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かえこがアホやから〜あたりまえっ!No.13 おつかい

母から度々兄と2人でおつかいに行くように頼まれた。
多くは1.5kmくらい先の、なんでも屋さんへのおつかい。(距離については、記憶の中のイメージで、もう少し近かったのか遠かったのか定かでないけど)

やはりここは、年上の兄がお金を預かり、買ったものを持つ担当。私はただちょこまか走ってた。

兄が母から渡された100円札をにぎりしめ、2人仲良く「行ってきまーす」と軽快に駆け出す。
当時、お使いが嫌だなんて思った記憶はなく、慣れた道を2人でケラケラ笑いながら目的地を目指す。

田んぼのレンゲの蜜を吸ったり、用水路を飛び越えたり、道々遊びながら、楽しかったという記憶しかない。

ひと段高くなった田んぼに、よいしょっ!とよじ登ったり、次はよいしょっ!と、飛び降りたりしながら、あぜ道を駆け抜けると早い。
子どもの特権のようなショートカット。

ただし。

このショートカットが、仇になることもあった。

兄が手にしていた100円札が風に飛ばされ、用水路におちてしまって。
半べそかきながら振り出しに戻って、母からもう一度お金をもらって、再スタートなんてことも。

また別の日は、無事に買い物を終えて、家に着いてコンプリート、、、かと思いきや。
買ったハイライトがない!
兄がお店でお金を払い、買った一つを手に持っていたはずなのに!

2人で急いで来た道を戻ると、あったあった。
登った田んぼの土手?に、ぽつんと置かれたハイライト!
よじ登った時に置いたままやったんやな、、、

(改めて調べてみたら、その当時のハイライトはひとつ70円くらい。100円札で事足りるわけだ。そして、子どもがおつかいでタバコを買いに行っても売ってもらえる。そんな時代)

その時は、兄が置き忘れたことを責めるでもなく、見つけたことを単純に喜んで、拾って帰り、「あった、あったでーーーっ」と母に得意げに渡していたと思う。

母も失敗を責めることなく、豪快に笑い飛ばし、おつかいができたことを褒めてくれた。

後になって思い出話になった時には、お兄ちゃん、頼むでぇ、、、しっかりしぃや、、、
ってなっていたけど、、、

とにかくその当時は、兄の後をついていくのが嬉しかったのだ。

兄は小さい頃、喘息持ちで、私より体が弱かったこと。
そして、総領の甚六で、のんびりしていたこともあり。

私が保育園、兄が小学校へ行く支度をしていた時など、のんびりのんびり靴下を履いている兄の分まで、私がハンカチを用意して渡していた。

頭脳明晰なのはなんと言っても兄。
対して私は頭は良くないけれど、2番子の要領の良さは格別だった。(と、思う)
ちょこまか、ちょこまか、兄におせっかいを焼きつつ。
いろいろ教えてくれる兄の後をついて回るのが嬉しく。
そして、割と慎重派の兄よりも、大雑把で失敗なんかも恐れず大胆に過ごしていた、、、そんな幼児期。

この頃は、「かえこがアホやから〜あたりまえっ」のフレーズもまだ誕生していなかったし。

なんなら、「兄ちゃんがのんびりやから〜あたりまえっ」って言ってもおかしくなかったよなぁ。
半世紀以上の時を経た今、そんなことを思ってひとりニヤニヤしている私なのだ。

次回は、兄ちゃんがのんびりやから〜、のエピソードをもう少し。