役割は、質問されること。
(この内容が「探求」なのかについては、ここで書きたいことではないので割愛)

およそ2時間の授業で、
①担当の先生による、テーマの説明
②私の自己紹介と、簡単な経歴紹介
③くじでグループ分け
④相手の「本質」に迫れそうな質問を書き出してみよう
⑤優先順位を立て、いちばん聞きたいことを聞いてみよう
という流れ。

私が1つだけ依頼したのは、「なぜ」の禁止。
理由は前書きのとおり。

午前:特進クラス

端的に言って、「良いクラス」だった。
・話を聴く姿勢が良い
・初対面の大人と、相応のコミュニケーションがとれる
・一人一人の表情を見まわしても、居心地が悪そうな子が少ない
・ひとりになりやすいタイプの子には、誰かが話しかけている
・視線が合った生徒に笑顔を投げると、笑顔が返ってくることが多い
・自分の考えを発言できる

特に良かったのが、挙げる質問の内容。
聞きたい「なぜ」が溢れている。なぜ開業したんですか?なぜ美術大学から塾に就職したんですか?なぜ不登校だったんですか?ちゃんと、こちらの内面や価値観に触れようとする。
「これを聞きたいのに『なぜ』が使えない!」と悩んでいるところに、「その質問を、別の言葉で聞いてほしいんだよ」と声をかける。次第に「きっかけは?」「何がつながっているんですか?」「影響を受けた出来事は?」といった問いに転換されていく。

掛け値なしに、素晴らしい学びが展開されていた。
最後の質問タイムでは、想定外なところまで答えることになった。

午後:通常クラス

※以下、超主観的な見解で、因果関係はすべて仮説。いろいろなバイアスはかかっていると思う。※

難しいクラスだった。

50人の前に立った瞬間に、午前とは空気が違う。
社会への信頼感が育っていない空気。知らない大人への「興味」より「警戒」。だから、話を聞いてみようという姿勢になりにくい。

本題に入る前に、ジャブとして関係ない話を2つ差し込んでみる。数人の表情や姿勢は変わるも、多くの生徒が「前を向いているけどあまり聞いていない」顔をしたままに自己紹介は終了。

グループワーク。発言できず、あきらめて居心地悪そうな生徒が多い。目が合うと、こちらが笑顔を投げる前に目を逸らす。プリントに書いた内容を手で隠し、口に出さない。

質問の内容が、こちらの価値観や内面に入ろうとしてこない。
好きな食べ物は先に食べますか、あとで食べますか?好きな色は?生年月日は?MBTIは何?好きなブランドは?趣味は? エトセトラ。

仮説。
①「なぜ」を禁止され、掘り下げる質問をあきらめてしまった。
②内面や価値観に触れるようなコミュニケーションを知らない。
③内面や価値観に触れるようなコミュニケーションが怖い。

①だとすると、私が課したハードルが不適切だったということ。心から、申し訳ないことをしてしまった。
②が一番大きい気がする。勉強の苦手な子どもたちは、親や先生たちから「指示」「確認」「禁止」「注意」ばかりのコミュニケーションを浴びるきらいがある。そのように育つと、自分からもそのコミュニケーションしかできないし、当然、社会に対して心を閉ざす。
③も否定できない。相手の価値観や内面に触れることは、相手が自分の価値観や内面に触れてくるリスクがある。自己肯定ができていなければ、それは怖いに決まっている。

生徒が書いた質問の中で、強く印象に残ったものが3つ。どれも、言葉で投げかけられることはなかったけれど。

『年収は?(生活水準を知れば、人間性が知れるから)』
その価値観で生きていると、苦しいだろう。

『どんな生徒が良いですか(熱意のある生徒が好きですか)』
私は熱意がないから大人には好かれないんだと、感じているのか。

『あなたに価値はあると思いますか』
正面から質問してもらって、あるに決まっていると答えたかった。それを聞いたあなたにも、同じだけの価値があると。

そのようなことがぐさぐさと刺さりながら、1日が終わった。

すべての子どもたちが、生きやすい社会をつくる。

探求の授業も、話を伺った学校の取り組みも、素晴らしいものだった。
同時に、こんな高校生たちが日本にたくさんいるんだと、身にしみてわかった。

どのクラスの生徒も、学ぶ目的を知りたがっていた。

仮に、彼らに自由に授業をして良い時間がもらえたら、全員で校庭に寝っ転がって空を眺めるような「探求」がしたいと思った。




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