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『人生を変えたコント』感想
こんにちは。在宅ワーク最高です。
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11月25日、霜降り明星せいやの初著書である『人生を変えたコント』が発売された。
私はどうしても発売初日に買いたくて、
仕事帰りに書店を3つ回り、ようやく在庫を見つけて購入した。
ラジオもYouTubeもずっと追って応援しているせいやが、多忙の中で何ヶ月も(もしかしたら何年も?)水面下で赤いペンで手書きで書き進めていた文が遂に書籍化。文字が赤いの、呪いみたいでいつ見ても笑う。
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物語はせいやが高校1年生の頃の実話を基にしている。「この経験を、自分が大人になった時に本にして残したい」と当時から思っていたらしい。
そして、「暗いシーンもあるがなるべくポップに書きたい」とも語っていて、せいやが自分の経験をどう文字に残すのか楽しみにしていた。
翌朝(今朝)読んで一気に読了したので、
その感想をここに記していきたい。
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感想を大きく3つに分けて伝えたい。
⑴想像の何倍も、壮絶。
せいや(イシカワ)は高1の頃「いじめ」を受けていた。
文化祭でオリジナルのおもろい劇を作り上げ、一躍ヒーローとなったことで「いじめ」を跳ね除けた話、ということは前々から知っていたのだが、初めて「いじめ」の具体的なところまでを知って衝撃的だった。
せいやがハゲていることは今もよくいじられているが、ストレスで円形脱毛が酷く進行していた過去を知るともう笑えないかもしれない。
入学早々些細なことがきっかけでいじめが始まり、
イシカワは「自分がおもろい人間であることを証明したい、一軍男子に気に入られたい」という気持ちのもとで、さまざまな策略を練るがことごとく空回りし、いじめがエスカレートする悪循環に陥る。
当初はクラスの誰もがイシカワ達を静観していた。いじめがエスカレートしても「これが日常」と、状況をスルーしている。
臨床心理学の授業で “いじめの階層構造” を学んだことを思い出していた。いじめを受けている当事者を取り巻く構造として、直でいじめを行う加害者、そしてさらにそれを取り巻く傍観者がいる。傍観者も含めていじめは成立しているのだ、という理論だったような。
傍観者も本来は加害者くらい悪質だと私は思っていて、「このクラス全体の空気感こそがいじめの正体だ」とせいやも語っていた。この言葉はかなり核心をついている気がする。
この本では、いじめは受けつつイシカワの味方が少しずつ増えていくアツい展開になるが、それはイシカワの根っこにある人の良さと、「どれだけ辛くても学校は休まない」というプライドが、クラスメイトを味方にしたのかなと思った。
日に日にハゲていくイシカワを目の当たりにして、事の重大さにようやく気づいたと証言するクラスメイトもいた。毛量の変化は、もしイシカワが早々に不登校になっていたら気づけないことだろう。
でも休まないのはあまりにも強すぎる。普通は自分のメンタルを優先して休んだ方がいいと思います。
とはいえせいやがこの本で伝えたいことは、いじめへの提言でも、いじめてきたヤツらへの復讐が成功したぜ!って事でもないはずだ。
人生のどん底を笑いの力で跳ね返したという自分の原体験。最終的にはクラスも学校全体も笑いに包ませたという経験が、今のせいやを作り上げているし自信につながっているのだろう。
とにかく笑えれば、最後に笑えれば。
それでいい。
ウルフルズを聴きながら何度も気持ちを奮い立たせたあの頃の自分、自分を認めてくれた友達やクラスメイト、どれだけ不安でも自分を信じて見守ってくれた家族への感謝の思いがとにかく詰まっている。いじめっ子に対して恨みつらみを吐いている本ではなく、ただただ自分を見ていてくれた周りへの暖かい気持ちが綴られており、石川晟也という人間の人の良さが見える。
沢山るびが振ってあったし読みやすい文章だ。
中学生、高校生にも読んで欲しい一冊である。
⑵ 思春期特有のカースト、自己意識
少し自分語りします。
私も小学校5~6年ぐらいにかけて、クラスの1軍女子に軽めのいじめを受けていた時があった。自分もその子たちと仲良くしている、と思っていたのだが、そう思っていたのはどうやら私だけだったようだ。
当時私はそれとは関係なく学校に行けていない時期があったりして、いつも疎外感を感じていた。
私の場合、小6で転入してきた子と仲良くなり、関わる友達を変えたことで、悩むことはなくなった。
この本を読んでその頃を思い出したのだ。
イシカワは高校デビューですぐにでき始めた一軍のグループに入りたい、と焦る。しかし早々にスベったことがきっかけで一軍男子に目をつけられる。
さすがは大阪。おもろさでカーストが決まるのか、とそこは感心してしまった。
カーストって今考えるとどうやって形成されるかという基準も曖昧で、根拠もないくせに効力はやたらとでかく、だいぶややこしい。意味がわからない。
しかし思春期は「アイデンティティ」を確立する過渡期であり、つまりは確立しきっていない。自分がどんな人かを知ろうとする指標として、他者からの評価、視線が大きいところを占めてしまう。
自分は他者に何をされたら嫌か、ということを知り、苦手な人とは適度に距離を取る、あるいは縁を切る、ということを自分の意志で決めるのが難しい段階。
高校だとまだ自分の所属といえば学校と家族ぐらいしかないだろう。価値観の多様性は広がりにくく、息苦しさも感じやすい。
だからこそ、周囲の人全てからの視線が気になる。
そんな思春期特有の葛藤が手に取るように伝わって、面白かった。
⑶家族愛
イシカワは家で気丈に振る舞い、「ここで通わんくなったらあいつらに負けたみたいになって嫌」と、学校に通い続けた。髪の毛が抜けても、三者面談になっても。
お母さんが編んでくれたニット帽もいじめっ子によって東大阪のドブ川に沈んだ。その時も、家に帰ると「失くした」とお母さんに嘘をついた。
いくらいじめられても泣いたり怒ったりしなかったが、お母さんが作ってくれた弁当を床に落とされた時は怒りをあらわにした。
遊びをハブられた時も筆箱を隠された時も、親には気づかれないように家のリビングでは明るく振る舞い、自室で泣いていた小5の私と重なり、苦しかった。
お母さんに心配をかけたくない。大好きだからこそ、頼れない。イシカワの場合は妹が2人いて、お兄ちゃんだからしっかりしなくちゃという責任感もあったかもしれない。
イシカワを信じて学校に通わせ続け、支え続け、しっかり劇を見届けたお母さんが泣いていたというシーンは印象的である。
子どもを信じて通わせ続けるというのは勇気がいることだろうが、イシカワもお母さんのサポートがなかったら心が折れていたかもしれない。本当に立派だ。
そして、いじめっ子の首謀である黒川と、イシカワの味方になったヤマイという同級生の関係性もひとつ見所で、家族のあり方が子どもにどんな影響を与えるのかが、よくわかる。
ここは本筋とは少し逸れるのだろうが、いじめっ子がいじめっ子になった背景も見えてくる。家庭環境って人格形成において影響デカすぎるんだよな、、
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せいやの初著書を読んで思うことはまだまだ沢山あったが、とにかく今、私はメンタルが辛い時も疲れた時もせいやに元気をもらい、笑わせてもらっている。
せいやのように全ての経験を糧にして、自分を大切に思ってくれている人への感謝を忘れずにいたいと思った。🌱
心理を学んできたからか、心理と絡めて思うことがたくさんあったのも面白かった。定期的に読み返したい