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フルサトで始めたフルサットのこと

 フルサットのことを考え始めた頃のこと、何故やろうと思ったのか?について。文章としてはこんな感じでまとめてありますが、note 的に記録しようと思います。note的ってまだ分かってませんが(笑)散らばった情報なので、まとまりないですが。まとめの前のまとめ的な。
 ちなみに、フルサットがオープンした後にまとめたのがこちら。
https://furusatto.com/about/
外部向けの説明的な資料でしたので、少し硬め。この内容は今でもこうだなと思いつつ、これはこれとして。極力昔の文章や当事者の声などを残しながら、今から振り返りたいと思います。
 今の会社は8期目で、途中倒れたりしましたが、あっという間にそのくらいの厚みになりました。これまでご支援頂き感謝申し上げます。フルサットは2016年6月のスタートなので現在4年目。私自身は新潟県上越市の生まれで、高校まで地元の学校に通っていました。大学へは建築学科へ行ったのですが、新しい建築より、古い建築が元来好きだったので、研究のために佐渡へ行きました。この件は長くなるので、また別の機会に(笑)(別記事予定)
さて、佐渡島にいた時から、漠然と「場所」がないかな?と思っていました。居場所探しもあったかもしれませんが(笑)これからの先を見越して、人が集まる場所を作りたい。そういうことをイメージしていました。当時のイメージでは北陸新幹線開業が近づいてくると様々な開発の話が出てきて、いわゆる観光や地域活性化に向けた〇〇コミュニティプラザや〇〇ガイドセンターなどが官民連携で立ち上がって、そういう場所が出来る。そんな場所が出来たら働けると良いなぁと思っていて、自然とその方向になるだろうと流れに期待していました。しかし、当地では北陸新幹線開業へのカウントダウンはまるで只の日めくりカレンダーのように消化されて行きました。新幹線開業に向けた上記のような空間作りの話の気配はなく、だんだんと時間だけが過ぎて行きそうな焦りみたいなもの、二度とないチャンスなんじゃないか?逃したらもったいないと感じていました。そうこうしているうちに2014年の新年になり。作業を前に進めました。上越妙高駅前に何かを作るのであれば、アイコンとしても珍しい、建築デザインとしても新しい形であることが必要だと漠然とというか、直感的な意識が働いていました。この件は「場所」に意味を与える「建築」や「空間」の存在がとにかく必須だと思っていました。また、建物だけではない「動き」が周囲にも影響してくれると期待しました。ビルディングを建設することは費用的に出来なくとも、上越妙高駅前に上越妙高や新潟県各地のエッセンスが集まったコンパクトながらユニークな空間を作る。コンテナにコンテンツを集めて、駅前に象徴的な空間を作りたいと更地を見ながら思いました。更地ながら「フルサット」という名前を前に出してスタートしたのもそこに意味がありました。何より新しい物体や空間がもたらす変化が見たかった。フルサトで何か始めることでフルサトの変化が楽しみでした。直感というものはあったのですが、確実に成功する保証はない。しかし、何事もそんなものだと思いながら、やるなら今しかない!という気持ちだけでした。もし失敗したら?と考えずに進むことにしました。
 全体の構想作りに一緒に取り組んでくれそうな建築家の中野さんに相談し、企画を始めました。彼の特徴や、建築家又はプロデューサー的な話はまた改めて。(改めて触れます)

□フィールド・オブ・ドリームス
昔?の映画に「フィールド・オブ・ドリームス」という作品があり、ケビンコスナーの若いころの(笑)あれ。あの映画が好きで、私は子供の頃に親父と見たのですが、今の若い世代は知らないかもしれませんが、まさに考えてみるとあれでした。ある日突然コーン畑?を野球場にしてしまうあれ。それを作ると様々な人がやってくる。『"If you build it, he will come." = 「それを造れば、彼が来る」』何故かあの声が頭の中にあったのは確かでした。あれは主人公所有の土地なので、定期借地とは違いますが、写真のような様子を見ながら、考えていました。この町の新しい場所に自分たちで街を作る。これは本当にその一心で、毎日取り組みました。メディアにも早くから取り上げて頂いたこともあり、「話題」とはなりました。コンテナが1つ運ばれてきただけで、新聞記事になったりという、そういう状況でした。既存の街や建物をリノベーションするプロジェクトではなく、更地からのカタチ作り。しかしどういう話題か?というと新幹線の開業に合わせて開発が進まないというテーマが前に出てしまい、我々のやろうとすることが伝わらない、というより、そもそも大丈夫なのか?ということばかりだったと思います。結果的には唯一コンテナというキーワードが我々のアイコンになった。キャッチーな存在になれた点はうまく行ったと思います。

中野さんが後日こんな感じで振り返っています。
記事
http://hokuriku.aij.or.jp/h2ah/entry-210.html
 
□コンテナ屋台村
上越妙高駅前の開発にあたって、どのようなものを作るかということについて当初イメージしたのは、日本各地にある「屋台村」のようなもの。屋台村というと共通イメージがあり、伝え易いと思いました。コンテナ屋台というイメージも、「コンテナ商店街」という名がすでにあったように、まったく新しい発想ではありませんでした。しかし、我々はそこをもう一歩先へ行きたいと考えました。コンテナの一時性、仮設性と建築の永遠性の間。デザイン性、象徴性。付加できる、拡張が可能など。コンテナを使った新しい都市開発の手法。新しいプロジェクトでした。

□資金調達
肝心の資金調達が出来るまでの間が長かったです。コンテナ1つをベースキャンプだと思い設置しましたが、その後は相方は初号機でした(笑)テナント探しに奔走。一度出店を決めてもらった事業者からもお断りを頂いたり、みんな「フルサット」に対して、どう理解して良いか?という時間が続きました。テナントが決まらない!ということがニュースになったりしました。あの時間はしんどかったですが、今から考えると当たり前のことで、貴重な経験でした。中野さんと話を始めたところですが、中野さんの感覚というのは確実で、彼もまだ半信半疑でした。私がまだ小さな存在で、所謂資金的にも安心ではなく、やはり無謀なプロジェクトだということを彼はわかっていました。しかし、それでも船に乗り続けてくれたことに感謝しかありません。

□上越妙高だけでなく
フルサットにたどり着くまでに「上越妙高フルサット」など名前に地名を入れるかどうか悩みました。フルサットが地域に根ざしながらも、あえて地名をつけないことの意味は、このようにどの地域でも応用可能であると見通した結果でした。必ず類似の事例が全国各地で起きるようになる。フルサットにそんな願いを込めました。このあたりのビジョンは改めて。よく今でも間違えられますが、フルサットはフットサルではなく(笑)フットサルがフルサトに似ているのです(笑)
 また、フルサットのビジネス全体のことを考えれば、ビジネスモデルから理解してくださる人か、理解しようと挑戦してくださる人。それぞれの方が持つプラスのエネルギーや知識、経験を集めて、楽しみながら未来に進める環境を少しでも早く実現させることが重要だと思っています。最近は新しく、ここでチャレンジしたい人が集まってきています。
この件も改めて(笑)

□地域のショールーム、チャレンジエリア
私はこれまでお話したように上越妙高エリアの「ショールーム」を目指しています。飲食だけでなく、チャレンジが見えるショールーム。地域資源豊かな当地の魅力を、新幹線という新しい交通手段の開業を機に、当地以外の多くの人びとに当地の魅力を発信する。最近はチャレンジエリアだと考えており、そこに向かった語らいや実際のアクションが必要だと思っています。

フルサットについての色々な記事
東洋経済オンライン
https://hokushinetsu-lab.jp/media/%e6%9d%b1%e6%b4%8b%e7%b5%8c%e6%b8%88%e3%82%aa%e3%83%b3%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%81%a7%e7%b4%b9%e4%bb%8b%e9%a0%82%e3%81%8d%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%ef%bc%882016%e5%b9%b48%e6%9c%8825%e6%97%a5

リフル
https://hokushinetsu-lab.jp/media/lifull-homes-press%e3%80%80%e3%81%ab%e3%81%a6%e7%b4%b9%e4%bb%8b%e9%a0%82%e3%81%8d%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f

けいナビ
https://hokushinetsu-lab.jp/media/%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2%e6%8e%b2%e8%bc%89%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%94%e7%b4%b9%e4%bb%8b%e3%81%97%e3%81%be%e3



2015年3月の予定敷地の様子。新幹線開業は3月14日。

コンテナの初号機(笑)を置いた様子。2015年秋ごろ。

コンテナの初号機を置いた様子。2015年夏ごろ。

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