ジャニオタが椎名林檎のライブでカルチャーショックを受けた話


椎名林檎は神だった。

高校1年生のときに聞いた軽音部のカバーでハマって、3年間東京事変と椎名林檎を聴かない日はなかった。邦楽ロックに少々明るくなったのも椎名林檎との出会いがなければありえなかったことで、いちジャニオタが聴く音楽の幅を大いに広げてくれた大事な存在だった。林檎さんの思想とかよく知っているわけじゃないけど、音楽がずっと好きだった。

今日やりたいこと、今年やりたいこと、20代までにやりたいことなどいろいろあるけれど、椎名林檎のライブに行くことは私の中では人生の夢カテゴリに入っていた。それくらい現実味がなかった。椎名林檎の圧倒的な世界観を前にしては私はあまりにも小さくて、まさか同じ空間にいられるなんてそんなおこがましいことありうるはずなしと思ってた。そもそも椎名林檎に限らずこれまで慣れ親しんできたジャンル(クラシック音楽とジャニーズ)以外のライブに行くというイメージもつかなければ方法もわからなかった。

それがふとしたきっかけで叶うことになった。
後輩がストーリーでライブの同行者を募集していたのである。それも1週間後。

考えるより先に返信する指が動いたことで、なんと人生の夢が叶う運びとなった。
そして行ってきた。(生)林檎博'24 景気の回復。さいたまスーパーアリーナ。職場から1時間で行けるなんて知らなかった。以下、これまでほぼジャニーズのライブにしか行ったことがなかった人間によるレポ。ネタバレないです。


登場はまさに神様が降りてくるようだった。
林檎さんが神々しいというのももちろんそうなのだけど、観客の態度がそうさせているように思えた。皆グッズの手旗を振っている姿がお正月の天皇の一般参賀を想起させるというのもあるし、皆の表情、湧き立ち方が自分の信じているものに向けるそれだった。私のアイデンティティの根源よ!って感じだった。
ジャニーズと全然違っていたのは、全体的に、祝福!というムードが漂っていたことだった。ここに集まる人それぞれの日常に喜ばしくない状況があったとしても、ここでは一旦置いておいて林檎さんの存在を祝おう!同じ空間にいられる自分たちにも祝福を!といった感じ。
ジャニーズも日常を忘れて楽しむという意味では共通しているのだけど、ファンを楽しませるアイドル↔︎アイドルを鑑賞して楽しむファンという関係とは一線を画していた。祝い合う。あんまり出会わない空間だったと思う。

歌は耳を身体を通り越して体液に入り込んでくる感覚になった。日本最高峰のサウンドクリエイターたちによる(であろう)音の質量よ、深みよ。あまりの音量に今聴いているのがドなのかレなのかわからないことがあっても、そんなことわからなくても音楽なのだなと妙に納得させられた。
音はもちろん照明も相まってアリーナ全体に妙な浮遊感。スタンドの上の方の座席から見るとまるで水槽だった。


ファンの人たちはジャニーズのような細かいルールがなさそうで自由だった。皆座ってても一人だけ立っている人、旗をぶんぶん振っている人、前のめりになって見る人。それも寛容になれるような、それぞれの音楽の楽しみ方が尊重されているような空気があった。友人や恋人と来ていたとしても、ライブの最中は個々と林檎さんが結びついている感じだった。ライブが終わって客席に照明が戻ったら皆もとの姿に返ったようになるのだけど、音楽を聴いている間は、むきだしそのままの状態になるというか。
これってもしかして椎名林檎に限らず全ての音楽ライブに通ずることなのかな、、、


そんな特別で特殊な空間において、林檎さんは一貫して普通に人間だったこともすごかった。
平日なのに来てくれてありがと!とか、平日なのに来てくれてありがたいっていう概念がある人なんだ!?と衝撃だった。アンコールで出てきてくださったとき、もう少しだけお付き合いください!と仰っていたけど、それは完全にこっちの台詞だろうと思っていた。
そんな殊勝な気持ちがこのエロスとタナトスな空間と音楽を作ってみせるセンスと同居するのかと圧倒された。そんな信じられない等身大に魅せられた人たちが椎名林檎さんのファンなんだと思う。広義の意味では私も含めて。


木曜日の夜公演という絶妙な日時で明日も仕事があるけれど、林檎さんが神であると同時に人間でもあったことで、同じように俗世を楽しんでやろうと思えているので明日もばりばり仕事行けそう。
乱文散文だけど、あまりの感動でノートに残しておく。

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