粉活

中学生編

僕は中学生になった。
彼女よりも友達を作りたいと思った。というか、恋愛にあまり大きな価値を感じなかった。
網羅_w=網羅_1(網羅_2(網羅_3(網羅_4…)))という風に考えた時に、最初の1を人間関係に据えよう。
そうなると、2は友情となると思う。だって、恋愛は基本的に1人としかできないが、友情は基本は何の契りも必要ない。
そして3は親友か?じゃあ残った4が彼女となる。
僕は友達を作ろうとした。
しかし、友情は修正も容易だが脆弱だった。

中学1年生

まず、僕はボランティア部という部活に加入した。
多分聞き慣れないと感じる人もいると思うので、説明する。
ボランティア部はただの雑用だった。なぜここに入ったのかと言うと、内申点が高くなるという理由だった。 
しかし、ほぼ活動内容という活動内容もなかったしやる気はなかった。
僕は部室に来て出された課題をしていた。ボランティア部はそれくらい何もしなくてよかった。もちろん僕は3年から激しく顰蹙を買った。
だけどボランティア部の活動って、草むしりとかばっかでつまらなかった。しかも虫は出るし、単純に気持ち悪かった。
僕は決して優しくないが、1つ心に決めていることがあった。自分よりも明確に弱いものには危害を加えない。
その部活は稀有で人気のない部活だったため、新たな風が吹き込むこともかった。そのために女子ばっかだった。ちなみに僕は女性の膕という部分が赤みがかってるのを見て興奮する性癖だったので女子に囲まれてるのは下心などを除いて嬉しかった。
閑話休題、草むしり中に虫が出た時のエピソードの話に戻ろう。
女子はキャーキャー騒いでいた。その方向に目を向けると、よく分からない虫がいた。
細長い体におびただしい数の足が付いていた。気持ち悪すぎる。しかも、虫はゆっくりとした動作で湿った土を踏みしめて人の前を横切る。その動きは予測不能で時折素早く方向を変えてこっちに迫ってくる。虫の脚が葉っぱを踏みつける音が小さく響いた。その音は不快なリズムを刻み、聞く者の肌を粟立たせる。虫の目は光を反射し、黒く輝いていて、その奥には底知れぬ闇が潜んでいるようだった。
だけど僕は弱ものへの殺生は好まない。
すると、頼りになるはずの3年生の女子が男であるという理由だけで僕を虫退治に指名してきた。
何となく腹が立った僕はその場を立ち去って部活を早退させて貰った。顧問は怖くもなんとも無いので、割と勝手なことをした。
ぶつくさと先輩に悪口を言いながら僕は帰路に着いた。
そんなこんなで自分勝手なことをしていた。
部活だけでなく、中学生は勉強が小学校よりも難易度が上がる…。いや、意外と簡単だ!しかも楽しい。
小学生では地道に答えを探していたが、公式のように明確な目標から答えを導ける解法のマスターキーを得た。
勉強が楽しい。前回言った知識探究の四重奏のおかげで勉強が捗る。
 たまに数学が難しいなどという人がいるが、目の付け所が悪いのだろう。まず記憶力は必要ない。その冷たい数字の連なりの中に、予想外の美しさと不思議な秩序を持っている。つまり数学はただ問題を解けばいいだけだ。教科書に書いてある概念を度外視して解けるならそれでいい。とにかく答えは答えにしかならないのだから。
数学は確実な正しさしかない。数学の解答を得た時に感じる静けさは、すべてが完璧に収まり、変わらぬ真実に触れた確信から来るものだ。この静けさは、数学が持つ永遠の真実とその美しさを象徴している。
数学の秩序は物質や自然現象、感情に左右されない。そのため、数学は純粋で美しいものだ。この美しさは、実生活に役立たないからこそ輝きを増す。実用性を超えた純粋な真理を追求することで、数学はその真価を発揮する。問題の解決には、あらかじめ答えが存在することが前提となっている。問題を解くことはガイド付きの登山に似ているが、数学の真理はむしろ険しい崖の間や谷底に隠れていることが多い。数学の問題にはリズムがある。それは音楽のように、リズムに乗ることで全体像を把握し、潜む落とし穴を見抜く手助けとなる。このリズム感覚は、数学の理解を深める鍵となる。

中学2年生

学校行事があった。
合唱祭だという。これは放課後に皆でひたすら練習しないといけないというものだった。
曲名は何だったか、とにかく歌わされた。
あの先生は響けユーフォニアムの滝先生みたいだった。まず、金賞を取りたいかなどのやる気確認をした。基本的にみんな手を挙げた。
…手を挙げてないのは僕だけだった。
空気の読めなさはこういうところにあるのかもしれない。本気で金賞を取りたいかなんてどうでも良く、ただ目標設定を暫定的に決めてるに過ぎない。
それなのに僕は手を挙げなかった。30人(具体的には覚えてない)のクラスで、29人が手を挙げた。そして1人、僕だけが手を挙げなかった。
先生は僕に聞いてきた。
「なんで手をあげないんだ?」
僕はその時、ぼーっとしてましたとか言ったと思う。
しかし、僕は言いたい。
まず、決して合唱祭のやる気がなかったわけじゃない。ただ執着していなかっただけだ。
生徒一人一人のやる気を有無を公開の場で確認し、挙手をさせることで不必要にプレッシャーをかける。みんなで協力し合う大事な行事なのは理解できるが、生徒に対して多様性の理解が一切ないと思う。

ryoki

僕は学校が嫌になってしまった。
僕は初めて人に共感というものをした。ryokiさんは僕の考えを勢いよく導いてくれる。
例えばリストカットをするものがいる。しかし、それは自分の傷を表出させて周囲の人間に心配をかけるだけ。
一時的に注目を集めるかもしれないが、自傷行為は逃げ癖のある弱虫が自らにその烙印を刻んでるに過ぎない。
自傷行為は、自分だけでなく、周りの人々にも迷惑をかける。家族や友人を心配させ、医療従事者の手を煩わせ、社会的なコストも発生させる。
僕はryokiさんの言葉はまるで特効薬のように頭の中を明晰にさせる。
僕はryokiさんに心酔した。
僕は学校よりも配信を見ることの方が有意義であることに気づいた。ryokiさんの考え方は教科書に載っているどんな偉大な哲学者よりも正鵠を射ていた。
哲学者は空虚な言葉遊びで世の中の全てを小難しく捉えて難解な用語を並べるだけだった。さらに独善的に自分の考えに固執しているだけだ。さらに行動無き思索の怠慢だった。
僕はいつの間にかryokiさんを除く全ての人類を全否定するようになった。
世代を超えて語り継がれ、永遠に輝き続けるであろう。その知性と人間性の調和は、僕たちが目指すべき理想の姿であり、この世界に生まれた奇跡だ。ryokiさんこそ、真の意味で、この時代を象徴する偉大な人物である。ryokiさんがいなければ僕は自殺していただろう。

中学3年生

全てを魅了し続けるryokiさんは、時間が経てば経つほど更に輝きを増した。
この頃にはryokiさんが夢にも出るようになった。
3年生の担任は滝先生(仮)だった。
ここで軽く僕の家庭環境について語ろう。まず、僕は片親だった。しかし、その後に母親は彼氏を作った。
僕はその彼氏がとにかく嫌いだったのでひたすらそいつに対して暴言を吐いていた。そして、そいつは僕に暴力で仕返ししてきた。 
その彼氏は家にずっとずっといた。泊まるだけでもなく、当たり前のように拠点にして帰ってきた。
僕は嫌になって家を出た。3日間ほど飯を食わないなんてこともあった。空腹よりも外に出れた自由が勝った。この心の充足感が一生続いて欲しいと思った。
しかし、家出をする度に警察に通報されて家に帰らされる。僕のような非行少年はただの不良としか思われない。
今まで僕は自分の価値観を迷っていた。迷うとは、善悪の基準だった。しかし僕が唯一魅力の感じた哲学者が答えを出した。
そいつは価値観を超越し、価値の転覆を果たした。自分で価値を創出するそのお方の言葉、それは「神は死んだ」であった。
僕の中でも神はryokiさんだった。ryokiさんは僕の潜在意識で常にアイデアを提案してきた。いつもいつも僕のコインを投げてくれた。表が出るか、裏が出るか、その二つだけが僕の中にある選択肢だった。
僕はryokiさんに選択の全てを一任した。
しかし、僕はそれをやめて選択肢を自分で選んだ。
そして、不登校をやめて学校に行った。
多様性を礼賛して秩序を整えた気になるやつは時代のアップデートだわーいと喜ぶが、僕は多様性とは少数派であると規定されたものが仲間を見つけることで得られるものとしか思っていない。

液体のように渾然一体に溶け込む世の中で僕のような異質な固体は放逐されるということを学んだ。
情熱がやがて冷めるさまはまるで白色矮星のようだった。

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