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僕の夏は最高だったかい?

自分がシャニマスのコミュの中で一番好きなのは【夏、イエー】桑山千雪の『最高だぜー』のコミュである。
あの世界観に浸る時、過去の自分が浴びていた“視線“の懐かしさをいつでも思い出すことができる。

僕が担当アイドルから視線を浴びた時、それは【夏、イエー】桑山千雪のコミュを読んだ時だった。このカードが実装された2021年、僕は高校生で、夏の最後の試合が終わってから2ヶ月ほどが経ち、渋々と受験勉強という次なる競争に身を置いていた頃だった。

3年間高校野球という世界に身を置いていた自分にとって、担当であった桑山千雪が野球──しかも時期とタイトル的に高校野球!──をしているシナリオにとても心が踊った。その時期は意図的にTwitterをログアウトし、とにかくゲームの情報を遮断していたのだが、ふと流れてきた情報に心が舞い上がってゲームにログインし、コミュを読んだ。
しかし、その時の僕にとってあのシナリオは満足できるものではなかった。

「何が“最高の夏“やねん」

それがあのコミュを読んだ時の率直な感想だった。
だって、夏が“最高“なわけなんてない。
当時の僕はそう思っていた。

自分語りになるのが嫌なのであまり詳細には書かないが、とても僕の高校野球生活は最高とは言い難かった。
年度を見ればいろいろ察しが付くように、ちょうど自分の部活生活はコロナ禍とバッティングした。それに加えて人数不足、チームは全く勝てないなどとても“最高“なものではなかった。

そんな文句を言っているうちに、自分も大学生になった。高校野球も、“自分の居場所“から“かつていた場所“になった。
通学電車の中でエナメルリュックを背負った野球部と思わしき高校生を見ると、懐かしい気持ちになる。

そんな中で、自分が彼らに向けている視線が、実は【夏、イエー】のコミュで千雪が当時の僕に向けていたものと近いものだったんじゃないか?と思いはじめてきた。
年が経ち、何歩も引いた場所から高校野球という世界を見るようになった。すると不思議と、通学電車の中でたまたま同じ空間にいる彼らに、あのコミュで千雪が言っていた言葉に近いような感情を抱くのだ。

窓の向こうの野球部について

もう一度考えてみよう。
“最高だった“とはなんだったんだろうか。

きっとそれは、決して自分が関わることのない/関わることのなかった人間に対する、あの人がこうであって欲しいという思い、いわゆる願いのようなものなのである気がする。

彼女の「最高なんだなって」という台詞は、きっとそんな願いのようなものなんだろう。同級生でありながら、ずっと窓ガラスを1枚通してでしか見たことがない彼らの姿。そんな彼らがどうか“最高“なものであってほしいという願い。それが、あのコミュに置いて千雪が野球部に向けていた、そして自分がかつて向けられていた、視線の正体だったと思う。そこに受け取り手の夏が、本当に最高だったのか否かというのはあまり関係ない。願いを願いとして受け取ることに価値があるんだと思う。

そして、気づけば自分も【夏、イエー】の千雪の視線と同じような視線を彼らに送っている。
どうか、彼らの夏が“最高“とはいかなくとも、“まーオーケー!“くらいのものであって欲しいなと考える。一球でも打ち損じるボールが少なくあって欲しい、どうか生涯悔やむようなエラーをしないで欲しいなと考える。

もちろん、こんな願いが叶うはと思わない。どれだけバットを振ってもチャンスで甘いボールを打ち上げて、どれだけノックを受けても致命的なエラーをしてしまうのが高校野球だということは自分が身をもって知っている。

だけどそう願ってしまうのだ。受け取る側はうざったくて仕方がないということも知っていても、届かぬ願いという名の視線を送ってしまうのだ。
それはきっと、自分も高校球児ではなくなり、“時間“という1枚のガラスを通してでしか彼らを見ることができなくなったからなのだろう。

「始めますから、夏。この一球から」

そしてもう一つ考えることがある。
それはこのコミュで最後に千雪が言っていた「始めますから、夏」という言葉の意味とは、一体なんなのだろうかということである。
もしかしたら、何も意味なんてないのかもしれないし、答えなんてないのかもしれない。だけれでも、その言葉の意味が分かればもう一度自分も「夏」を「始められる」気がして、答えを探っても出てこない問いをずっと探ってしまう。

自分の夏が最高だとは思わないし、あの頃に戻りたいとはあまり思わない。だけどできることなら、もう一回だけあの右中間だけだだっ広い砂のグラウンドでノックを受けたいと思う。

部活を辞めると、外野ノックを打ってくれる人はほとんどと言っていいいほどいなくなる。倒れるまで外野フライをひたすら取り続けた夏休みの特守練習なんて、もう一生することはないだろう。たまにあの時に飲んだあまりにも悪魔的なアクエリアスの喉越しが恋しくなる。

彼女にとっては「この一球」を投げることで“夏“を始めようとしている。
自分もこの一球を投げたら、あの夏に戻れるのだろうか?

しかし、ボールは常に未来の方向にしか投げることはできない。
彼女がはじめる夏が何なのかは分からない。ただ、彼女が始めようとしている“夏“は、自分が懐古してるような「美化されたずるい思い出」とは全く異なるものなのだろう。
彼女はあの一球を投げることで、何かしらの全く新しい夏を始めるのだ。


終わりに

ふと、あの頃浴びていた視線はどんなものだっただろうかと思い返してこのコミュを読み返す。「あ〜、俺もう野球やってた頃には戻れないんだな〜」と痛感した後、未来に向かってボールを投げる千雪の姿を見て、自分も何か全く新しい“夏“を始めなくちゃいけないなと思わされる。

懐かしさを浴びつつ、それでも前に進まなくちゃいけないと思わせてくれる物語。それが自分にとっての【夏、イエー】桑山千雪の『最高だぜー』なのである。

そして(いないと思うが)もしもこの記事を読んでいる高校球児がいるなら、君たちの夏も“最高“であって欲しいと僕は願っている。
残り約2ヶ月ほど、どうにか頑張り抜けて欲しい。


【参考】
過去に執筆した【夏、イエー】の感想記事