今と過去②

こんばんは。
かめたろうです。連投になります。

【中高時代】

「意志無き中学受験」を終えた私は、地獄の6年間を過ごすことになる。なぜ「地獄」なのか?

それは、自分の意思を行動に移さず、環境に文句を言い続け、不満が積もり尖りきった性格ゆえ、友達もいなかったからだ。

先に言うと、勉強はできた。というか、かなりやったからトップクラスの成績だった。

私の特徴として(これは今もそうで、今後も人生に最大限の影響を与えるであろう因子とも言えるが)、「間が悪い」と言うのがある。

勉強にせよ部活にせよ、心底「やりたい!」と思ったときには、とっくに最適な環境・タイミングを逃しているのだ(考えてみれば今更「東大!」なんてほざいていることを鑑みても、この運命的因子からは逃れられないと観念している)。

で、話を戻すと、不思議なことに受験を終えてから急に勉強に熱が入った。英語は大の得意科目に、数学も大好きになった。これは高校まで続く。国語はあいも変わらず興味が持てなかった。

好きだった社会は雑談のつまらない先生に当たり、退屈になった。理科は……縁がなかったようだ。

ともあれ、勉強が得意で学年のトップ3にはいたので、高校受験でいい学校に行きたいと思い始めた。

またその頃、政治に興味があった。新聞を食い入るように読み、閣僚の名前は全員覚えていた。カナダの首相も言えた。副大臣や政務官の名前や学歴も新聞で暗記した。

『官僚たちの夏』という小説とドラマに感化され、キャリア官僚を目指すことにした。自然、東大法学部を念頭に、高校は進学実績の良い所を選びたくなった。


それを親に伝えた。





「は?あんた中学受験したでしょ」





高校受験は出来なかった。強い意志で粘れば結果も変わったかもしれない。が、そこまでの行動力は無かった。

以後、「俺はやればできるんだぞ」コンプレックスの塊と化した私は、休みの日は毎週書店に通い、参考書や問題集に目を通した。受験案内についてる問題を見て、「これくらい解けるし。日比谷とかいけるわ」「中学受験なんてしたくなかった。高校受験したかった。」そんな鬱憤を積もらせていった。


どんどん不満が溜まり、性格はひねくれていった。


今考えれば、高校を受験したいと言う意志を粘りづよく伝え、それが無理なら大学受験に向けて早めに動き出せば良いわけだが、そこまでの行動力や考えの柔軟さは無かった。

あと、親に言われるがまま入った運動部でも大いに苦しんだ。辞めさせてもらえなかったので、付属の高校への進学まで続け、その後は帰宅部になった。

高校でも成績はトップクラスだった。

が、一段とひねくれた。


私の在籍していた学校というのが、大学付属校だった。が、比較的外部にでる生徒が多くいた。3割〜4割くらいだったか。

高校に進学すると、自分よりも成績が下で、授業中も寝てたりする生徒が予備校に行き始めた。

その頃、我が家では、弟が学費の高い学校に行き、習い事でも金をかけていたので、奨学金を借りるほど家は財政難だった。

コミュニケーション能力が著しく欠落していた私は、親に相談することもなく、東大受験のために何科目も予備校で勉強することは不可能と決めつけ、ひとりふさぎ込んだ。

授業では寝たことはない。常にクラスで、いや学年で一番熱心に聞いている自負があった。予習も一回の授業に対して2〜3時間はやった。


が、所詮は大学付属校の生ぬるい授業。申し訳ないが、当時の先生方のほとんどにやる気や熱意を感じなかった。カリキュラムもメチャクチャ。世界史や日本史は近現代に触れることは出来なかった。

悔しかった。予備校に行けないから学校の授業に全てをかけていた。その頃は東大は諦め、付属の大学からキャリア官僚になる道を模索していた。

学歴だけに囚われていたわけではない。知的好奇心は旺盛で、本を読みつつ国語辞典を引きまくり、ひたすら知識を拡げていった。

が、冷めきった授業で場違いの熱意を持ってノートを取る自分の横で、学校の授業なんてあてにしない同級生は予備校の勉強を進めていた。



高校3年。もう我慢が出来なかった。親に伝え、受験をすることにした。しかし、不器用な自分が、カリキュラムの進度の遅れを取り戻すことはできなかった。

現役時、センター試験でボコボコにされ、結局国立の二次試験は出願せず、早稲田のどこかには受かったものの、不完全燃焼に終わった(ストレスが溜まりすぎて記憶にない)。

当然、浪人をした。1年間勉強はしたが、入試に受かるための対策、作戦をおろそかにした。センターは800点を超えた(当時900点満点)が、東大は落ちた。本郷キャンパスの池のほとりのベンチで合格者の番号をスマホで検索した時、探す間もなく自分の番号がないことを見つけた。

あの記憶は鮮明である。あとあとの点数開示で、合格最低点まで2点足りなかったことがわかった。

今思えば、親も浪人までさせてくれたし、「受験したい」という意志を早めに伝えておけば良かったわけだが、コミュ障と化し、ひねくれてナイフのように尖っていた自分、そして人に相談したり、参考書を使って自力で勉強を進めるといった選択肢を考えつかないカタブツだった私は、受験、部活、人間関係……すべてに失敗して中高と浪人の7年間を終えた。

ちなみに、6年通った末の高校の卒業式、6年間で最悪の体調で倒れかけたのを思い出す。つくづく、暗い青春時代だった。



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