クリスマス・正月の想い出
子供の頃、我が家では毎年クリスマスにツリーを出していた。しかし食事は少し豪華なものにするという程度で、チキンやケーキを食したりすることはなかった。家族にプレゼントを買ってもらえるのは誕生日とクリスマスだけだったので、楽しみにしていたことは覚えている。
大晦日の晩、リビングのテレビからはいつも「紅白歌合戦」が流れていた。後に「ガキ使」を知ってからはそれを疎ましく思い、一人別の部屋のテレビで観ていたが、小さい頃はソファで眠っていた。
「ゆく年くる年」が始まる辺りだろうか、起こされて家族で近所の神社へ向かう。近年の様子は行ってないから分からないが、少なくともかつては、お詣りにきた人々が長蛇の列を成していた。帰る前には(売るのではなく配られていたはずだ)甘酒を味わうこともあった。甘さと同時に確かにある「酒」の味わいに、少し戸惑っていたように思う。
明くる朝は皆眠っており、正午近くにようやく起きてきてお節料理を食す。当時は母もそれほどの負担を感じることもなく、事前に注文したりせず自分で作っていた。僕の好物は数の子と伊達巻で、特に数の子をよく食べ、家族にも人気だから、毎年多めに用意されていた。
幼少より僕は酒飲みのような舌をしていたが、お屠蘇も好んで飲んでいた。前述したように「酒」の味わいには抵抗があったけれども、味醂の味がこれを受け入れさせたのだろう。
雑煮は白味噌で、具材は豆腐、油揚げ、人参、大根、里芋など。そして丸餅を数個入れて食べる。近畿圏によくあるスタイルだ。食事は二日ぐらい、この雑煮とお節料理でやり過ごす。
毎年三日頃には、親戚を呼んでの新年会が行われていた。最後に集まったのはもう何年前のことだったろう。床の間に上がってもらい、予め出前で取っていた寿司を食べる。一段落すると、親戚が用意してくれたプレゼントを受け取る。よくプラレールなどの玩具を貰い、遊んでいた。少し歳を重ねると電子辞書といったものも貰っていた。
日本人は無宗教だと主張する人々がいる。一切興味を持たなかったため、その論の詳細は知らないが、「宗教」という訳語の背景にある一神教的前提を踏まえるならば、日本人は一般的に(普遍的に、ではない)無宗教の民族だと言っていい。しかし、断じて無信仰の民族などではない。形骸化してはいるが、民俗の中には確かに信仰の息吹が残っている。それを自覚できるかどうかが問題なのだ。
日本文化に一定の理解がある両親のもとに生まれてきたことについては(父親にネトウヨのケがあるとはいえ)幸福に思っている。太陽神の死と再生の日である冬至のキリスト教化された姿がクリスマスだが、資本主義に完全に取り込まれ、もはや原形を保っていない。そういった行事と一定の距離を保ち、やがて離れたのはよかった。一時期ニーチェにかぶれていたから、キリスト教への憧れもない(絶対性の追究という一点を除く)。僕は歴史という運命を受け容れ、愛する境地を目指して生きていく。
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