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自分の作品について考えてみた

自分の作品についてちゃんと考えてみたことがあんまりなかったのですが、この前、人に自分の作品に関して説明することがあり、自分が作品を通して何を見つけて、何を伝えたかったのかがなんとなくわかったことがありました。
(私がやっている作品制作というのは版画のシルクスクリーン作品です。気になる方はプロフィールにリンクしてあるwebをご覧ください)

版画の作品を作るにあたって、私の場合は自分が撮った写真をベースにしています。
絵を描いている人の中には、自分の頭の中にあるイメージをアウトプットするような制作方法を取っている人も多いのかもしれませんが、私の場合は写真が元になって構想が膨らんでいきます。

とはいえ写真も絵のために撮っているわけではなく、元々は版画の作品を制作していなかった頃から散歩中などに写真を撮り溜めていました。
それでシルクスクリーンというアナログな版画の技法に出会い、写真を元にした版画の作品制作がスタートしています。

それじゃあ写真はどんなことを考えて写真を撮っているのか、と思って意識的に自分の撮った写真を見返すと、街の中にある人工物(建築や構造物など)の中にある自然的なもの(時間や光や意図していないデザインなど)に興味があることがわかってきました。

人工物の中の自然を探す
とか
人工物と自然の間
みたいなものが自分の作品制作においてのキーワードなのではないかという発見がありました。

写真があるならなぜそれを写真作品として終わりにせず、版画のシルクスクリーンで作品にしているのか、ということも意識的に考えてみました。

それはきっとシルクスクリーンを介して写真を読み解いていき、その写真を撮ったときに自分が何を思ったのか、どんなところがいいと思っていたのか、など絵にしないと伝わらないところを解釈しながら制作を進めているのだと思います。

さらに深掘りすると、絵は絵でも油絵とかペン画とか色々ある中でなんでシルクスクリーンでやっているんだろう、と思ったときに、シルクスクリーンの技法は同じ絵を何枚も複製することができるので、私がモチーフにしている人工物(どこにでもありそうな建築物や街並み)がコピーされていく様子とリンクしているのかな?なんて考えました。

確かにシルクスクリーンなどの版画は何枚も同じ絵を複製することができる技法ですが、厳密にはひとつひとつの版のズレや色むら、紙の質感、そして形は同じでも色違いを作ったりと、似ているように見えても同じ絵は一つとしていないと思っています。

それはどこにでもありそうな人工物である建築物や建物にも同じことが言えると思います。
例えば同じようなビルにも、その中には別の人が居るし、別の場所に建っていて、それぞれの時間を刻んでいるからです。

こんなことを色々と考えていたら、自分が作っている作品に説得力というか、なんで自分が作品を作りたいのか、ということが明確になりました。

人工物と自然の間を探している、とかそれっぽいこと言ってみましたが笑
結局のところなんとなく魅力的に感じて写真を撮ってしまう、ある種のフェチってことなんだと思います。

それを人に話したことで言語化することができたので自分のメモとしてもこのnoteに書いてみました。

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