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日本一贅沢な大晦日

明治二十八年の大晦日、東京・根岸の空は穏やかに冬の日を映していました。

今から百三十年も前のこと。病床にあった正岡子規の許へ、珠玉のような時間が訪れようとしていました。まず訪ねてきたのが夏目漱石、続いて高浜虚子――。

考えてみれば、これほど贅沢な大晦日があったでしょうか。

当時はまだ、漱石も虚子も、後の大家となる途上にありました。しかし、文学を愛する者同士の静かな交歓は、きっと子規の病室に温かな光を灯したことでしょう。

私たち凡人であれば、この贅沢な情景を前に、素直に、

「虚子が来て漱石が来て大三十日」

と詠むところです。確かに、五七五の音律は整っています。けれど子規先生は、ここで次の句を披露されました。

「漱石が来て虚子が来て大三十日」

漱石が来て 虚子が来て 大三十日 
 七音    五音    五音

何気ない言葉の配置の変化が「句またがり」という技法と相まって、訪れる友への喜びを一層鮮やかに表現しています。

まるで「ああ、漱石が来てくれて、そうして虚子までも」という、安らかな感動が自然と流れ出るかのよう。

この一句には、格調を保ちつつ、同時に親しい友との穏やかな語らいを想わせる温かみが宿っています。百三十年の時を経た今も、新しさは色褪せることがありません。

年の暮れに、私たちもまた、大切な人との語らいのひとときを、この上ない贅沢として噛みしめたいものです。心和む冬の日差しの中で、お茶の湯気と共に立ち昇る言葉の温もりを感じながら…。


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