楽になる生き方
私は港町で昭和の冬に元気な男の子として産声をあげた。
小さい頃は、周りには女の子しかいなくて姉の後をついてまわる泣き虫だった。
幼なじみの女の子が幼稚園に迎えに来た時に泣きじゃくって幼稚園行くのを嫌がっていた。
それでも、その町は楽しく両親もとても優しく楽しい思い出だった。
その後4歳まで、その町で暮らし、その後父の転勤で〇市に越してきた。
〇市に来た最初の印象は前の町からするとかなり人口の多い街なので夜に越してきた時にネオンが輝いていてお祭りをしてるかのように思えた。
そうしてここでの生活が始まった。
それから、男友達もいっぱいできた。
幼稚園にはここでも通い、カトリックの所で家でもお祈りをしていた。のもこの頃から、、、
この頃幼稚園で誕生日の近い女子2人と誕生日会の写真を撮っていて。その後に不思議な再会がある。
小学校の時にまた転校した。
すぐに転校先でも友達はできた。
毎日外で暗くなるまであそんでいた。ごく普通に。
3年生くらいから野球少年団とホッケー少年団に入って、自分でも朝晩、トレーニングをしていた。
が、目が悪くなって居たが眼鏡をかけるが嫌でやめて、かわってサッカー少年団に入った。
サッカーはレギュラーになった。
サッカーやり始めた頃から、さらに楽しくはなったが、異性からも少し気にとめられるようになり、若干同性のやっかみの対象にあった。
これが今の感じ方に関係してるらしい。
そして中学生になった。
この頃から勉強や部活、人間関係などでも目立ってきた。
中学生でも友人達と一緒にサッカー部にはいり、レギュラーになり、一年の時に市の選抜の練習に先輩二人と行くように言われて参加した。
勉強はだいたい今振り返っでもだいたい3年間平均的にクラスではトップクラスだった。
中学生になると女性の方がませているのでもともとあまり恋愛に積極的ではない私は、何人かの学校の女子に好意的な事を言われたりバレンタインにチョコもらったりした。
1回バレンタインに後輩が家まで来て私のイニシャル刺繍してあるタオルを貰ったりした。
ヤンキーが流行った世代なので友達もたいていやんちゃになっていった。私も喧嘩や万引きなどをし始めた。万引きは友人に誘われるままにしていた。
だけどこの頃から私のうちの父が仕事の環境のせいからかいつも機嫌の悪さを家庭で出すようになっていた。
私も中学1年生位からあきらかに自分の感受性の豊かさ言い方を変えたら繊細さ、そして先読みの癖はこの頃からあった。それが今の病気というものに繋がるが。
そして決定的に父を憎み始めてメンタルのバランスを崩す出来事があった。
姉の進学問題だった。姉は市内でも最低ランクの私立の高校にしか行けないと教師から言われて、父が姉に部活を辞めろと言った。父に対しての進学への考え方に反発があった
エネルギーを大量に使ったのがこれら勉強や、スポーツのレギュラー争いに、学校の委員長、友達との人間関係や、喧嘩にタバコや万引きしてる罪悪感、そして決定的に親との葛藤、もともとの敏感さ、今ならHSPなどで理解されそうなタイプだが、その時代はメンタルの病や機能不全家族になんの理解もない時代。