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【映画レビュー】『あの歌を憶えている』

記憶を巡るドラマ。ある出会いによって過去と向き合う女性

映画「あの歌を憶えている」を観てきた。「セプテンバー5」の好演も記憶に新しいピーター・サースガード、「タミー・フェイの瞳」でアカデミー主演女優賞を受賞しているジェシカ・チャステイン。いわゆる演技派俳優ではあるけれど絶世の美男美女というわけではない2人によるラブストーリーと聞いて、これは何かあるに違いないと興味津々で映画館に出かけたのだ。


あらすじ
ニューヨークで13歳の娘と暮らすソーシャルワーカーのシルヴィア(ジェシカ・チャステイン)。ある日、しぶしぶ出席した高校の同窓会で、若年性認知症を抱えたソール(ピーター・サースガード)と知り合った彼女は、ソールの家族に頼まれ彼の世話をするようになる。ソールの人柄に触れていくうちに、少しずつ彼に惹かれていくシルヴィア。しかし、ソールとの出会いは、シルヴィアの心に深い傷として残る過去の記憶を呼び覚ましてしまう……。


新宿ピカデリーにて鑑賞

映画の冒頭は断酒会のシーン。参加者一人ひとりが自らのことを告白する様子をアップでとらえる。その断酒会で先輩格とされているのがシルヴィア。この映画の主人公だ。ここで早くも彼女の過去の傷が垣間見える。彼女はアルコール依存症というだけでなく、それを招いたある出来事によるトラウマを抱えていたのだ。

シルヴィアはニューヨークで13歳の娘と暮らし、障害者施設でソーシャルワーカーとして働いていた。その暮らしぶりが淡々と描かれる。彼女は自宅に万全のセキュリティ体制を敷き、娘にも友達とのパーティーなどに参加しないように言っていた。

そんなある日、シルヴィアは高校の同窓会に参加する。それは彼女の本意ではなかった。会場で酒も飲まず、人とも交わらずに過ごすシルヴィア。その時、ある男が彼女に近づいてくる。シルヴィアは気味悪がって、自宅へと戻る。男はシルヴィアの後をつけてくる。翌朝、彼女のアパートの前で目を覚ました男は、自分がなぜそこにいるのか理由を思い出せない。シルヴィアの連絡を受けて駆け付けた彼の弟の話では、ソールというその男は若年性認知症だという。

ソールの弟は、シルヴィアにソールの介護を依頼する。今まで日中は彼の娘(つまりソールの姪)が面倒を見ていたが、彼女が大学に戻るため代わりが必要になったのだ。

だが、シルヴィアはソールの過去に対して、ある疑惑を抱いていた。かつてシルヴィアは学生時代に複数の男から性的虐待を受けていたが、そのうちの1人がソールに違いないというのだ。シルヴィアは直接、そのことをソールに告げて責める。

ところが、この疑惑はシルヴィアの勘違いだったことが、彼女の妹の調査によって判明する。それでシルヴィアは、最初は週末だけという約束でソールの介護を引き受ける。

介護と言ってもソールは日常生活に支障はなく、単に認知症の影響でどこかへ出かけて行方不明になったり、トラブルを起こさないように見張るのがシルヴィアの仕事だ。2人は普通に会話をする。一緒にソファに座って映画を観たりもする。そんなこんなで親密な仲になってしまうのである。

このあたりはちょっとお手軽な感じ。恋愛の機微があまり描かれないので、ラブストーリーとしての深みには欠ける。シルヴィアのドラマに比べて、ソールのドラマが薄いのもその原因だ。

というか、はなからミシェル・フランコ監督は、恋愛模様を描くことには興味がないように感じられる。では何を描くのか?

おそらく心に深い傷を負い、誰も寄せ付けなかったシルヴィアの心がほぐれ、新しい生き方を見つける姿を描きたかったのではないか。だとすれば、納得がいく。

彼女の変化の要因となる男性が認知症というのもポイントだ。忘れたい記憶を抱えて生きるシルヴィアと、忘れたくない記憶を次々になくすソール。このドラマは記憶を巡るドラマでもある。そうすると、原題の「MEMORY」がピッタリくるのだ。

終盤、シルヴィアにはさらなる過去の傷が明らかになる。それを巡って母親との深い溝も浮き彫りになる。そこでシルヴィアは自らの人生と今一度向き合う。過去ではなく今を生きるために。

フランコ監督は、「父の秘密」「ある終焉」「ニューオーダー」など、これまではシリアスなテーマの作品が多かった。本作でも短いカットをつなぎ、情緒に流れず、淡々とドラマを紡ぎ出す。それが抜群の効果を発揮するのは、演じているのがピーター・サースガードとジェシカ・チャステインだからだ。その演技は台詞以外の部分で多くを物語る。特に間の取り方が絶妙なのだ。

そして、もう1つの大きなポイントが、劇中で何度も流れるプロコル・ハルムの名曲「青い影」。おそらく邦題の「あの歌」というのは、この曲のことだろう。何度も流れるのにしつこく感じないのは、これがソールの思い出の曲であるのと同時に、あまりにも本作のトーンに合致しているからだろう。

ラストはシルヴィアの娘が素敵な役割を果たす。フランコ監督にしては珍しく、控えめながらも希望を感じさせる心憎いエンディングだ。

シルヴィアの生き直しのドラマとしてなかなか見応えがある。名優2人の演技だけでも観る価値ありだ。

◆「あの歌を憶えている」(MEMORY)
(2023年 アメリカ・メキシコ)(上映時間1時間43分)
監督・脚本:ミシェル・フランコ
出演:ジェシカ・チャステイン、ピーター・サースガード、メリット・ウェヴァー、ブルック・ティンバー、エルシー・フィッシャー、ジョシュ・チャールズ、ジェシカ・ハーパー
*新宿ピカデリーほかにて公開中

●鑑賞データ
2025年2月21日(金)新宿ピカデリーにて。午後2時5分より鑑賞(シアター5/C-10)

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