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小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」①

ああ、神の啓示を受けて バプティスト教会に入るんだ
バプティストの説教師になりたいんだ そうすりゃあ、働かなくてすむ
(サン・ハウス「説教ブルース」)

ブルースの基調になっている感情は何だろうか。ブルースは憂鬱な歌である、という。しかし、果たしてそうだろうか。他のアフリカ系アメリカ人の文化と同じように、ブルースにこめられた感情もまた、重層的である。詩人ラングストン・ヒューズは、ブルースには絶望的な悲しみと同時に、それをひっくりかえすユーモアが存在することを強調する。また、ミュージシャンで音楽評論家のジョン・フェイヒ―が喝破したように、ブルースに折り重ねられた感情の根底には、強い怒りがある。そこから、閉塞に風穴を開けるやけっぱちの笑いが生まれる。ようするに、ブルースは悲しい歌には違いないが、悲しみに身をすくめている歌ではないということだ。

今世紀初め(2004年)、テレビのインタビューに答えた無職の若者の、「働いたら負けかなと思っている」という発言が話題になった。この発言は批判と同時に、若い世代を中心に大きな共感を呼んだ。「ニート石川」と呼ばれるようになった彼と、彼に共感を寄せる人たちに、労働の神聖さを説く前に、彼の言葉が、長い不況のなか、「不況しか知らない子供たち」が感じてきた鈍い(「弱い」ではない)怒りに、表現を与えていることに気づくべきだろう。彼が、今になって求職活動をしていることを嗤うべきではない。彼だって生きていくために仕事が必要なことはわかっていたはずだ。ブラック企業に痛めつけられた心身から生まれる、「宵越しの銭は持たねえ(金なら欲しいけれど)」式の強がりや、わからないやつはわからなくてもいいという突き放したユーモアが、あなたにはわからなかっただけのことだ。これは、ブルースである。

「これで働かなくてすむ」

デルタ・ブルースの巨人サン・ハウスの歌うブルースが、日本の「失われた世代」の声と響きあう。1930年代のアメリカで過酷な人種差別を生き抜いたアフリカ系アメリカ人と、日本の若者では状況が違うと、わかりきったことを言う前に、両者の言葉が図らずも一致してしまった理由を考えよう。「働いたら負け」と嘯く日本のブルースの鈍い怒りが、時代が失われるのをのほほんんと見過ごしてきた失われる前の世代ののど元に突きつけられる。怒りを共有するものたちが交わす擦れた声が、なぜ自分には聞こえないのか、考えよう。しかし、若者は選挙へも行かず、状況にコミットする意思がないではないか、という。しかし、行っても何も変わらないのなら、選挙に行くだろうか。生まれて初めて選挙権を行使するものに、選択肢を提供するのは誰の仕事だったろうか。ヨーイヨーイ デモクラシー

労働神聖と口では誉めて オラに選挙権なぜくれぬ
ヨーイヨーイ デモクラシー(「デモクラシー節」)

説教師だったサン・ハウスは、ブルースを忌み嫌っていた。ギターを弾いている男を見るだけでも、吐き気がするというほど、「悪魔の音楽」を憎んでいた。それは、音楽好きの父親エディ・ハウスが失踪し、家族を顧みなかったことに起因しているのかもしれない。父親と同じ名前だったところから、息子の方のハウスさんということで、サン・ハウスと呼ばれるようになった少年は、やがて教会の世界にのめりこみ、歌にあるように神がかりの体験を得て、聖書のエピソードをもとに人の道を説く説教師になる。しかし、根がまじめなハウスは、説教壇を降りれば会衆たちと同じような毎日を送っている自分が、人生を説くことのプレシャーに耐えかね、酒と女に溺れ、ついに教会を後にすることになる。

せっかく、手に入れた説教師の地位をみすみす手放したハウスの失望たるや、想像に難くない。自らの不品行が原因となれば、なおさらだ。ああはなるまいと思っていた父親の血が自分にも流れている、そんな思いもあったかもしれない。何も手につかず、ぶらぶらしていると、たまたま通りかかったハウス・パーティで、誰かがボトルネックをすべらせて、ブルースを弾くギターの擦れた音が聞こえてきた。

ちょわちょわーん

なんだ、これは・・・この音は。こ、これがブルースというものか。なぜ今まで聞こえなかったのか。ブルースを悪魔の音楽と決めつけ、ギターを弾く男すら見たくないと言っていたことなどなかったかのように、ハウスはブルースに耽溺した。

次の日、友だちから、使っていないギターを譲り受けると、ハウスはウィリー・ウィルソンという名のギターリストの元を訪れた。「ブルースを教えて欲しいんだ」いつも眩しそうに何かあらざるものを見ているようなハウスだが、このときは相手の目をまっすぐに見据え、震える声で懇願した。「ブ、ブルースを教えてくれ」というハウスに、ウィルソンは言った。「まず、そのギター見せてみろ。ひでえな、こりゃ。後、穴開いてんじゃねえかよ。誰か、テープかなんかで直してやれ。それに弦が・・・。お前、ギターって弦何本あるか知ってるか。そう、6本。これには3本しかねえ。まず、弦を張れ」

こうして、サン・ハウスのブルース・マン人生は始まった。(続く)



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