
「部室」への憧れ (陸奥新報「日々想」連載3回目)
昨年の今頃、「もしもし演劇部」という企画をやっていた。弘前れんが倉庫美術館の展覧会「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」の関連企画で、10代~20代の若者を集めて演劇作品を作ったのだ。私も講師の一人として関わらせて頂いた。
美術館の計らいで、展示室2階に教室一個分くらいの「部室」を用意してくれた。部員が集まり、舞台装置やアイデア出し等の作業をそこで行い、その痕跡が残っていく。立ち寄った来館者がメモや落書きを残していく。やがてそこには「人の気配」が蓄積していった。その様を見ながら、私は静かな喜びを感じていた。これが大事なんだよね、と。
美術館のさだめとして、展示替えでその「部室」はもう無い。数枚の写真と、当時の部員たちの記憶の中だけの、懐かしい「部室」である。
どうやら私には、「部室」への飽くなき憧れがある様だ。20年近くも前、秋田県立能代高校の演劇部に入部。体育館脇の部室をノックした日のドキドキは忘れられない。イモくさい15歳の私には、18歳にならんとする兄貴姉貴たちは眩しかった。壁には演劇や映画のポスター。過去の小道具、衣装やらが点在し、音響用と称してCDが沢山持ち込まれ、解散間もないミッシェル・ガン・エレファントがよく流れていた。学校という空間に許された治外法権の様で、ちょっと危ないワクワクとドキドキと、遊び心が溢れていた。
こうした「部室幻想」はフィクションでもよく描かれる。2000年代にヒットしたアニメ『けいおん!』では、女子高生たちが放課後の音楽室でダラダラしながら、文化祭やライブに向けてバンド練習の日々を送る。あるいは現在も続く『ゆるキャン△』では、野外活動サークルの面々が、妙に細長い部室でバカ話を重ねるシーンが多く、部室だけのスピンオフ『へやキャン△』もあるくらいだ。
やはり、みんなダラダラしたいのだ。しかし、よき「部室」とは何かと考えるとき、怠惰だけでもダメであろうなと、私は気づく。恐らく、遊びに根差した創造性も同時に必要なのだ。遊び的伸びやかさと、楽しさと、試行錯誤を伴う創造性である。フィクションでは『映像研には手を出すな!』の部室が、こうした「部室」の重要ポイントを的確に捉え、濃密に盛り込んでいる様に思う。
さて、私は高校を出ても演劇を続けた。部活ではないので「部室」では無いが、演劇における「稽古場」を沢山見る事になる。公民館の一室を借りる場合もあるし、いくつかの劇団は家賃光熱費を払って自前の稽古場を持っていた。私もその一員である、青森市の劇団「空間シアターアクセプ」、青森市新町にあるスタジオは、私にとって愛すべき「部室」的空間の一つに感じている。
今、弘前で「一揆の星」という劇団をやっている。固定の稽古場は持てていないが、よき「部室」的空間を作りたい、良き関係と空間が、良き創作の土台であるのだと、そう思って日々活動している。
陸奥新報「日々想」2023年12月10日掲載分