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一年後、は何をしてますか。

私はすぐ、「1年後」を想像してしまう。
未来に期待してしまう。
それは特に、なにかすごく綺麗なものを見たときとか、想像をはるかに超えた絶望を味わったときなんかによく起こる。
去年、バイト仲間とお花見をしたときには「一年後、
私は一体どこで、誰と見ているんだろう」と思ったし、
高校の同級生と花火を見たときにも「一年後、私は一体どこで、誰と見ているんだろう」と思った。

実際には、一年後のお花見は見知らぬ土地で一人、
「早く地元に戻れますように」と祈りながらただひたすらに桜を見上げていたし、花火だって知らない町の、
見知らぬ人たちでごったがえした小さなお祭り会場で、抽選券も持たずただ結果だけを聞き流しながら、
200円の気の抜けたコーラを片手に見上げていた。
一年後、どうなっているのかなんてわからない。
ただそれは悪いように、だけでなくいいようにもなる。
「一年後」とはいわず、明日明後日の単位でも状況は変わる。今日は何にもうまくいかない、踏んだり蹴ったりで八方塞がり、にっちもさっちもいかない、まるで世界でたった一人取り残されたように感じても、その日の夜に友人からLINEが一通来るだけで、楽しみな予定が一つスケジュール帳に入るだけで明日は、
もう少しだけ生きてやってもいいか、もう少しだけ
知らない土地で踏ん張ってやってもいいか、と思える。
きっとそうやって誰しもが、かれこれ今日まで生きてきた。生き延びてきた。
明日に期待して、明日に裏切られて。

将来のことを考えると、果てしなく続く毎日と不確定な要素に押しつぶされてどうしようもなく嫌になる。
でも少し先にある友人と会う予定や実家に帰る予定、
旅行の計画なんかの未来に助けられて今を踏ん張れる
こともある。
将来とか、未来とかは相反する側面をもっていて、
私たちを不安定にさせる。

さあ、一年後私は、どこで何をしているのかな。

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