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「スタンポンの穴」 第二話

*** みいちゃん 1


「みいちゃん、まって」
 息がきれる、その合い間をぬってボクは叫び、山の小道をかけ登って行く。
 目の前にうねうねと続く山道、木立のすき間に時おり、白いシャツの切れ端がひらめき、またすぐに遠くなる。
 どんなに追いかけても、みいちゃんには追いつけない。
 おさななじみのみいちゃんは、少しだけボクより背たけも大きい。
 だからなのか、ボクよりかずっと、強かった。
 ボクよりずっと、勇気もある。
「いっしょに、さんかく山にのぼろう? ふたりっきりで」
 目をくりっと見開いてみいちゃんがそう誘った時も、ほんとうは、
「いやだ」
 そう、言いたかった。
 みいちゃんはさんかく山にのぼるのなんて、平気だろう。
 小学生になると子ども会のイベントとかそんな時に、みんなであの山に登ったりする。もちろん大人も必ずついて行くけど。
 でも、ボクたちはまだ、一年生にもなってない。
 それを、たったふたりで? ムリだ。
 でも。
 あの大きな瞳でじっと見つめられたら、心臓を、ぎゅっとつかまれてしまう。
「……いいよ」
 いつの間にか、ボクはそう答えていた。
 そして、ボクは今、けんめいにみいちゃんを追うことになってしまった。
 山をのぼるだけでも、せいいっぱいだと言うのに。


* one 1 


 県立おおぞら高校科学部部長・二年四宮しのみや敬介は静かにモニター前に座っていた。
 周りの喧騒などまるで耳に入っていないかのように、涼しい顔をして手元の小さな画面に並ぶ数値に集中している。
 横顔は端正で、さらりとした前髪が目にかかると、器用そうな長い指で額に跳ねあげる。
 ついでに、今どきあまり見ない細い銀縁の眼鏡を軽く押し上げ、また手元に目を落とす。
 少し離れた所に立っている十名ほどの部員たちは半ば面白そうに、半ば不安げに部長と群衆とにそれぞれ目をくれていた。
 四宮のすぐ脇には、副部長の成島みずきが、落ちつかない様子で立っている。
 手元のメモを見ては、宙をにらんでひとりブツブツつぶやき、また、手元を見る。そのたびに、奇麗に切りそろえられたショートボブがぶんぶんと跳ねる。前の方で貼りつくように見ていた一年生女子の数名が、
「ナル先輩~」
 甘ったるい声で呼びかける。
「ファイトですー」
「がんばって~」
 ありがと、と成島が軽く手を振ると、彼女たちは小さく歓喜の悲鳴を上げた。
「やっぱ、科学部ステキよねー」
「部長と副部長、絵になるわあ」
 外野の声を閉めだそうというのか、みずきはまたブンブン頭を振って一歩下がる、が四宮の座る机に腰が当たった。
「あっごめん」
 みずきがあわてて謝った。
「緊張、し過ぎじゃん」
 四宮は口を開かずにみずきだけに聞こえるくらいの声でつぶやく。目は画面から離さない。
 みずきはそのことばにたじろぎ、いっしゅん、四宮の方を見て口を開きかけたがすぐに
 顧問の夏目先生が、
「はい静かにぃ」
 大声を出したのにびくりと肩を震わせ、あわてて手元に目を落とした。
 後ろに立っていた夏目は四宮たちの前に進み出て、その場にひしめく群衆に手を振り回している。
「では今からナルシマ副部長から簡単に説明してもらうから、静かに!」
 その声が一番大きい。
 夏目はまるで、自分が研究発表するかのように大きなガタイから熱を発し、額から汗を吹き出させ、緊張したように目をぎょろつかせていた。

 学校正面玄関を入ってすぐ右手に拡がる食堂前のホール、二階までの吹き抜けという広々とした空間、大きなガラス窓に囲まれた中庭から、明るい初夏の日差しがまだらに射しこみ、点在する丸テーブルがまるで南洋の島国のように明るいカラーで浮き上がってみえる。
 いつもは閑散としたその空間に、この昼下がりには多くの生徒や教員が集まっていた。
 ホール脇から吹き抜けの空間を斜めに切り取る大階段にも、危険なほどの人が群れて下を覗いている。
 多分、学校中の人間のほぼ八割以上はそこに集っていただろう。
 この学校にしては前代未聞とも言えることだった。

 おおぞら高校は、県内でも珍しい単位制の公立高校だ。
 進学就職の率はちょうど半々、偏差値のばらつきが大きく、卒業後に得意なことを活かして各界で活躍する人間もいる反面、在学中にドロップアウトしてしまう連中も少なくはない。
 極端な生徒になると、何の連絡もなく突然学校に来なくなり、そのまま姿を消してしまうということもあった。
 そんな中、高校創立時より伝統のある科学部には、それなりに学業優秀な生徒が集まっていた。ここは、ユニークな発想や実験で、近隣の理系大学や研究機関からも注目を浴びていた。特に、理数系に強い生徒の中にはわざわざ科学部入部が目的でおおぞら高校を選んだいう例もあったようだ。
 そして今、年に一度、文化祭に先駆けた科学部主催の最大のイベントが行われようとしていた。

 頬を赤く染めて、二年の副部長・成島みずきが一歩前に出た。
「えっと」
 手にしたメモに目を落とし、次に四宮をちらっとうかがって、彼の同意を求めるように口を半開きにした。
 四宮は彼女の方に目を上げ、眼鏡の縁を人差し指で押し上げてから無表情のまま軽くうなずいた。
「いいよ、はじめて」
 いつもはすらりとしたスタイルとショートボブの髪とで元気いっぱいに撥ね回っている成島だったが、今日は緊張のあまり、声がかすれている。
「はい、では、は、始めに、」
 意味もなくかかとを上げ下げしているのを目にして、脇に立った顧問の夏目がファイルの背表紙で成島の肩をそっと押さえた。
 成島の上下運動がようやく止んだ。しかし声が出て来ない。
「成島、深呼吸」
 夏目が小さな声で促すと、成島はようやく大きな息を吸ってゆっくり吐き、何度も咳払いをしてから、ようやく声を張り上げることに成功した。
「始めに、このシステムの名前を説明します」
 全ての目がこちらを向いている。
「『スタンプ・オン』システム、モデル0.11です。目的は、学校内での動線調査です。動線、というのは動く線、と書きます。つまり、みなさんが校内を歩いて、その、データを、えと、えっとつまりですね、えっと……」
 ついに言葉に詰まって真っ赤になる成島に目をやってから、四宮がすらりと立ちあがり、眼鏡を押し上げた。
 周囲がしん、と静まり返る。 
 彼は、ゆったりと話し出した。
「位置情報を発信するWi‐Fiタグを、今朝のホームルームでクラスごとに一人二枚ずつ配布しました」
 物おじしない落ちついた声に、沈黙が深まる。
「みんな、すでに両方の靴に付けてくれたと思いますが、校内に何か所も設置したアクセスポイントから直近の人物の位置情報を拾い上げ、無線LANによって集めます。つまり、いつ、誰が、どこに行ってどう動いたかのデータを収集するわけです」
 決して大きくないものの、その声はホール中によく響き渡っていた。
「住環境デザインで大切なのは、ハード面での強度やコストの問題ももちろんですが、動線というものも重要なのです」
 周囲がわずかにざわつき始めた。
 そこまで想定内だといわんばかりに、四宮は少しだけまた眼鏡の縁を押し上げ言葉を切ると、キーボードに向かい、せわしなく手を動かした。
 食堂上にもともと設置されている大型の液晶モニタにいきなり、命が灯る。
 黒い画面がまっ青に変わり、すぐに学校の俯瞰図が表示された。
 それはよくできた3Dのイラストだったが、建物の図が向きを変えながら徐々に線描きの輪郭のみに変容し、上空からの見取り図となった。しかも流れるような動きでズームアップし、いつの間にか彼らが集うホールを上から眺める形になっていた。
 画面は黒地で、壁や柱の線はレモンイエロー。そこに、四宮が
「実際に、ご覧ください」
 その一言とともに、大仰な仕草でマウスをワンクリックした。
 会場がどよめく。
 画面に次々と、蛍のようなかすかに緑がかった光が細かい点々となって表示された。
 ひとつ、ふたつ……それはまたたく間に数を増し、すぐにまぶしいほどの光のかたまりとなった。
 画面の一部がズームアップされる。かたまりもつれ合っているように見えた点はよく見ると一人ひとりの靴底の形をしていた。
「今、集まっているみなさんの足跡が表示されています」
 おおお、と歓声を上げてから、群衆は互いに笑いあったり、モニターを指さしたり、意味もなく周囲数十センチあたりを歩きまわったりしている。
「ハリー・ポッターにこんなのなかった?」
 誰かが陽気な声で叫んだ。「すげえ、オレ動いてるの分かるし」
 一瞬の静寂をついて、また四宮部長が言葉を継いだ。
「校内での動線をこれによってしばらくモニターさせてもらいます。どの教室にどの程度の人の動きがあるのか、どの階段、通路のどの部分がよく使われるのか、無駄になっているスペースがないか、などの調査に使用します。なお、みなさんの足跡は今ですと約二週間程度モニターに残り、徐々に薄くなるように設定してあります。
文化祭では、実際に動線が時系列に沿って変化するアニメーションをお見せできるはずです」
 群衆がさらに騒がしくなる前に夏目が声を張り上げた。
「何か質問はありますか?」
 ひとりが手を上げた。
「一階とか二階とか、重ならないの? あとさー、グラウンドとかどうなるの?」
 副部長の成島が、ショートボブの髪を掻き上げながら慌てた口調で答える。
「あの、あのモニターで階ごとの状況を調べられるので問題ないです。あと、屋外もオッケーで」
「屋外は今回、対象外だよ」
 四宮の目線と涼しげなダメ出しに、成島はますます慌てたように付け加えた。
「そうでした。校舎から出るともう追っかけられません、よろしくお願いします」
 次の質問者の声も気楽な訊き方だった。
「誰がどこを歩いてるかも判るんですか~? たとえばサボってるのとかも」
 笑い声が響き、成島は目を大きく開いて部長の顔を見るが、部長はしごく真面目に答える。
「ふだんは個人情報を拾い上げませんので、その心配はありません。ただし、それも調べようと思えば可能です」
 やばいじゃん! と女生徒の声が響き、一瞬だけ笑い声が弾ける。
「そこまで調べないから、大丈夫だよ」
 顧問の夏目があわてて補足した。
「まあ、気楽に参加してくれれば助かるけど」
「よろしくお願いします!」
 成島が大声を出した。
 夏目が呼び水のごとき拍手を響かせ、それに数人が乗ってから、すぐに会場は拍手と歓声に包まれた。
「よろしくお願いしまーす」
 部員は成島にうながされ、拍手の中何度も頭を下げていた。
 ただ一人、四宮部長だけは涼しい顔のまま、目の前の群衆を見やっていた。

「スタンプ・オン動線視覚化実験」が今、始まった。


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