元タイムパトロールの堕落
「がっかりさせるなよ!」
バーの片隅でグラスを抱えていた男が、出し抜けに立ち上がって、大きな声をあげた。怒鳴りつけられた方は、声のする方向を見ようともしなかった。声の主はひょろりと痩せて、顎ばかりが頑丈な初老の男性で、髪に白いものが混ざりつつあるものの、奥まったところで爛々と輝くぎょろりとした目が、若い頃の情熱を宿していた。
「がっかりさせるなよ。ずっとあんたを追っかけて来たんだぜ。あんたには何かあると思ってさ。それが、泣き言を言って、女をベッドに引きずりこもうってのかい?それとも、結婚詐欺師にでも、なり果てたか」
「何のことでしょう?」
「とぼけるなよ。わかっているくせに。十八年前、市民ホールであんたの話を聞いた。こころが震えたよ。命をかけて子供たちを救おうとする元タイム・パトロールの話だった。オレのヒーローだと思ったね。そして、あんたは、自分がそのヒーローだと明かしたんだ」
「人違いではありませんか?」
「人違いなんかじゃない!」
ぎょろ目の男はさらに声を張り上げて、ボックス席のテーブルを叩いた。グラスが危うく倒れそうになるのを見て、カウンターの向こうでグラスを拭いていた店主の肩が微かに動いた。
「すぐに男たちが乗り込んできて、あんたを取り押さえた。何が何だかわからなかったけど、とにかく、あんたを守らなきゃならんと思って、男のひとりにつかみかかったよ」
「そりゃ、どうも」
「ところが、どうだい。翌朝の新聞を見ると、あんたは名うての詐欺師だっていうじゃないか。信じたくなかった。実際、信じなかったよ。詐欺師だっていうのは、あんたを貶めようとする時空警察のでっち上げだと思った。そして、楽しみになってきたんだ」
「ほほう、何がです?」 店主が顎で合図するのを見て、女性バーテンダーが、お客さん、飲みすぎですよ、と声をかける。
「まあ、いいじゃないですか、面白そうな話だ。それで、何が楽しみになったんです?」詐欺師呼ばわりされた男が、ぎょろ目に聞いた。
「裁判がさ。そこであんたは訴えるだろう。あのうっとりするほど、冷静な話ぶりで。時空警察の横暴とか、歴史の一貫性を守るために処分される子供たちの悲劇とかをさ」
「何やらよくわかりませんが、処分とは穏やかではありませんな」
「殺されるんですよ!あなたがそう言ったんじゃないですか!身勝手なタイム・トラベラーが過去の人間との間に作った子供は、歴史を歪めてしまわないように、殺される!もちろん、そんなことを裁判で訴えても、狂人扱いされるだけでしょう。今のぼくのように!」
「ちょっと、お客さん」
「でも、オレは、オレだけは、あんたの正義を待っていた。なのに、あんたは姿を消した」
「・・・」
「留置所から忽然といなくなった。週刊誌は、消えたタイム・トラベラーのことを面白おかしく書きたてた。それを読んで、その男が、何年も前からタイム・トラベルをネタに詐欺を繰り返していたことを知った」
「私がその詐欺師だと」
「まだ、しらを切るつもりかよ。あんただよ!そして、不思議なことに、消えたタイム・トラベラーで、詐欺師のあんたは、年をとらない」
酔った男が別の客を詐欺師呼ばわりするのを聞いて、店主が顔をしかめた。
「最初はがっくりきた。何だ、詐欺師か、ヒーローじゃなかったのかと。でも、あんたのことを調べるうちに、違った感情が生まれてきた」
「ほほう、どんな?」
「こいつは権力と闘っている。子供たちを救う元タイム・パトロールのような大義はないけど、巨大な権力を向こうにまわして、大立ち回りを続けている。そこでオレは気づいたんだ」
「ほう、何に?」
「あんたが留置所から姿を消すことができたのは、時空を超える能力を持っていたからだ。あんたが年をとらないのは、タイム・トラベルで時間をワープしているからだ」
「なるほど」
「あんたは詐欺師かもしれないが、すくなくとも、タイム・トラベルのことは、本当だったんだ。オレは消えたタイム・トラベラーに対する尊敬を新たにした」
「それはどうも。その方に代わってお礼をいいますよ」
「そして、数時間前、例の市民ホールからほど近い、このバーであんたを見つけた。興奮したね」
「ここは私の行きつけでしてね」
「ふん、ところがどうだい、あんたは、大して美人でもない女をつかまえて、タイム・トラベラーの苦悩だのとくだらないおしゃべりをして、気を引こうとしている。がっかりしたよ」
「お客さん、ちょっといいかな。他のお客さんの迷惑になるんでね」
ぎょろ目は、屈強なたちに脇を抱えられながら、まだ何か叫んでいたが、間もなく店の外に放り出された。ドアの隙間から荷物を投げてよこした男が言った。
「もう、来るなよ。最後に教えてやるけどな、あの客が口説いていた女、ありゃ、私服だ」
それを聞いて、ドアの外に倒れていた男は大きな目をさらに見開いて、それから声を立てずに笑った。そして、そうだった、やっぱりそうだった、やっぱりあんただったんだなと小さな声でつぶやくと、あは、あはははは、と不規則な笑いをたてながら、ふらふらと夜の街に消えていった。