ブルース覚書⑤ネイション・サックには何が?
オレは彼女のネイション・サックから最後の5セントまでとりあげてしまった(ロバート・ジョンソン「オレの台所に入っておいでよ」)
ネイション・サックは、もともとインディアン・ネイション(居住区)に暮らす先住民の女たちがお守りとして股下にぶら下げていた袋らしい。それが黒人のとくに、娼婦たちの間にモージョー(ヴードゥーのまじない)兼貴重品袋として広まったのだとか。客の前で裸にならなければならない娼婦は、財布を置きっぱなしにすれば、中身を抜かれる危険がある。股下にぶら下げておけば、いよいよその時になるまで男は手を出すことができない。そして、いよいよその時になれば、男は金どころではない。そのうえ、手を出せば、モージョーの力で呪われるかもしれない。男たちも、ネイション・サックに手を出すようになっちゃ、おしめえよ、という認識はあったようだ。
で、その「おしめえ」が、他ならぬロバート・ジョンソンである。何しろご本人がそうおっしゃっているのだから、間違いない。とはいえ、ろばじょんは、力ずくで奪い取る追剥でも、シャワーを浴びているうちにちょろまかすコソ泥でもない。雨やどりしようとか、誰も親身になってくれなかったろうとか、言葉は舐めるようにに優しい。「淑女は娼婦のように、娼婦は淑女のように」という、アメリカの劇作家ウィルソン・マイズナーの警句を忠実に守るジゴロぶりだ。自分の弱みもちらっと見せて、女の気をひく。女はついほだされて、なけなしの銭を差し出す。
ひどい男だ。きっと宵越しの銭は、どぶに捨てるように使うに違いない。いずれ毒殺されるのも、身から出た錆び。これも悪魔に魂を売ったゆえの所業か。