「何があった」 01
【序】
濁流渦巻く草地の土手に佇んでいた。犬の散歩だったが、すでに犬は我が家にはいない。いつの記憶なのか。
濁流は小さな川のわりに地響きをたてるほど激しくて、かすかに揺れる足元にまで時おり泥濁りの波が押し寄せる。五回に一回は、足先を舐める。いや、割合はだんだんと間を詰めている。今では三回に一回だろうか。
こんな濁流をテレビで見守っていたのはかなり若い頃だ。まだ学生だったかと思う。テレビは逐一、沿岸に押し寄せる津波を追いかけては見える限りの光景を映し出していた。俺はテレビの前で手に汗握りながら、いや、唖然としながら、どうだろう、どんな気分か今でははっきり言えないのだが、逃げ惑う車の列や、押し流される建物などを眺めていた。
その中に生きている人がいるのだと、思い至ることはなかった。ただ、すごいねえ、こわいねえ、と家族と言い合っていただけだった。言いながらも自分のことばの空しさにどこか気づいていたのだろうか。濁流を見ていて、そのことを思い出した。
それは自身に降りかかるものとは、大きくかけ離れていた。足元の濁流でさえ、そこから流れ行くともはや自身の人生とは何のかかわりも無くなってしまう。昨日、家庭ごみを裏の土手から放り投げる隣人を見たばかりだった。俺は呆れて口を開けたままだったが、ふと目が合った隣人は、どうもこんちは、変な天気ですね、と言っただけだった。もはや自身には関わりなくなった家庭ごみは、濁流の彼方に消え去っていた。
関りはない、ずっとそう思っていた。漠然と信じていた。
「何があった」 02 【8月7日 午後4時―1】 →
「何があった」 03 【8月7日 午後9時過ぎ】 →
「何があった」 04 【8月7日 午後10時過ぎ】 →
「何があった」 05 【8月7日 午後11時過ぎ】 →
「何があった」 06 【8月7日 午後4時―2】 →
「何があった」 07 【8月7日 午後5時過ぎ】 →
「何があった」 08 【8月7日 午後6時50分から】 →
「何があった」 09 【8月7日 午後8時30分から】 →
「何があった」 10(終) 【8月7日 午後4時―3】 →
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