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『小鳥ことり、サクラヤマのぼれ』17

 【サクラヤマのぼれ】
 
 長いと思っていた夏休みも、やはり終わりがあった。
 団地に帰ってきて、掃除や学校の支度に数日費やし、さていよいよ明後日から新学期だ。
 夏休み最後が土曜と日曜、というのも何か郷愁を誘うものだ、とヒワは窓の外に広がる大山の景色を眺め、ひとり溜息をつく。
 日が傾きかける頃だった。
 まだ夏の気配は消え去っていないものの、北の空は黒くて厚い雲に覆われてどこかひんやりと湿った風が窓から吹きこんでくる。
 ひぐらしの声が響く。それは消えるかと思えば次が続き、それが消えようとすれば次が……と絶え間がない。
 哀しい声だな、とヒワはぼんやりと音を追う。次々と奏でられるその歌は、いつまでも終わらない哀しみのようだ、そう思ってふと、どうしてこんなに悲観的になるんだろう、と目をしばたかせる。
 もっと明日のことを考えないと。ヒワは窓を開けたまま部屋に戻った。
 ひぐらしの声の中でつらつらと思う。せめて夕飯はちゃんとしたものを作ろうか、それよりも明日の持ち物をもう一度確認した方がいいか、天気が悪くなりそうなので洗濯の予約をどうしよう、雨合羽すぐ使えるかな……小さな家の中であちこち飛び回っていて、ヒワは最初、そのメールに気づかなかった。
 ダイニングテーブルの上、充電しっ放しになっていたスマホの脇を通った時、小さく着信音が鳴った。
 ヒワは何気なくタップして、顔をしかめる。気づいたら十三件も着信が溜まっていた。
 家族や友だちならばたいていラインをよこすのに、十三件すべて通常の携帯メールだ。
 バイト先から緊急連絡でもあったのか、と受信フォルダを見ると、宛て先はまったく知らないアドレスだった。
 しかも、十三件全て同じ宛て先からだ。
 驚いたことに、最初の着信は三十分ほど前だ。ほとんど間を開けず、次々とメールが来ていたことになる。電話帳に登録していなければすべて宛て先不明フォルダに入るはずなのに、なにくわぬ顔で受信フォルダに収まっている。
 どういう仕組みでこんなことになるんだろう、ヒワは何気なく最新のものを開いてみた。
 文字が目に入ったとたん、目の前が真っ暗になった。
『あなたとります サクラヤマノボレ』
 以前、祖父に聞いた話がまざまざと蘇ってくる。
―― 白鳥村じゃ、何かことがある度にな、サクラヤマに上れと言われてるんだ……知ってるかい? サクラヤマに入ると不浄の身となる――
 目玉ババアも笑ってはいたが、こう歌ってみせたのだ。
「オオゴトあらば、サクラヤマのぼれ
……雨が止むまで、出ちゃならん」
 どうしよう、どうしよう、ヒワはスマホを抱えて部屋の中を見回す。
 誰かに相談した方がいいだろうか?
 目玉ババア? いや、すでに警告は受けているのだ。
 このことだって、知っているから、あんな歌を歌ってみせたのだろう。もしかしたら、彼女の仕業なのかもしれない。
 この地区を逃げだせばいいんだろうか? 
 でも、菅田吉乃だって地区の外で死んだのだ。
 呪いからは逃げられない、直観的にそう信じてしまった。
 自分自身がかつてケンイチに言った「ここからは逃げられない」のことばが今まさにブーメランとなって舞い戻り、つき刺さっている感じだ。
 智恵は海外出張から帰ったばかりだから、多分、しばらくは家にいるだろう。しかし今から来て、と言っても間に合わないかもしれない。
 だったら……
 急にスマホが鳴り出して、ヒワは思わず叫んで飛び上がった。
 ずっと鳴っているのでおそるおそる画面を見る。
 ケンイチの妹の、ルリコから電話だ。
 あのルリコがわざわざ電話をよこしたというのが気になって、通話ボタンをタップする。あのね、といきなりルリコが用件を切り出した
「ヒワちゃんとこに、変なメール行かなかった?」
 えっ、としばし絶句する。あれはルリコのいたずらだったのだろうか?
 しかしルリコは淡々と続けた。
「さっき、ウチのメールにサクラヤマにのぼれ、って来たんだけど。おニイのとこにも」
「ケンちゃんとこにも?」
「そ。おニイ、カゼらしくて昼から熱出てきて寝てるけど」
「寝てる?」
「電話ほっ放ってあったから、ウチがみたらやっぱりおんなじメールが」
「ケンちゃんには言ったの?」
「言ったよ、でも、ぼおっとしてただけ」
「おじいちゃんには話したの」
「まだ帰ってこない、探す暇はなさそう」
 ヒワはごくりとつばを飲んでから告げた。「私のとこにも来たんだ、メール」
 今からそっちに行っていい? といつもよりやや早口でルリコは言ってから、ヒワの返事も待たずにすぐ電話を切った。
 ヒワは辺りを見渡して、そうだ、何時になるか分からないから用意をしないと、でも何の用意を? と右往左往していたが、とりあえずデイバックをひとつ用意してから、家の中から使えそうな懐中電灯やペンライトを集めてきた。
 それに雨合羽。空はすでに黒っぽい雲に覆われてきているようだ。
 部屋の灯りをつけて、更にスナック菓子や非常食をいくらか玄関先のリュックから引っ張り出した。
 
 十分も経った頃、ようやく自転車のスタンドの音が外から響いてきた。
 何だか、思ったより話声が多い。ヒワが玄関ドアの穴からのぞくと、背の高いケンイチの周りに、なぜかもう四人ほど、小さな影があった。
 ルリコがドアチャイムに手をかけようとしたタイミングで、「開いてるよ」とドアを引きあけると、ルリコはいつになく驚いたような目でまじまじとヒワを見つめた。
「入って」
 そんな子どもらしい表情にちょっぴり優越感を覚えつつも、彼らを招き入れようとするが、ルリコは
「時間がないかも」
 そこを動かず、後ろの子どもたちを見やった。
 同じように目を移すと、ルリコとケンイチの他、あと三人、無表情にそこに立っていた。ルリコと同じく中学生らしい男子ひとりと女子ひとり、女子が手を握っているのが、三歳か四歳くらいの男の子だった。
 中学生の男子には見覚えがあった。ケンイチと仲の良かったユウマという子の弟だろう。
 顔が昔のユウマにそっくりだった。
 ルリコが早口で説明する。
「紹介する、みんな団地の子で同じ学校関係ときょうだい関係」
 めちゃくちゃ大雑把な紹介の後、ルリコは矢継ぎ早にこう訊ねた。
「ヒワちゃんちの奥の、滝の上り口からサクラヤマに近い道がある、ってお兄から聞いたんだけど、ホント?」
 以前智恵と登った、細い山道のことだろう。分岐はあまりなかったと記憶しているが、地元の山に詳しいケンイチの方がもっと詳しいかも、と言いかけて彼を見ると、彼の目はうつろだった。
 よく見ると立っているのもやっとのようだった。
「……分かると思う」ケンイチの口がゆっくりとそう動く。
「よかった」ルリコがようやく、顔のこわばりを解いた。
「けどケンちゃん、熱は?」
「寝たらだいぶ、よくなった」
 どこか棒読みでケンイチが答える。
 ルリコが続けた。
「農道入口のほうは、よく分かんないけど大人が集まっていたんだ、車も何台も停まっていて、誰かがちらっ、とサクラヤマで、って言ったのが聴こえてさ。見られたらまずいかも、と思って知らん顔して通り過ぎてきたのよ」
「ルリちゃんとすれ違わなかったら、農道から上ろうと思ったんだ」
 脇の女の子が言った。初めてみる子だったが、ルリコが先に教えてくれた。
「同じ中一のみっちゃん……ミチエちゃんと、弟のツヨシくん、それと同じクラスのスガオくん。団地の入口近くに立ってキョロキョロしていたから、声かけたら……」
「ヒワ、ちゃん、だよね」久々に会ったスガオは、名前を呼びにくいようだった。
「ここの少し奥側に住んでる」
 夏休みに、ヒワがなかなか団地にいないようだ、と気にしていたのはこの子だったのだろうか?
「あの、オレも、ヘンなメールを受け取って……ルリコに相談したらさ」
 泣き出しそうなスガオから目をそらし、今度は『みっちゃん』と呼ばれた少女を見る。彼女は弟の手をさらにかたく握ると、目を上げた。涙が一杯溜まっているが、その光は強かった。
「ウチは違うんだけど、つよしが外で、しらないおじさんからお手紙もらった、って」
 反対の手の中にくしゃくしゃに握り込んだ紙を差し出す。
 そこにはタイプで打ったようなぎくしゃくとした文字で
「あなたとります サクラヤマノボレ」
 と、あった。
「だからつよしひとりじゃ無理だと思って」
 ルリコが呆れたように脇で言った。「代わりに連れて行くから、って言ったんだけど、どうしても自分で連れてくってさ」
 でも、雨が降って、それが止むまで帰って来られないんだよね? とヒワはつぶやくように言ってケンイチを見た。
 顔がまだらに赤いのが、暗がりになってきた中でもはっきりと判った。
「いこう」
 ケンイチがどこかうわの空でそう宣言して、六人は動き出した。

 生垣を通してちらりと隣家に目をやる。組長の富田林が見ているらしいテレビの音がけっこう大きく響いていて、何かの切れ目に、彼が
「ははははははは」
 と大笑いしているのがちょうど聞こえてきた。
 日頃のねっとりした口調とは違って、とても朗らかに笑っている。
 ヒワは目の端にその明かりを残し、ぼんやりと歩を進めるケンイチの後に続いた。

 どんどんと暗くなっていく夜の、しかも上りのきつい山道ということで、危なっかしいことこの上ない。
 それでも、ペンライトやスマホ、百円ショップの簡易ライトなどでけんめいに前を照らしながら、ヒワたちは前のめりに先を急ぐ。
 がさりと薮が鳴る度に、誰かが追いかけてきたのではないか、とびくりと身をすくめてはまた歩を進める。
 ミカン畑の中をジグザグに上っていって、境に残された雑木の帯を越えると、おぼろにもやを纏った満月のもと、コンクリートの車道と、太い幹とよく茂った枝がもつれたようになった塊がぼおっと浮かび上がっている。
 車道を五〇メートルほど上がれば、もうサクラヤマだ。車や、人の影が上って来ている様子はまったくない。
「はやく、走って」
 ヒワはふり返りながら叫ぶ。「桜の下に!」
 彼らは必死にそこまで駆けて行った。小さなツヨシも腕をぶんぶん振ってけんめいに走っている。
 ケンイチは特に、大儀そうだった。熱がまたぶり返したのだろうか、足をもつれさせるように坂を走っている。
 サクラヤマの入り口、山道に細い丸木を嵌めこんだ急な数段を手をつくようにして駆け上る時にはケンイチの頭は大きく揺れていた。そして、太い幹の桜が二本並ぶところだけ、縄が張っておらず入口のようになっている間をくぐったとたん、そのまま前のめりに倒れ伏した。
「ケンちゃん!」
 ヒワが呼びながら腕を引っ張る。手が熱い。
「サクラヤマに入ったよ、もう大丈夫だから。ねえ、起きてよ」
「ヒワちゃん」
 脇にいたルリコが、そっとヒワの袖をひっぱる。「あの子たちさ」
 ヒワは思わずケンイチの腕を取り落とした。スガオもミチエも、小さなツヨシも広場の奥に注視している。
 奥まったあたりから、ぴょこんと数人が立ちあがったのだ。どれも、子どもだった。
「だ、だれ?」
 先頭にいたのは、ヒワより少し背の小さい少年だった。まだ声が替わりきっていない。
「アンタたちこそ、だれだよ? アンタたちもヤベ先生の知り合いか?」
「ヤベ先生?」
「神社で、ヤベ先生がどっか行っちゃって」
 少年は急に不安げな声になる。
 彼らは元白鳥のすぐ下にある小学校区の4年から6年の子どもたちだった。公民館の「冒険クラブ」というイベントで、「少し北の方にある」地区に冒険に来たのだそうだ。引率役はヤベじい、しかし、冒険の途中でヤベじいは電話を受けた、そして電話の後、ヤベじいは子どもらに、お寺に急用ができたのでちょっと降りてくる、すぐに戻るから、と言い残し、まっすぐに近道の急坂を降りていったのだと言う。
 しびれを切らして待つ子どもらの所に、今度は別の男性が現れた。ヤベ先生は戻ってこられなくなったのと、近くでイノシシが出たと言うので今から安全な所を通って帰ります。決してはぐれないように、ついて来てください、そう言うと、彼はクラブの子どもらを率いて、細い山道伝いにこのサクラヤマまで連れてきた。
 男はサクラヤマの上り口まで彼らを引率すると、一人ずつ広場まで上るのをじっと見守って、みなが中に入り切ったところで下からこう声をかけた。
ここで待っていれば車が何台か迎えに来るんで、動かずに待っていてください、なに、このサクラヤマの中だったらイノシシは絶対入って来れないんで、だいじょうぶ。すぐに迎えが来るんで。
 ひとりの女子が指さしてこう訊ねた。
「ここの少し下に停めてあったの、おじさんの軽トラックですか? 荷台にみんな乗せてもらえないですか?」 
 おじさんは少し困ったように笑顔を見せて
「荷台に野菜が一杯乗ってて」と言ったのだそうだ。
「途中まで車で来たけど、慌ててたし、こんなたくさんの子は乗せられんで……みんなそろってた方がいいで、な?」
「あれだったら、みんな乗れたのにさ」奥の小太りの少年が口をとがらせる。
「ケチケチゴールデントラックめ」
 尋ねるヒワの声がかすかにふるえる。
「ゴールデントラックって?」
 金ぴかだったよ、ゴールデンなホンダだったと車好きそうな先ほどの少年が答える、が、ヒワにはその声はどこか遠くから響いていた。
 口元をおさえるヒナに、ルリコがさりげなく寄り添って、腕を軽くさすった。
「でさ」
 ルリコの口調のさり気なさに、少しづつ、ヒワの動悸も収まっていく。
「自分たちで、降りずに待ってたんだね?」
 うん、と彼らはそれぞれにうなずく。
 小学生たちは土地勘もなく、大人が言った通りそこで待つしかなかった。イノシシは怖いし、その広場はぽっかりと日当たりもよく、その割に涼しくて、下の景色も垣間見ることができて、たいそう心地よかった。
 数人が家族に連絡を取ろうと携帯を出した、が、神社と違い、そこは圏外だった。
 八人はおやつを分けあったり、ゲームをしたりして迎えが来るのを待っていたのだった。しかし、暗くなっても誰も来なかった……
「ヤベ先生、って白髪のおじいさんの、案内の人だよね?」
「そうだよ」
 ヒワはルリコに目をやる。ルリコが首を横に振って言った。
「じいちゃんは家には帰ってなかった、冒険クラブの後、そのまま出かけたんだと思ってたから」
 年かさらしい少女が目を丸くして出てきた。「ヤベ先生の孫なんだ?」
「そうだよ」
 彼らは顔を見合わせてちょっと安心したように笑みをみせた。
「じゃあ、地元の人なんだよね。ここから帰る道も分かる?」
 今度はルリコがヒワを見た。今度はヒワが答える。
「帰り道は、ただ車道を降りて行けば大丈夫だけど、今は降りられないの」
 えっ、どうして? と子どもらが気色ばんだ。
 正直に言えば、彼らはパニックになるだろう。しかしそこにルリコがさらりと答える。
「ウチら、下で殺されそうになって、ここしか逃げる所がなくて上がってきたんだ。アンタたちも、いったんここに入ったら、しばらくは出られないからね」
「誰が、コロスって?」
 うん、だれだろう? ルリコはとぼけたようにそう、空を見た。

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