私の本棚
noteでいろんなジャンルを書いている中で、自分の本棚を紹介しているジャンルがあることを知った。
私は本の山の中で生活している。
本棚だけでは本は収まらず、比喩でなく文字通りの本の山がある。
本棚の上に本棚を載せ、下の段の本棚の前には本の山があって、既に本を取り出すことも出来ない。
画像の本棚は極一部だが、棚には二重に本を収めているので奥にも本がある。
引っ越しを繰り返しては本を本棚にジャンル別に出来るだけ納めるようにしているが入り切らない本は本の山に・・・・。
本棚を見せられる人は私的にはまだまだ甘いな・・・って思う。
だって・・・本当の本好きは本棚なんて足りなくて本が多過ぎて生活を圧迫しているんだもの・・・。
とてもじゃないけれど見せられないよ・・・。
でも本の紹介とかは面白いかもね。
本の紹介をするだけで、自分の蔵書の確認とか、新たな発見とかあるから。
ただ最近Xのポストで貴重な自分の資料を公開している人が「貴重な纏まった資料は研究者の公共の財産なので寄贈すべき」と「無料でくれ」という話があっちこっちか来ていて憤慨しているとあった。
私も昔、ブログで参考文献でちょっと本を紹介したらその手の「自称専門家」から長年その本を探しているから送ってくれと言われた。
私は蔵書に関して決まり事を定めている。
どんなに親しい人でも本は貸さない。
本を貸すなら譲渡するが、複数重複しているか余程信頼している人に限る。
宝の持ち腐れになるならその方のところへ行った方が良いと思う本。
本を寄贈しても、寄贈して売られているケースが過去にあったことから寄贈するなら市場に出して売った方が良い。
などだ。
本を買うのは経済的にも保存的にも生活を多少なり犠牲にするのだから、本を一冊買うにもそれなりに研究しつつ財布と相談しながら、あっちこっち歩き回り出会った本なのだ。
縁があって私の元に来た本は大切にしたい。
本を購入するにはそれなりに勉強して貴重な本ほど大変な思いをして入手しているからこそ研究なり勉強なりしなければならないのである。
無料で手に入れたり、資料集めの苦しさを知らずに他人の成果を「公共のため」と称して横取りして売り払うような輩がいるのも事実だし、そうでなくても資料集めをしないで、私にはその公共の恩恵も一切無いのになんで提供する義務が私にあるのか?と思う。
なのでどこかに寄贈するくらいなら本との新たな出会いや縁のある方の元へ行けるように古書店に売ろうと私は思っている。