物質、衛生面に恵まれた社会で不幸な人が多い訳を考える
今の社会は昔と比べても物質も衛生面もめちゃくちゃ恵まれています。なのに不幸なんです。物なんてお金を払えば簡単に手に入りますし、なんなら物を拾って生きることも可能でしょうね。
それほどまでに物で溢れかえってます。捨てるものなんて山ほどあります。それでも不幸なのはやはり、その大量の物を生み出したり環境を維持するのに労力がかかるからなんでしょうね。
働きすぎなんだと思います。人があまり住んでないところでも道を整備したりなんてこともあるみたいですからね。
でもいずれはこんなことは出来なくなると思いますね。人が少ない地域は移住の選択肢を迫られる日が来ると思います。
ボロボロになった設備はそのままで放置されて財源的なあれの問題で出来なくなると思います。
それを続けてたらそれこそ働いている人は大変で無駄なものを維持するためにたくさん働かなければいけなくなると思います。
おもてなしや便利みたいなものを求めすぎてて忙しさが増えているような気がするということですね。それが結果的に不幸になっているのではないかと思います。
そして本当に大事なものをいつかこぼれ落としてしまうのではないかと思います。やはり全部をやろうとするなんて無理で限界があるような気がしますね。
やらなくて良いことをやっているから不幸なのではないかと思います。それで自分の首を締めるなんて意味が分からないですね。
これからは集中と選択というやつが大事になるのかもしれませんね。二兎追うものは一兎も得ずなんて言葉もありますが、全てを都合よくやろうとするのは無理なんですよ。
実際に今はもうめちゃくちゃ負担がかかりまくっていますし、人も少ないので残業頼りみたいなパターンもありますからね。
たくさん働いても損するような感じになるし上手いこと噛み合っていない。個人が現代で幸せになるのはまずは全てを真っ白な状態にしてから1から組み立て直すのが良いのかもしれませんね。
入りきらないカゴにあれもこれもといっぱい詰め込みすぎていないですか?ってことですね。
まあ外的要因で無理矢理にカゴに物を押し込まれるケースもあるんですけど、そういう時はノーセンキューときっぱり断るしかないですよね。
それが仕事の残業だったりですよね。残業ばっかりしてたらあっという間に人生が終わってしまいますよ。
今は溢れているものをノーセンキューと言い、必要な分だけビュッフェスタイルで取る時代なのかもしれませんね。
食べきれる量だけお皿に入れて、それを食して満足という感じですね。
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