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ダウンサイジングのゆくえ

ニュースで、仏壇のダウンサイジング需要が増えていると知った。
仏壇のダウンサイジング」という字面のパワーがすごくて
興味もないのに思わず観てしまった。

確かに大きな仏壇は存在感がある。
祖先を毎日供養する世代が減れば、そうなっていくんだろう。

いまどき仏壇がある、という家のほうが珍しいと思うし、
どんどんダウンサイジングして
そのうち、仏壇は壁掛け時計と一体化、とか
業界初 仏壇in洗面化粧台、とかになっていったら楽しそう。
観音開きの鏡を開けたら位牌とかね。

ちなみに私は、自分の身体の最後は灰にして何かの肥料にしてほしい派なので
娘にはお墓に入れてくれるな、とお願いしているが、
死んでからも自分の身体をどうこうしてほしい、と思うこと自体が我が儘なんじゃないかとも思うようになってきた。
自分への、物体としての親近感があまりないからだ。
こう感じる、このほうが好き、といった感覚のほうに自分がいると思うからだ。

子孫の家に壁掛け時計に埋め込まれて、毎日時間を知らせたり、
毎朝の身支度のたびに洗面台で挨拶するのはしんどい。

仏壇、という文化を無くすことは出来ないから、
ダウンサイジングしてなんとか継承していこうとしているのだろうけれど、
物 から結局離れられない、という通念を表しているようでおもしろい。



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