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AZKi メジャー1stアルバム「Route If」楽曲感想

 アルバムテーマは「声の温度」。楽曲から受けた印象を、歌詞の内容や温度・熱といった要素を主眼にした感想と致しました。
※記事中の「彼女」はすべてAZKiさんの事です。
 
 Track01.Lazy
 Track02.エントロピー
 Track03.まいすとらてじー!
 Track04.Operation Z
 Track05.Chaotic inner world
 Track06.明けない夜があったなら
 Track07.エトランゼ
 Track08.午後8時のコーラスソング
 Track09.夜の輪郭
 Track10.Map in the cup
 Track11.いのち(2024Ver.) 
 

 Track01.Lazy
 時刻は6:50。パン屋さんが開店するまでの10分の間、懐にしまってある空想を手に取って、ひとつひとつ現実世界へと広げるかのような。ポエトリーリーディングの歌い上げは読みと歌との境界にある様で、じわりじわりと平熱のベースが上がるかのような感触です。
 Lazyで触れられている「冬にだけ可視化される声の温度」の歌詞。冬の吐息は白く、すぐに大気に溶けて見え無くなってしましますが、確かにそこにあるもの。この「溶ける」も重要な温度の表現で、以降の曲においても登場する場面があります。
 「溶ける」。対象物が熱、温かさに触れて形を変えるイメージが強いですが、冬のそれは寒い大気に触れての消失。これもまたエントロピーの形であり、熱は奪われて吐息の姿は見えなくなり、その温度すらも溶けてなってしまいますが、春夏秋も同じように、発した声の温度は確かにそこにある。形を変えながらも確かに存在しているもの。それを伝える為の最初の曲。そういった印象を受けました。
 まだ吐息が白む時間帯からの「美味しそう」と、嬉しそうに囁く声。店頭に並んだ焼き立てのパンの温かさや薫りまで伝わってくる気がします。
 
 
 Track02.エントロピー
 軽快で明るく、そして優しい歌い上げは、夜を溶かして体温を上げる。しかし、そんな中にも悲しみはあり、その中に熱を宿す。熱が冷めればそれは「醒めてしまった」ではなく「自分にとっての日常の一風景である定番」、冷たくならず熱は保たれる。Track01.Lazyで触れられていた「ちょうどいい」になるような塩梅で。思い出は懐炉の役割を果たし、何度でも温度を上げる。温と冷との熱循環、そのサイクルはまさにエントロピーの名に相応しいのではないかと。
 誰かの救いとなれる人でも、悲しさを確かに抱えている。「潜熱」という単語が思い出されました。「潜熱」。溶解する、蒸発する、そして昇華するための熱。形態変化するための熱を潜ませ宿す人の歌だからこそ、多くの人の心を動かし暖かくすることが出来る。もちろん、救う事も。ただ幸せなだけの生であったのなら、自らの中にあるその熱に気付けなかったとは、受け取った身としては切なくならざるを得ません。
 
 
 Track03.まいすとらてじー!
 イントロのメロディ(コーラス)で平沢御大を想起させられましたが、きっと気のせいです。
 「ドキドキが止まらない22時」は配信の始まり前の高鳴りを、「気づけばタスク過多な24時」は倦怠を帯び始める配信外の作業を。そして、32分裏でクロックがシャッフル……。聞きなれないワードで調べて見たところ、32分音符の裏拍と推測。かなり小刻みなリズムの裏拍を打つとは、相当な練習量を積まないと出来ない事と思います。配信の下準備や情報収集、ライブや歌枠のセトリ構築の外、スタジオでの収録や外部のインタビューも熟すのが今の彼女。作業量溢れる環境にも慣れて、リズム刻みながらひとつひとつとタスクを熟す彼女の姿を想像せずにはいられません。
 計画通りに、とは言わずとも、自分の意思を、考えを通せなかった事を悔いていると。幾度か配信でもnoteでも聞き及んだ事がある身としては、2番初回のあの冷え切った雰囲気と声色とは、彼女の内心に踏み込んでしまったかのようで、少しの罪悪感と背筋の寒さとを覚えるものです。しかし、そこからすぐに明るく切り替え、「次!」と目の前のタスクを刻み始める彼女の姿も、また知り及んでいるものです。
※2024/7/31公開のMVを見てだいぶイメージが変わりました。すんごいデスマーチじゃないですかこれ。
 
 
 Track04.Operation Z
 時間と費用とに追われる現代社会の姿。彼女か、あるいは推し活をする我々の姿を揶揄したものでしょうか。それをチップチューンのメロディにノせての歌い上げは、ゲームをプレイしている感覚、トライ&エラー、リトライを想起させます。コスパ・タイパを重視し突き詰めれば、いずれは時間がかからず味気ない食事に行き着くものでしょうか。寿命は残機、命すらリソースとして生き急ぐのは、果たして我々か彼女か。どちらもそう、なのかもしれません。
 しかしお互い、腹八分目で満足できるわけがありませんし、石の上で三年も待ってはいられません(実際は彼女も開拓者も、それ以上の歳月を待ち焦がれました)。焼かれて踊り狂うかのような苛烈な時間、スケジューリングの中、ランチタイムくらいはまったりさせて欲しいとはごもっとも。常に焼かれるかのような忙しさの中、彼女も我々も踊り続けるのでしょう。楽しく歌って、コールして。
 
 
 Track05.Chaotic inner world
 格好良いの大好き。しかし、この曲の温度感は?
 「自己アレルギー」「嘘嘘嘘嘘」と同様に現状に藻掻いている真っ最中という印象を受けましたが、聴き続けて少しだけ印象が変わりました。現状を脱しようと藻掻く中、混沌とした内なる自分。周囲を覆う混沌をエネルギーと変えて、藻掻きから脱するかのような。
 イメージしたのは恒星の誕生プロセス。重力により周囲のガスが圧縮され反応して誕生する恒星ですが、条件が揃わなければその誕生はあり得ません。かつての分岐点で選ばれなかった道を想わせてくれます。夜空に浮かぶ遠い星のまばゆさを観測しつつも、至近距離では灼熱を超える温度を繰り返している。現地ライブ会場では、それを全身で感じられる事と思います。
 
 
 Track06.明けない夜があったなら
 Track01.から間隔を空け、Track06.からラストに掛けての選曲は、夜明けの温度、冷から温への移行を想わせるものに。熱を溜めて溜めて、サビで叩き込む時間の始まりです。「憧れには遅く、挫けるにはまだ早いや」の歌詞、彼女の座右の銘を想起させます。
 例え煌く星ではなくとも、暗闇を迷い行く人にとってのそれは、心強く温かいもの。しかし、「煌く星になれなくて良い」とは? ご謙遜を、と思いましたが、Track01.から続けてこの曲に辿り着き、最後まで聴き終えてそして再び始まりに戻った時、ふと浮かんだ事がありました。後述とします。
 
 
 Track07.エトランゼ
 エトランゼ、異邦人。「私が知らない君の事」等の歌詞から、遠いところで頑張っている誰かとの手紙のやり取り、あるいは影ながらの見守りを想起させられました。自分とは違う場所にいる誰か、きっと今日も頑張っている誰か。その誰かの事を、良く知るようで、実は多くを知らない。
 イントロでは星の明かりを数えて眠る寒々しさのクールダウンから、誰かへの想いで熱を、温度を一息に上げて行くかのようなエネルギーを感じます。
 遠いところの誰かはどんな環境に居るのか。そちらは暖かい、それとも寒い。食事や部屋の温度を想像する、その想像の中で自分の熱を秘めて行くような。誰かを想う焦がれの熱量。繰り返し聴いて涙が滲むようになり、一番好きになった曲かもしれません。
 
 
 Track08.午後8時のコーラスソング
 灯が絶えない賑やかな夜。陽は落ちて温度の下がり方は緩やかに、ほの温かさを保つかのような。夜の寒さを忘れ去るかのように、歌い、踊り続ける。彼女と我々で。あるいは、彼女と彼女とで?
 コーラスは(クラップも)温度を持つたくさんの人々が居る証。溢れ出す想いはそれぞれ。その熱量は異なるかも知れずとも、それは輪を組んで歌い踊れない理由にはなりません。現地で聴きたい一曲です。
 
 
 Track09.夜の輪郭
 「長く伸びた前髪も好きになれた?」の歌詞は、2nd、3rdの姿から4thの姿へと移行した時の事を思わせます(1stから2ndへの移行で一度短くなっていますが)。AZKiさんのお姿はこれまで3度、大きく変わっています。もちろん髪型も。歌詞に込められたのは、進むべき道を、運命を変えて今に繋がった事への表れでしょうか。本来ではありえなかった向こう側へきて、今はどう? そう、過去の自分からの問いかけの様に受け取りました。あるいは、別のルートへと進んだ彼女自身からのメッセージとも。
 温かみがあるメロディとは対照的に、歌詞は切実で辛く。冷としての歌詞を温のメロディで包み込んで輪郭として、歌で温度を保つかのような感触を覚えます。
 夜の情景を思わせる曲が続きましたが、みな一様に必ず朝を迎える事が出来る事に、寒さの中に灯された温かさを感じさせてくれます。
 
 
 Track10.Map in the cup
 器に注がれる飲み物の温度。朝、昼、夜で違ったカップの温かさ、そして部屋の暖かさ。ゆったり優しい歌い上げから、飲み物が注がれたカップの温度が上がるかの様に、サビで一気に感情の叩き込み。温度の上昇を感じざるを得ません。
 MVの影響もあってか、その歌詞、歌唱からは情景と物語とを強く想起させられます。一室の一日をカップと共に空想の旅へ出かける、小さな小さな大冒険。小さな空想から大きな空想まで、迎えに行くのは午後と君と、そして明日を。歌詞の要所で誰かを想う響きに、寄り添いの歌でもあるのだと印象を受けました。
 
 
 Track11.いのち(2024Ver.)
 「intersection」で「blue飲み干す体(青を飲み干し)」、「エンドロールは終わらない」では「青さが宿ったこの体」、そしてこの「いのち2024Ver.」では「青が染み出す、私にとっての何か」。2019Ver.にはなかった歌詞。時を経て、活動を重ねて、あるいは出会いと別れを繰り返して、宿った青が染み出すまでになった。それは、自らが飲み干し宿した青(何らか)を、誰かにも分け与えられるようになった事。以前と比較しての確かな成長を果たし、より上のステージへ上り詰めた。そんな気がしてなりません。
 また、歌詞の後半において、2019Ver.では「君が忘れちゃったら、私は居なくなるの」と歌っていた箇所が、2024Ver.では「君が忘れちゃっても、私は死なないから」と変じています。「居なくなる」から、「死なない」へ。存在や記録としての自分が「みんなが覚えている限り、消えてしまわない。ずっとそこに居る」という、自らが去った後を思わせるものであったものに対して、確かな命として形を持つことが出来たが故に、例え表舞台を去るような事があってもそこで終わりではなく、どこかで生きて歌い続けている。姿が見えなくなってしまっても、それは決して終わりではなく、彼女の旅路はきっとずっと、どこまでも続いて行く。命として確かなものとなった為、死すらも終わりではない事が肉付いたと、そう歌っているようにも思えます。
 
 正直なお話をすると、「いのち2024Ver.」がリリースされ、鼓動を抑えながら視聴した後、血の気が引くかのような感触を味わった覚えがあります。歳月を経て変化した楽曲という物語は私自身が求めていたものではあったのですが、これは前置きされた別れの歌でもあるのではないかと受け取ってしまったのです。「もう私が居なくても大丈夫だよね?」と、そう告げられた気がして。あれほど優しく穏やかな声でこちらの肝を冷やしてくるものかと、勝手に戦慄したものです。触れればひやりと冷たい感触の中に、火傷では済まないマグマの熱量が隠れていたかのような。
 
 
 そうして全曲を繰り返し、あるいは一曲を集中して繰り返し聴く中で、このアルバムは√αのまま活動を終えた彼女の視点としても見る事が出来るのではないかと、そう思うようになりました。朝方パン屋さんの開店を待つ彼女、ルートは違っても誰かを救う歌を歌い、しかしその日常は多忙を極め、自分が選ばなかった(あるいは選べなかった)√βの先の彼女を見る。無限にある選択肢の中からでも、√αを終えた彼女もきっと歌う事を選び、続けている。それでも、√βの先へ進んだ自分の姿を想い、自分は誰かを照らせているだろうか、長い髪はどう? 今日も頑張っていたんだね。どれだけの熱量があれば√を変える事が出来ただろう。そう、カップの中の景色で夢想して。そして√γ現在座標の「いのち(2024Ver.)」と対面する。
 アルバムタイトルの「Route If」は、√γのその先を想像させるものかと考えていました。しかし、√IFへ渡った彼女からの応援歌だと、そう受け取る事も出来るのではないかと思うばかりです。違う道を進んだ彼女と彼女とが共に歌う姿を、想像せざるを得ません。


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