公認会計士試験の勉強ブログ
覇道
俺は公認会計士という職業に強い憧れを抱いていた。数字を扱う仕事に魅力を感じ、大学では会計学を専攻していた。しかし、試験の難易度の高さに圧倒され、一度は諦めかけたこともあった。それでも、夢を諦めきれず、休学という決断を下し、このアパートで孤独な勉強の日々を送っている。
俺は、公認会計士試験の参考書を広げ、真剣な眼差しで読み進めていた。ページをめくる指先は細く、爪は短く整えられていた。勉強を始めて3時間、俺の額には汗が滲み、少し乱れた髪が額に張り付いている。集中力を高めるため、部屋の温度は高めに設定されており、俺の肌はうっすらと汗ばんでいた。
「ふぅ…」
13時だ。一息つくために軽食を摂ることにした。とはいえ俺は一人暮らしだ。さすがに料理を作るほど意識は高くない。
徒歩2分、近所のコンビニまで歩いてパンを買いに行った。
「いらっしゃいませ」
店員の適当な声が飛ぶ。
何となく店内を見回したら『今日からパスタ30%引き!』なんて書いてある。なのにパスタはお好み焼きとか焼きそばに混ざって存在感がない。
当たり前かのように放置されているが、何か考えがあるのか?まぁ俺には関係がない。
俺は下から3段目くらいにあるパンを買った。パンは店内の中盤辺りにあった。さらに店内の奥に入っているモンスターを買った。カフェインを取りたいとかでは無いが、雰囲気的に"寝る間も惜しんで勉強してます"感を出したかった。
店員は「いらっしゃいませ!袋はご利用なさいますか?」なんて言ってきたので「お願いします」と言ってパンとモンスターを買うために3円を払った。
そして俺は家に帰った。
勉強の本格化
パンを急いで食べた。モンスターは一瞬で飲み干した。
さて、やるか…。
次の文章の空欄を埋めなさい。
貸借対照表(B/S)は、企業の( A )を示し、資産、負債、( B )で構成される。
損益計算書(P/L)は、一定期間における企業の( C )を示し、収益と( D )で構成される。
まず、"賃借対照表"が何か(A)を示すのかが問われている。
正直簡単だ。資産や負債を表すということは財務状況だ。A(財務状況)。
次に資産、負債、そして(B)で構成される。これはB(純資産)だ。
次に損益計算書が何(C)を示すか。C(経営成績)だ。仕事の評価がわかるリザルト画面のようで案外この経営成績は好きだ。
収益と何か(D)である。まぁ企業活用に基づく費用である。
この辺は基本的だな。
以下の条件に基づき、減損損失の認識方法を説明しなさい。
企業が所有する設備の帳簿価額は1,000万円。
この設備は、使用価値で800万円、正味売却価額で850万円と評価された。
この設備に対し減損損失を計上する必要があるか判断し、その額を算定せよ。
減損価格は資産の回収可能価額が帳簿価額を下回る場合だっけか?
回収可能価額は使用価値と正味売却価額のいずれか高い方で評価する。つまり使用価値(800万)、正味売却価額(850万)で使用価値<正味売却価額なので回収可能価額は850万となる。
帳簿価額(1000万)が回収可能価額(850万)を上回るので減損損失であることが分かる。
減損損失は1000万-850万=150万円。
影
僕の心には闇がある。その一片の欠片を隠し続けて生きている。
たまに闇が顕現してしまうこともあるが、最近は何とか隠している。
類似の概念にサイコパスやソシオパスがあるらしいが、僕は心の凍てつきが原因だ。いや、サイコパスやソシオパスと一緒に芽を出すこともあるが、僕は心の凍てつきである。
サイコパス、彼らは反社会的な行動を特徴とする。冷酷な殺人を犯し、良心の呵責なく嘘をつく。感情の起伏に乏しく、共感や愛情という言葉は彼らの辞書にない。心の凍てつきとの違いは、その行動の規模と影響にある。サイコパスは、より広範囲な破壊をもたらす。連続殺人や大規模な詐欺など、社会に衝撃を与える行為に及ぶ。
ソシオパス、彼らはサイコパスほど極端ではない。しかし、反社会的な傾向は共通する。嘘や操作に長け、他者を利用することに躊躇しない。心の凍てつきとの境界は、その行動の頻度と程度にある。ソシオパスは、社会生活を送る上で問題となる行動を繰り返す。嘘や裏切りが露見し、人間関係を壊していく。
心の凍てつきは、共感の欠如という点では共通する。しかし、その表現はより内向的だ。他者の痛みに無関心で、冷淡な態度を取る。自己中心性は、社会生活を困難にする。だが、反社会的な行動は、必ずしも顕著ではない。心の凍てつきは、内なる闇を抱えながら、社会の片隅で息を潜める。
僕は人の心が分からない。心の凍てつきの関連が示唆されるオキトシンは愛情ホルモン、幸せホルモン、絆ホルモンと呼ばれる。
しかし、僕にはオキトシンが分泌されない。その代わり、悪意が白を真っ黒に染める。
勉強
内部統制の目的を3つ挙げ、同時にその限界について具体的に説明しなさい。
業務手順や資源の最適化によって『効率化、有効性の向上』。適切な会計処理、虚偽報告防止による『信頼性確保』。会社法、商法、税法の『関連法規の遵守』。
限界の1つ目は『人的ミス』だ。伝票の入力ミス。たった一つの数字の打ち間違いが、会計記録を狂わせ、財務報告を歪める。この単純なミスを完全に防ぐことは不可能だ。人間は機械ではない。常に注意深く正確に業務を遂行するなど、理想論に過ぎない。
2つ目は『システムの限界』だ。どれほど緻密に設計されたシステムも、想定外の事態には脆い。自然災害や急な市場の変化、予期せぬ技術的エラーなど、コントロールの及ばぬ事象は数え切れぬほどある。内部統制システムは、そんな想定外の事態に直面した時、無力さを露呈するのだ。
3つ目は『費用対効果』だ。内部統制を強化すればするほど、その維持・運用コストは膨れ上がる。企業は費用対効果を考慮し、どこまで内部統制に投資すべきか頭を悩ませることになる。過剰な投資は企業の成長を阻害し、逆に手薄な統制はリスクを孕む。
イド
僕はインターネットで女配信者に暴言を吐くことにした。
女は楽をして稼いでいる。
女配信者がすぐに投げ銭を貰えるのは、紛れもなく男女の不公平だ。この事実を否定できる者はいないだろう。配信の世界は、男尊女卑の古い価値観が根強く残る、最後の砦と言っても過言ではない。
男が汗水垂らして稼いだ金を、女はただ可愛く微笑み、甘い声を出すだけで手に入れる。この理不尽な現実に、誰が納得できるというのか。男は労働という対価を払い、女は美貌という武器で金を稼ぐ。この構造は、性差別以外の何物でもない。
一部の女配信者は、自分の才能や努力の結果だと主張するかもしれない。だが、それは本質を見誤っている。彼女たちが稼げるのは、あくまでも"女性"だからだ。もし性別が逆だったら、同じ結果を得られる保証はどこにもない。この不平等な土俵で、公平な勝負などあり得ないのだ。
この問題は、単に個人の努力や才能の話ではない。社会が作り上げた性差別の構造が、女配信者に有利に働いているのだ。男は女に優しくするべき、女は守られるべき存在だという固定観念が、この不公平な状況を生み出している。
さらに言えば、この不公平は配信の世界だけに留まらない。社会全体が、女性優遇の構造で成り立っている。例えば、電車やバスの優先席は、高齢者や障害者だけでなく、"妊婦"にも譲られる。この時点で、男性は差別されているのだ。男性がどれだけ体調が悪くても、優先席に座る権利は与えられない。
この不公平を是正するには、根本的な社会構造の改革が必要だ。女だから、男だからという性差で優遇や差別をするのではなく、個人の能力や努力が正当に評価される社会を目指すべきである。
投げ銭の話に戻ろう。女配信者が得ている投げ銭は、男たちの"憐れみ"や"同情"の表れでもある。男たちは、女を庇護すべき存在と捉え、その美しさや可愛さに金で報いようとする。この歪んだ優しさが、女配信者を甘やかし、不公平を助長しているのだ。
真の平等を目指すのなら、女配信者への投げ銭は即刻廃止すべきだ。彼女たちは、自らの力で稼ぐことを学ぶべきである。甘い蜜を吸い続ける限り、真の自立などあり得ない。
この議論に異論を唱える者は、性差別の共犯者である。男女平等を掲げながら、女配信者の特権を認めているのは、矛盾以外の何物でもない。
特権階級
私はコスプレをし、少しあざとく振る舞い、天然キャラを続けている。まるで私は天使のように皆を包み込む。
私が楽をして稼いでいるという話があるが、そんなわけが無い。
投げ銭の多寡は、性別ではなく、配信者のスキルや魅力、コンテンツの質に左右される。女配信者が注目を集め、投げ銭を貰いやすいのは、私たちが優れたコンテンツを提供しているからだ。
男女の不公平を訴える者は、己の無能さを性差別のせいにしているだけだ。
さらに言えば、投げ銭は視聴者の感謝や応援の気持ちの表れである。視聴者は、配信者の性別ではなく、その配信を楽しんだり、感銘を受けたりした結果として、投げ銭をするのだ。この行為に、男女の不公平などという浅はかな考えは存在しない。
勉強
国際財務報告基準(IFRS)の導入が企業や監査業務に与える影響について、以下の観点から述べなさい。
財務諸表の比較可能性
会計処理の複雑さ
利害関係者への影響
難しい。しかし、公認会計士になるには論述は特に力を入れないといけない。なぜなら相対評価なので他人と比較されてしまう。
まずIFRSは世界共通の公認会計士語のようなものだ。企業は比較可能性という翼を得る。異なる国の財務状況を比較し、賢明な投資や融資の決断を下すことも出来る。企業の財務報告の透明性を高め、利害関係者に真実の鏡を提供する。投資家は企業の財務状況を透徹した目で見極め、質の高い投資決定を下すことができる。債権者は信用リスク評価の精度を高め、企業との取引を安全なものとする。
しかし、複雑すぎるので会計処理の専門性が必要になる。だが、この困難は乗り越えられる。企業は、IFRS導入のメリットを理解し、その恩恵を享受するために、会計専門家と協力し、システム変更への投資を行うべきだ。IFRSという共通言語は、企業の財務報告を国際的な舞台へと押し上げ、グローバルな競争力を高める原動力となる。
投資情報の質が担保されることで投資家が喜ぶ。企業の信頼性確保が臨めるので債権者が喜ぶ。企業の業績が反映されやすくなるので従業員が喜ぶ。企業の安定性が知れるのでサプライヤーが喜ぶ。企業の透明性が確保されるので政府や規制当局が喜ぶ。
分身
社会的規範とは無垢であることか。人に一切の悪意を持たず、責任は全て内省し、徳を持って生きる。
まるで社会的役割の分担に自分を当てはめてひたすら自我を無視して無意識レベルで自分を確立して駆り出すようだ。
もし、個性を殺すことが規範だと言うならそんなの要らない。
なぜ光に当てられたら縮こまらなければならないのか。なぜ我々のような闇は封じ込められないといけないのか。社会の有り様に疑問を持つこと自体がこの世ではタブー、なのに暗部は正論であることが多い。
僕の存在はアクシオンである。アクシオンは仮定の話でまだ見つかってない素粒子だ。別に見つかってないという部分が僕に似てる訳ではなく、素粒子の性質だ。
この素粒子は光の近くに来ると必ず真っ暗になって見えなくなるらしい。だから人々から観測されないんだ。なるほど、思考を放棄した物理学の限界だな。だけどなるほど、だから光は僕を無いものとみなすのか。
補足をすると見えないと言うよりは光とアクシオンが変換する可能性があると言われいる。
勉強
以下の監査意見について説明しなさい。
無限定適正意見
限定意見
否定意見
意見不表明
言うなれば監査意見のランク付けのようなもので、上から順にランクは低くなる。会計士が下すこの判断は、投資家や企業の命運を分けるほど重大な意味を持つ。
無限定適正意見とは財務諸表が完璧であることを示す栄えある称号だ。会計基準に適合し、正確無比な数字が並ぶ。投資家にとっては、これ以上ない安心材料となる。企業もこの意見を得られれば、信用力や資金調達で有利に働くだろう。
しかし、世の中は甘くない。限定付適正意見という落とし穴が待ち受ける。これは、財務諸表に不適切な点があるものの、影響は軽微と判断された場合だ。不適切な事項が具体的に示されるとはいえ、企業の信頼性に傷がつくのは避けられない。投資家は慎重になり、企業は説明責任を果たさねばならない。
さらに状況が悪化すると、否定意見が下される。財務諸表が不正確で、企業の体面はズタボロだ。投資家は背を向け、企業は存続の危機に瀕する。この意見は、企業にとって最悪の烙印である。
そして、意見不表明。これは監査人が白旗を上げた状態だ。証拠不十分で判断できず、財務諸表の信頼性はおろか、企業の信用も地に落ちる。投資家は不安に駆られ、企業は疑惑の目で見られる。
制御不能
僕は公認会計士の勉強をしているが、誰からも承認されない。そもそも僕は別に女が金持ちになることが嫌な訳では無い。むしろそんな簡単なことなら一生懸命足を引っ張る。
やっぱり1番は優越感に浸って僕のことを下に見てそうなところだ。
男なんて全て軽薄なんだよ。どうせお前に金を渡してそれなりに美味しい思いをさせても、老けて価値が薄れたらお前に金なんて渡さなくなるぞ。軽いファン相手に一生懸命媚びてファンサしてあたかも一生の応援を期待しているその傲慢な感じが腹立つ。
視聴者を魅了した気になってるが、社会的な価値は断然僕の方があるんだ。公認会計士試験に合格した瞬間、その価値の裏が取れる。そして圧倒的な役割を与えられる。
老いて女的な価値を失った女は、哀れな存在だ。若さや美しさに頼り、他人の援助で生きてきたような女は、その価値が失われた時、自らの無力さに直面する。
他人の施しで生きてきた女は、己の力で生き抜く術を知らない。甘い蜜を吸い、依存してきたその身は、自立という概念すら持ち合わせていないだろう。年を重ね、若さという武器を失った時、彼女たちは何を糧に生きていくというのか。己の無能さを呪い、過去の栄光に縋りながら、惨めに朽ち果てるのみだ。
援助で生きてきた女は、己の価値を過大評価している。若さや美しさという一時の輝きに溺れ、それが永遠に続くと錯覚しているのだ。しかし、時間は残酷なまでに平等で、老いという現実を容赦なく突きつける。その時、彼女たちは己の浅はかさに気づくが、もはや手遅れだ。
女的な価値を失った彼女たちに、社会は冷たい。若さや美しさという資本を失った時、誰が彼女たちに価値を見出すというのか。誰もが若さや美しさを求めるこの世界で、老いた女に居場所などない。哀れな女たちは、己の愚かさに気づき、後悔の念に駆られるだろう。
他人の援助で生きてきた女は、己の人生を生きていない。他人のお情けで生き延び、自らの意志で道を切り拓くことを知らない。そんな生き方は、真の人生とは呼べない。ただの寄生虫だ。老いて寄生先を失った時、彼女たちは己の空虚さに気づくだろう。女的な価値を失った女は、己の無価値さを世間に晒す。若さや美しさという仮面が剥がれた時、彼女たちは醜い本性を露わにする。その醜悪な姿は、見る者の目を覆いたくなるほどだ。誰もが避け、蔑み、嘲笑う。そんな惨めな末路を辿るのが、他人の援助で生きてきた女の運命だ。
老いてもなお輝き続ける女もいる。しかし、それは己の力で道を切り拓き、真の価値を磨いてきた女だ。他人の援助に頼らず、自らの才覚で人生を切り開いてきた者だけが、真の美しさと強さを手に入れることができる。
他人の援助で生きてきた女は、己の愚かさに気づくべきだ。若さや美しさという儚い輝きに執着し、真の価値を磨くことを怠った結果が、老いてからの惨めな姿なのだ。己の無能さを認め、後悔するなら、今すぐ真の人生を歩み始めるがいい。さもなくば、老いて女的な価値を失った時、その代償を思い知ることになるだろう。