Vtuber推し活用アカウントを作成して3ヵ月程経過したので何か書き残しておこうかと思いまして

 元のアカウントからV推し活用アカウントに分離してから3カ月程を過ぎた昨今、何か書き残しておこうかと思い立ち、noteに投稿する事に致しました。こうした長めの自分語りは初めてのもので、そして誰かに読まれる事を意識しての文章では御座いませんので、読み辛さを感じましたらお手を止めて頂ければと思います。

 V関係はホロライブを主に、神椿やにじさんじ、海外の箱や個人の方など、つまみつまみ視聴させて頂いております。活動の主はライブ配信の視聴とコメント、そして動画や配信視聴後にタグ感想をポストする事と、さほど変わった事をしているわけでは御座いません(それでもROM専の頃と比較しますと、かなり前に出る様になったかと思われます)。
 推し活特化アカウントへ分離させようという思いは以前から薄々とは御座いましたが、機会やひと押しが足りず尻込みしていたもので、5thフェスの衝撃に乗ってこうして分離した形となります。新しく作成したアカウントは暫くの間シャドウバン状態が続いておりましたが、「なるほど透明人間とはこのような感触で御座いますか」と、存外楽しくやっておりましたとも。
 さて、そうしてシャドウバンも明けて、ありがたい事に相互の方も増えて今に至るものですが、そもそも元々あったアカウントから分離してまで推し活アカウントを新造しましたその理由。幾つか御座いますが、その最たるものは「作法がわからん」というところから始まっております。
 
 このひとつのおはぎ、いい歳した独り身のおはぎで御座いまして、しかしそれまでの人生において推し活(昔で謂うところの追っかけでしょうか。これは古すぎますか)というものとは縁遠い暮らしを送っておりました。そうした中で、いざVtuberの方々を本腰入れて推して行こうとしたところで、暗黙のルールを始めとした定石(そんなものはないのでしょうが)、推し活における作法について何もわからぬ状態では手も足も出せぬなと思い、まずは視る事に注力するところから始めてみた次第です。
 視ると言っても、推し様の配信を視聴するというところはそのままに、それを取り巻く環境ごと観測する事を主眼と致しました。いきなり見当違いの事をしているものだと思われましょう。まったく持ってその通り。しかしそうしないと、視野が狭くなるのではないかという危惧が御座いましたもので。
 
 危惧を抱いたのは推し活アカウントに分離するよりかなり前の事で御座います。配信の視聴自体は年単位でROM状態、今現在の様に同好の士が周囲にいない状態で続けておりました。配信もラジオ感覚で視聴している事が多く、配信コメントを始めとした周辺情報をあまり意識していない状態で御座いました。X(旧Twitter)上では推しのポストをいいねRPする事はあっても、リプライするなど持っての外、という距離の取り方をしていたものです。いえ、RPすらも稀だったはずです。それだけ、自らを表に出す事をしてこなかったもので御座います。
 
 さて、危惧についてですが、数ある内のそのひとつが、単純に視野が狭まる事への恐れで御座います。というのも、ふと推しを取り巻く周辺情報、特に配信上のコメントやX上でのファン同士のやり取りにおいて、諍いをはじめ悍ましいものを目の当たりにした記憶があり、一時期視聴自体を止めていた事が御座います。勿論、そういった諸々はほんの一部であると、今現在の視点であれば理解できますが、当時はそれらがすべてだと錯覚していたもので御座います。坊主憎けりゃ袈裟まで、というところです。
 しかし、現実世界の仕事の方が落ち着きを見せ、精神的にも安定を取り戻してきた頃(当時は人生で一番心が病んでいた時期でもありました。おそらく)に、自分の視野はあまりにも狭いのだなと気付かされる事が御座いました。一時期配信視聴から距離を置いた事も、落ち着きに一助していたように思います。
 
 そうして心持ちを正したところで、その危惧をどう解消しようかという課題は御座います。視野を狭めない為に何をするか。そこで、作法の下りでも述べましたように、まずは配信コメントやX上で活動する同好の士に目を向けて見る事に致しました。というのも、推し活アカウントに分離した切っ掛けのひとつが、本アカウントで配信の感想をポストした際、そうした同好の士より、いいねやフォローまでを頂いた事で御座いました。ひどく驚いたと記憶しております。
 元アカウントの方では模型を触っていたもので、そうした自他の作品にいいねを付ける文化がある事は存じておりました。しかし、この界隈でもそういった文化があるのかと、当時はひどく困惑した事を覚えております。
 この時点で自分が見た諍いや悍ましさは一部だという事をようやく自覚するに至ったわけでは御座いますが、そう言った一部が依然として存在するのもまた事実では御座います。今でも時折目の当たりにします故。そういった周辺と、どう折り合いを付けて行くものか。視野を広く持てば自然と嫌でも目に付くものとの向き合い方、それを推し活の先輩方である皆々様はどうしているのか。それを知る為にも、こうして同じ土俵に上がって、まずは推し活の真似事から始めてみる事とした次第です。
 
 人の振り見て我が振り直す。そういった部分も当初は多分に御座いました。配信視聴後の感想をどのように書き認めているか、スパチャやギフトの投げ方(額やタイミング)は、ライブ配信へのコメントの頻度や内容は、応援企画やクラファンに参加してみよう、同好の士たちの交流は。そして、推しその人との交流は、どのようにして行っているものか(人によっては自分の最推し以外にもX上で気軽にリプライを送るもので、これは驚いた事のひとつで御座いましたね)。
 そうして同好の士たちに倣いつつ、「それは違いますよね?」という部分を自我として残して、ブレない軸を、自らの推し活をする上での姿勢を整えようと試みました。すべてがすべて他者の模倣であれば、自らがそれを行う意味は御座いませんし、現に同好の士(以降は諸兄諸姉と呼ばせて頂く事に致します)にひとりとしてまったく同じ推し方をしている方はおられませんでした。似ている推し方自体は御座いますが。

 そうして自分なりの推し方、作法の様なものを、少しは整えられてきたかと考えております。結果、今現在X上で生息している“おはぎがひとつ”というキャラクターが出来上がりました。 
 この3ヵ月程は推し活をする為のキャラクターメイクの期間でも御座いました。というのも、素の人間である自分自身では、やがて推し活が破綻すると考えておりました。これも数ある危惧の内のひとつで御座います。そう考える要因は多々ありましたが、一番は推しに対する感情が肥大しすぎて悪い方向へ転がって、推しを害する者になりやしないか、というもので御座いました。
 そう言った害となる存在、呼び方や種類は様々御座いますが、大きな感情と視野の狭さの行き着く先がそれであると認識しております。そして、自分がそういった存在になり得ないとは、絶対に言いきれません。人間、様々な要因で意図も簡単に心持を傾けるものです(私自身が単に弱いというだけでは御座いますが)。よって、己をVを推すキャラクターと定義し、日の当たる場所、人目のある場所にのこのこと出て来て、常に姿勢を正した状態を保とうと、そう考えた次第でもあります。
 また、このおはぎは人間の自分とは真逆、正反対の性格、というわけでは決して御座いません。実際、人間としての自分は誰に対しても敬語に近い丁寧語で接しておりますもので、そう大きくは変わりないので御座います。強いて違う部分を上げるとすれば、同好の諸兄諸姉やクリエイター様に対して気兼ねなくリプライを送るような、興味や賞賛に躊躇わないところでしょうか。現実の人間としての自分であれば、絶対にあのような事は出来ません(それでも、触れづらきには触れず、では御座いますが)。
 キャラクターをロールする事に関しては、特段大きな縛りがない、当人とほとんど乖離がないものとして行っておりますが、その話は割愛させて頂きます。
 
 多くの諸兄諸姉に出会い、己をある程度まで固める事が叶いました。長らく推し活を続けていらした先達をはじめ、推したちの来歴を記録という形に留めてくれている方々の存在が、特に大きかったと考えております。若い諸兄諸姉からも日々活力を頂いております。
 自分なりの推し方、作法についても然りで、しかしそれはここで語る事は致しません。配信でのコメント、X上での身動きがほぼすべてで御座います。そうして推し活をするものとなったひとつのおはぎが次に行う事は、どう続けよう、どう変化しよう、というところに御座います。
 ブレない軸、姿勢を残しつつも、推しの方々にとってプラスになる事は何か、何を行うか(あるいは何を行わないようにするか)。日々それを少しずつでは御座いますが、考えたり形にしたりして行く所存で御座います。
 またこの活動を、今の精神状態(あるいは家庭・経済環境)でいつまで続けて行けるのか。そして推したちの環境はどう変わってゆくのか。そうした推したちの周辺環境を含めた変化をも観測し続けるものでありたいなと、そう考えている所存で御座います。


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