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小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」⑦

「そのころだったかな。最初のドプロを買ったのは」

銀色に輝くボディを見せたときの、ウィルソンさんの驚いた顔と言ったらなかった。目をこんなぐあいに大きく見開いてな。こんどは、鉄のギターを持ってきやがった!って、いつものように豪快なだみ声でまくしたてたいんじゃが、喉の奥が乾いて声がでない。なんだそれは?というのが精いっぱいだ。それで、わしがこの新しい恋人とのなれそめを話して聞かせているあいだずっと、彼女の美しいスタイルから目が離せないんだ。しかし、ウィルソンさんは目の前で弟子のガールフレンドを寝取るような悪党ではなかったから、(ましてや、ウィルソン夫人もそばにいたしな)あいさつ代わりに手の甲にキスしてもいいって言われるのを大人しく待ってた。それがわかっていたから、おかしくてな。わざとゆっくり話をすると、指板の上をボトルネックをすべらせて、短いブルースを弾いて見せた。ウィルソンさんは雷に打たれたようになって、ぶるぶるっと身震いすると、おーい、たいへんだ、サンがとうとう天使になっちまいやがったって言ったんだ。それでオレも意地悪はやめて、オレの最初の恩人に恋人をたっぷりかわいがってもらったってわけだ。

「悪い男ですね」

だらしないへらへら笑いを浮かべながら、そういうと、年老いたサン・ハウスは、そうだろう、そうだろう、と満足そうにうなづいた。


                 Ж

数か月前、家に帰ると、部屋の真ん中に、年老いた男性が背を向けてしゃがんでいた。少々めんどうな病気にかかり、薬の副作用で幻覚のようなものを見ることがあったので、ああ、またか、と思った。初孫のだらしない生活を憂いて、亡くなった祖父が現れたのかもしれない。もっとも、幻覚は本人の頭からでてくるものなので、憂いているものがいるとしたら、それはぼく自身なのだが。

「あの・・・」

振り向いた老人は祖父ではなかった。一目でわかった。驚いたことに、デルタ・ブルースの巨人、サン・ハウスだった。でも、ハウスは30年以上も前に亡くなったはず・・・なぜこんなところに・・・

「理由を求めるな」

生きている間のことに理由なんぞない。理由とか、意味とかいったものは、天国に行ったものが考えることだ。それまでは、ただ生きろ。死んじゃだめ。地味に、這ってでも生きろ。生き抜いたやつが笑って天国に行けるのだ。何?でも、わしはもう死んでいるって?もちろん、わしにはここに出てくる理由がある。しかし、それはお前にはあずかり知らぬことじゃ。聖書にもこう書いてある。ああ・・・聖書・・・聖書はないのか。

「ないです。この間、お金がないんで売ってしまいました」

何という罰当たりな。

「でも、これはあります」


ぼくは「再発見」後のハウスが、キャンド・ヒートのアル・ウィルソンらと録音した名盤『フォーク・ブルースの伝説的父』のCDと、油性ペンを差し出した。ジャケットに写っているのが生前の自分の姿であることに気づいた「伝説的父」は、まんざらでもない様子で、CDとペンを受け取った。銀色に輝く円盤を見て、不思議そうな顔をしているので、エルピーみたいなもんっす。といって、サインを促した。盤面に書こうとするのを慌てて制して、プラスチック・ケースに書いてもらう。信じてもらえないだろうが、ぼくの持っている『フォーク・ブルースの伝説的父』のCDケースにのたくっている文字のようなものは、本人の直筆サインである。

「お酒好きでしたよね」

ゆっくりうなづく「父」のために、焼酎の水割りをつくった。スマホのカメラで録画をはじめようとすると、身ぶりでだめだという。こめかみを指さして、全部ここに入れておけと合図。

「わかりました。それじゃあ・・・」

聞きたいことがやまほどある。

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