「スタンポンの穴」 第四話
* one 4
「まあそのうちに落ちつくさ」
四宮の言葉通りだった。
昨日、今日と時間が経つにつれて生徒たちのとんでもない『校内探検』は影を潜め、学校はいつもの顔を取り戻しつつあった。
三日目の放課後には、部員たちにも特別な召集がかからず、数人が気ままに寄って覗いて行く程度で、ずっと残っているのは部長と副部長だけになっていた。
ホールの大モニターもそのまま『スタンプ・オン』連動で部室のモニターから抽出された一部が常時映されていたのだが、もはやじっくりと眺めている者もほとんどいなくなった。
すでに日はすっかり西に傾いた、そんな午後六時近く。
科学部室の心地よい静寂は、大きな叫び声で破られた。
「ちょっと見て! これ!!」
大声を出したのは、成島みずき。部室をふり向いて自分の他に誰も姿が見えないのに気づき、ひとりでオタオタしていたが、その時ちょうど入口に現れた人影にほっとしたように、また大声を出す。
「あっ、よかったあキフネ先輩!」
なんだよ脅かすなよぉ、と貴船がたいして驚いた様子もなく立ち止まった。
「急いでますか? 急いでませんよね?」
「ちょうど帰ろうかと思ってたのに」
「でも急がないですよね? それに部活ロスって顔してますよ、ちょっとこれ見てくださいよぅ」
「聞いてないなぁ人の話。それに『部活ロス』って何だよ?」
そうぶつぶつ言いながらも貴船が部室に入ってきた。
「先輩、ここ、何かヘンじゃないですか?」
彼女が指し示したのは、モニター内に映し出される一教室だった。
一階、確か、視聴覚教室だ。
「どれどれ」
貴船は、それでも興味しんしんといった風でモニターに近づく。
「ナルちゃん、いつも大事件みたいな言い方するからさぁ……ん、何だこれは」
「でしょ?」
「シノ部長は?」
貴船は、のんびりとそう首をめぐらせる。
「いますよ、さっきから」
机の下からふいにその四宮敬介が現れ、成島はびくりと肩を震わせた。貴船も「ひゃあ」と気の抜けた叫びを上げる。
「何だよいつの間に机の下に棲息するようになったのシノちゃん」
軽口を叩く貴船を、四宮はじろりと一瞥してから、成島が指し示したままの場所を無表情なまま覗きこむ。
「成島さん、気づいたのはいつ?」
四宮の問いかけが落ちついていたせいか、成島もはずんだ息を整えて、ようやく頭の中を整理しながら話し始めた。
「最初は昨日かな、ぐうぜん流してみている時、放課後に数人が入って前の方を歩きまわっているのが解ったの。教科係だったと思う。その時は気づかなかったんだけど、さっきから一階を順に見ていたら気がついて。
朝からこの教室でたて続けに授業をやったらしくて、足跡がいっぱいでしょ、でも、ほら、ここだけ」
成島の指し示したのは、教壇の前、他の足跡の様子からは教壇と机との間にある、やや広い空間らしい箇所だった。
複数の足跡が机の間をぬってあちこちに広がっている。教壇の近くに立ち止まった生徒も多いようだった。
しかし、何故か教壇のすぐ前あたりにはぽっかりと
「……穴?」
黒々と、何者にも踏まれていない黒い円形が表出していた。
四宮は黙って、スケール表示を画面に出す。黒い部分は直径三十センチくらいか。本当に奇麗な円を描いていた。
彼はズーム機能を使って、その場所を更に確認する。
周りの蛍光色に染まる床は、確かに足跡が重なっている様子が見て取れた。だが、問題の箇所にはひとつとして足跡らしい蛍光色がついていない。つま先くらいは触っていそうなものだが、色は皆無だった。
「ナル先輩! シノ部長! あれ、キフネ先輩も、どしたんですかぁ?」
ふいに明るい声が響いた。
一年の落合江恋が、明るい茶髪のツインテールをぴょんと揺らして科学部室の入口から覗いている。
「あ、『すたんぽん』ですか、どぉかしたんですかぁ?」
「あのねえ……」成島が呆れたように口を挟む。
「エレンちゃん、何度説明すれば判るの? 『スタンプ・オン』よ。ねえシノ部長」
「これはたぶん、データ処理時の不具合だ。抜けがあまりにも規則的だし」
四宮は、エレンの発言なぞ頭から無視したまま、腕を組んでつぶやく。
貴船がそんな四宮に苦笑いしてから、走ってきたエレンの頭をぽむぽむと叩いた。
「すたんぽん、じゃなくて『スタンプ・オン』。何だか『穴』ができたらしいよ」
「えー、穴ですか?」エレンは無邪気に首をかしげている。
「どうするんだ? シノ部長」
貴船の声には、わずかに面白がっている様子がにじんでいる。
「まず、校内の他の場所にも特異点がないか一通り点検してから、バグがないかもう一度プログラムをチェックします」
四宮の答えに、エレンがえええ? と声を上げた。
「それよか、シノ部長、見に行きましょうよ~」
「え?」
四宮は初めてエレンに気づいたかのように、目を見開いて彼女の方を見た。
「何を?」
「穴ですよ~」
エレンは何だか楽しそうだ。
「すたんぽんの穴、見に行きましょうよ~」
成島がクスリと笑ってから、
「スタンプ・オン」
と言い直し、ちらりと四宮の表情をうかがった。
このシステムは四宮が精魂込めて一から作り込んでいったもので、名付けたのも四宮自身だった。
エレンは中学時代には常に模試でトップレベルの成績だったらしい。だが、「あおぞらにぃ、なんか面白い科学部ってあるらしいし~それに制服ないし髪型もピアスも自由だって聞いて~」と、かなり軽いノリの第一志望でやって来たとも、成島は噂で聞いていた。
確かに科学部でも部長や副部長から言われた内容を即座に理解できているようだし、直観力もある。
それでも、エレンのような子どもじみた言い方や振る舞いをする人間を、四宮が常日頃からあまり快く思っていないのも成島はよく知っていた。
だから、こんな時にも四宮の反応を見るように、表情をうかがってしまう。
案の定、四宮が頬辺りにかすかな緊張を溜めているのを認め、成島は早口で
「スタンプ・オンシステムのバグもそうだけど、もしかしたら視聴覚室のその場所に誰かが何か置いたのかも。だからその場所が避けられているだけなんじゃないのかな?」
そう口を出した。
腕組みをしたまま、四宮は黙っている。
貴船はそんな後輩たちに、また柔らかな笑みを浮かべてから
「いいじゃん、誰か調べに行けばいいよ」
そう言ってから、四宮の肩をぽん、と軽く叩こうとしたが、ふと思いとどまり、そのまま自然に腕を下ろした。
四宮が、他人に触れられるのもあまり好きではないのも彼らの間では暗黙の了解事項だった。
そんな気遣いを知ってか知らずか四宮は
「そうですね」
ようやく、頬のこわばりを解いた。
「百聞は一見にしかず、ですからね」
「さすがシノ部長」
貴船もそう言って笑う。
「さすがシノ部長」
たまたま成島とエレンの声がユニゾンで響き、びっくりしてふたりして顔を見合わせたが、次の瞬間には「やだ!」とまた揃って、ふたりして声をあげて笑い出した。
四宮は、そんな笑顔の三人を眺め渡し、肩の力を抜くようにぐるりと腕を回してから女子に向き直る。
「見に行く前に今後の実験全体の流れを決めたい。成島さん、まだ残っていそうな二年の部員呼んできて、落合さんは一年にすぐ声かけて」
二人にそう頼んでから自分はメインプログラムを立ち上げた。
「三年はどうすんの?」
貴船が声をかけると、
「いいんですか?」
四宮は画面から遠慮がちに目を上げた。
「いいともさ。こういうのみんな好きだし、面白そうじゃん」
まだ学習室に青木とツネ残ってたと思うし、と言いながら貴船は部室を出ていった。
四宮は表情を変えずにほおっと息を吐いてから、画面に向かったまま、出て行った三人に
「ありがとう……ございます」
と小さくつぶやいた。
それでも目は忙しく校内のあらゆる箇所のデータを追い続けていた。
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