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「Shiny Stories」は急遽やったのか?ー メタ視点を排除して[liminal;marginal;eternal]を考える

このnoteでは何かしらの意見に反論したり否定する意図はありません。
現実世界からの評価をなるべく排除して、あちらの世界におけるライブの内容などを考察します。
また私個人としては今回のライブの一連について、かなり肯定寄りのスタンスです。
以上を理解の上、興味のある方はお読みください。




↑またしても何も知らない淀橋ヒノヤさん(ライブ当日の朝)


こんなことになるとは露知らず、「完璧・永遠」構文をイジってた頃が懐かしいですね。


普段はYouTubeでシャニマスの企画や大喜利をやってゲラゲラ笑っているだけのふざけた人間なのですが、

[liminal;marginal;eternal]4公演を配信で観て、こみ上げる熱い気持ちが抑えられず、チャンネルメンバーと緊急の感想配信を3時間やって、

最終的にシャニマスが好きな理由を泣きながら語るオタクになってしまいました。


というわけで、配信を観てくれた皆さんの時間もお借りしてスッキリさせてもらったし、現状の紛糾しきっている状態にこれ以上突っ込んでいきたくないので、もう自分から発信することはないかなと思っていたんですが。

感想配信の中で「(こっちの世界の話は置いておいて)美琴さんが倒れた後の曲をフルでにちか1人にやらせるのは更に事故が起きた可能性はあったし、そもそものセトリに無理があったんじゃないか」という議論を少しして、これは一考する価値があるなと。

あえて、メタ視点(=現実世界からの視座)をなるべく排除して、あっちの世界での[liminal;marginal;eternal]を解釈してみようと思います。

(ここからはライブを観ている前提で話しますので、ライブ内で起きたことの詳細は省きます)


もうこの段階まで来たら、現実とかどうでもいいですよね。


ここから先は出来る限り「シャニマス世界ではこうだったんじゃないか」という想像と、「その想像の結果、私はどう感じたか」の話しかしないつもりです。
(そしてこれから書くことは全て素人の妄想ですのであしからず……)



※以降、彼女たちが生きる向こうの世界を「シャニマス世界」、こちらの世界を「現実世界」と表現します。

★シャニマス世界の[liminal;marginal;eternal]について本気出して考えてみた


①ライブ開催まで

◆「完璧・永遠~」の文章は向こうにもあったのか。ライブコンセプトとデザインについて

現実世界では流行語にもノミネートされた例の一文。

これが、シャニマス世界でも宣伝文句として使われていたかというと、まあ流石にだろうなと思います。
リプライでの補足然り、パンフレット然り、徹底的にメタ的な干渉という風に利用しているので。

向こうの世界の会場の外で、白髪髭を蓄えた謎の浮浪者がこの言葉を呟いていたらどうしよう。


ただ、ライブ名が[liminal;marginal;eternal]であることと、色味を抑えた無機質なデザインに統一したライブであったことは確かでしょう。

だからシャニマス世界でもコンセプチュアルな告知や宣伝をして「さーせん、283プロはたまにこういうことをするんです…」ってオタクが言ってたかもしれない。


◆SHHisとCoMETIKの共演のレアリティ

SHHisとCoMETIKの2ユニットがそれぞれどれくらいのステージ経験を重ねた段階でのライブか、については少し判断が難しいですね。

まあでも、ここも現実世界とあまり変わらずザックリこういう段階なんじゃないかと想像しておきます。

・どちらも事務所主催ライブやフェスなどのステージを数多くこなしている
・283プロ合同ライブでSHHisとCoMETIKが一緒に出るライブはあったが、メンバーが絡むシーンはほぼない
・283プロ2ユニットによるライブは初めての試み
・表での絡みが少なく、元々ユニットを組んでいたルカ・美琴が揃うのもあって、SHHis×CoMETIKという組み合わせは非常に貴重

こう見ると、シャニマス世界でも相当注目度が高いライブだったんじゃないかと思えますね。


◆会場と昼・夜全4公演について

ライブ会場のキャパシティなども現実のライブと変わらないと考えましょう。
(搬入や仕込みは別にして)公演日として2日間会場を押さえているので、1日1回、全2公演という選択も十分あり得たと思います。
4公演にしたのはシンプルに、それだけのキャパシティが適切なくらいSHHis・CoMETIKのファンが多いということかなと。
もちろん全通するファンもいるでしょうが、どれか1公演でも来てくれたらいいよ、ということだったのでしょうね……。


②ライブの内容について

◆4公演のセットリストを分析する

4日間のセトリを照らし合わせてみると、以下のようなことが見えてきます。

・4公演全部で披露された曲は17曲
・[never;1]⇔[odd;2]、[or;3]⇔[even;4]はソロ曲の位置以外、構成はほぼ変わらない
・3公演目で新たにセトリに「Shiny Stories」「泥濘鳴鳴」「Fashionable」の3曲が追加される
・4公演目で「1/3」が追加される

言葉を選ばずに言えば代わり映えしないセトリではあると思います。
でもライブで披露する以上、同じパフォーマンスは二度と無いのは当然なので、それもまた良いでしょう。

もちろん、4公演あるので、全通する人のためのサービスとして2日目に別の曲を追加するなど、できる限りの工夫をしていると思います。

また、「1/3」はダブルアンコール的な位置なので千秋楽だけのサービスでしょう。全国ツアーとかでもよくある、嬉しいやつですね。
(追記)
1/3はシャニマス世界だと未発表の新曲をやったとも考えられるかも。CDケースを分解するという現実世界の干渉があって初めて聴けた曲なので。

各ユニットの持ち曲数もそこまで多くないですし、曲数が増えればその分レッスンも増えるわけで、「にちか&だぶるはで『Bloomy!』歌わせちゃおうぜ!!」みたいなことは気軽には出来ないでしょう。なんでよ、してよ。
お互いのユニット仕事もあってレッスンの時間も合わせづらいだろうし。そっか…ごめん。


なにより、ライブのコンセプトや狙いがそういう方向ではないかなと思います。

多分、シャニマス世界のSHHisとCoMETIKのファンがまだそこまで被ってない段階なんじゃないかと思います。

だから、2ユニットの交流よりも、お互いのファンにそれぞれのユニットの魅力をまっすぐ伝えたいという、シンプルでストイックなライブコンセプトだと感じます。

ルカに言わせれば対バンじゃないらしいですが、そういう意味では対バン的な思想かなと。


◆「無理がある危険なセトリ」だったのか

さて、ここから本題の1つ目。
「セトリをもっと配慮しておけば、あの事態は防げたのか」ということです。

具体的には「ユニットパートのブロック分けをもっと細かくして、連続で披露する曲数を減らせばよかったのではないか?」という指摘ですね。

これは、事態が起きてしまった後の反省点としては的確で、283プロとしてもそこはライブ後にしっかりと受け止める必要があると思います。

でも、それを理由に事前にセトリを緩める判断は中々出来ないよなぁという所感です。主に2つの理由を挙げて説明しましょう。


①ライブの緊張感やグルーヴを損なわないために、ユニット単位のブロックをまとめて連続披露したほうが演出的に効果的だった。

➡SHHisが2曲やって、交代してCoMETIKが2曲やって、またSHHisが2曲やって・・・みたいなことをすると、どうしてもテンポは悪くなるし熱は逃げていきますよね。
「対バン的」と言ったように、「このパートはSHHisにどっぷり浸る時間だ!」と思ってもらって熱を増幅させ、ユニットの魅力を最大限伝えるのが演出上優先すべきだったのでしょう。


②上記の緊張感と熱を保つためにブレイクのMCは挟めないし、「実力派」である2ユニット(特にSHHis)なら出来る範囲だった。

➡MCや転換を挟まずに、個人・ユニットの曲を連続披露した曲数は、SHHisでMAX5曲(転換VTRを挟むと8曲)、CoMETIKでMAX4曲です。

確かに、そりゃあ相当しんどいとは思う。

けど、実力派アイドルと謳われるユニットなら出来てしまう範囲なのかなぁと。

というかそれが出来るから「実力派」と称賛されるのだと思います。
(とはいえ、現実なら暗転中の尺をもっと長くとって、水分補給したり息整えたりすると思うが、そこのリアリティはあえて削ったんだと思う)

なにより、SHHisはそういうステージが作れるように普段からあれだけのレッスンをしているわけなので、シャニPが「このセトリで大丈夫か?」と進言しても、2人は絶対やると言うでしょう。


◆あの事態の後の対応パターンを考えてみる

では、美琴が倒れた瞬間に、どんな判断をとるべきだったのか。

①その後の公演をすべて中止

➡まあこれは考えづらいですね。他の4人がそれだけは嫌だと強く抵抗するでしょうし、返金など事後対応も大変なことになるでしょう。
会場にいるファンのためにも届けられるものは出来るだけ届ける、それは裏方も含めた総意だったと思います。


②SHHisの残りの曲(M11-13)を全カットして、M14のフェアリー・ガールから再開

一番妥当なラインだと思います。おそらくシャニPは冷静に時間をとって考えたらこの判断をする気がしています。


ただ、その判断を考える間にも刻一刻と時間は過ぎます。
トラブル対応はスピードも求められますから、冷静に考えられることばかりではないですよね。
加えて、これをやるとなった場合、構成が変わるので、スタッフ全体にその方針を正しく伝えて再開しなければなりません。これは意外と時間がかかります。
その間もずっと観客を待たせるわけで、かなり難しい判断を強いられます。


③対応を検討したり にちかを休ませるために、アンコールで演る予定だったCoMETIKのパートを先に挟む

➡これが一番難しい。というか、ほぼ不可能だと思います。
そのレベルでセトリを変えてしまうと、照明も舞台転換もプランが全部変わるので現場大混乱でしょう。
このパターンの時の、怒号が飛び交うスタッフのインカムは正直想像したくないですね。

なにより、美琴さんとSHHisの状況説明をCoMETIK(喋るのは実質だぶるは)にやらせるのも、にちかは相当嫌がったんじゃないかなぁ、とかも想像します。
この状況をファンに伝えて可能な限り安心してもらう、せめてその役割だけは自分でやりたかったと思います。

それでもやるとなったら、現実的なのはこうかなぁ。

①中断中に、にちかがMCとして出てきて、状況説明としばらく待っててもらう旨を伝える
②セトリの変更方針を決めて、各所に確認・調整。
③全ての確認が取れたところで再開

でも、これをやるとおそらく20-30分くらいの中断は挟まざるを得ない、そんな気がしますね。


④にちかが1人でSHHisのパフォーマンスをやり切る

➡結果的にこの選択肢を選んだわけです。
この選択の良いところは、セトリ自体が全く変更になっていない点です。
各所に「セトリはそのまま、美琴は以降出演なし、SHHisはにちかが1人でやります」とだけ伝えれば再開できちゃうわけですから。

(現実世界の配信映像がシャニマス世界と同一か、は分かりませんが)バタバタしていて状況を把握しきれてないカメラマンもいたかもですね。

「あれ!?緋田美琴いないぞ!?袖から出てくるのか!?1人でやるのか!??どっち???どこ構えとけばいいの?おい!スイッチングするのかよ!なんだよもう!にちか撮ればいいのね!?」

みたいな声が聞こえてきそうなカメラワークもありましたし。


というわけで、④を選んだのはやはりにちかの強い意志があって進言したものだと私は想像します。

美琴がステージを託すようなやりとりがあったかどうかまでは分かりませんが、にちかからしたら予定通りの曲数をパフォーマンスするだけなので、やらない理由がないでしょう。

そして、シャニPは信じて送り出した。ここは良くも悪くもシャニPという人間だなと思います。


しかし、いくら予定通りのセトリとは言え、目の前で美琴が倒れて、急遽1人でステージに立つのだから、メンタルには確実に大きな影響を及ぼします。

事態が更に悪化する可能性は十二分にあったでしょう。
そこは283プロとしては「結果オーライ」だけで済ませてはいけない、反省すべき点であると思います。

でも。

七草にちかはSHHisのステージを守り抜いた。彼女が美琴の隣で積み上げてきた全てが成し遂げたものに他なりません。
本当に、素晴らしいステージでした。


◆どこまでが「予定通り」だったか

さて。

[odd;2]が終わり、休む間もなく翌日の公演のことを考えなければなりません。

美琴さんの容態については、にちかがステージで言っていたことを信じれば、意識はあったが大事を取って病院にいったという状況だと思われるので、ライブ後の早い段階で、完全とはいかずとも美琴さんが翌日公演に出演する可能性は高まっていたでしょう。

その上で、[or;3]は流石に完全に出演復帰する判断はせず、様子見として、当日朝に①一部出演(正史)②出演見送りを判断するダブルスタンバイが前日までに出来たことなのかなと思います。

午前10時までに最終判断をして告知を出すことにしたのも、現実世界での投稿から推測できます。

②の場合の対応については省略するとして、実際にとった①の対応の前日判断を考えてみましょう。

争点は[odd;2]と同じように、にちか1人にSHHisのステージを任せることの是非だったと思います。

この段階では流石にシャニPは止めたとは思うんですよね。というか、プロデューサーとしての責任を持って止めるべきだったでしょう。

でも、にちかが引かなかったことも容易に想像できます。
「今日の公演で出来たじゃないですか、明日やれない理由が分かりません!」と、当然いいますよね。
もっと言えば「今日の私のパフォーマンスがお客さんに見せるレベルに達してなかったって言うことですか?」という攻め方もしてきたかもしれない。それは全身全霊で否定しないといけない。

これをシャニPが押しのけてSHHisのステージを減らすのは……まぁ出来なかったんじゃないかなと思います。

「明日の美琴やにちかの状況次第ではSHHisのステージを削る判断をする可能性がある」という形で判断を先送りして、その日の議論は終了したんじゃないかと思います。

さて、ここでようやく私が一番したかった考察に移ります


◆「Shiny Stories」は急遽差し込まれたか

(02/15追記)オーコメの発言を受けて一部追記しました。一応オーコメのネタバレ注意。

これです。

果たして「Shiny Stories」はもともとセトリに組み込まれていたのか。それとも、美琴さんの体調不良を受けて、急遽追加したものなのか。


というのも、[odd;2]まで観終えて興奮した自分は、事前にこういった予想をしていまして。


にちかとルカで「Shiny Stories」を歌う、という点でかすったかなと思いきや、公演を見るとちょっと疑わしいぞと。


あの「Shiny Stories」は美琴の体調不良にかかわらず元からセトリに組み込まれていたのではないかと、自分には思えたのです。

ただし、どちらの可能性も捨てきれないと思っています。


①前日の相談で急遽追加された説

美琴さんの不在で悲しむファンのために、少しでも特別なものを届けたい。今いるメンバーで追加で披露できる曲は……「Shiny Stories」があるじゃないか!と思い至るのは不自然ではありません。

実際に披露されたステージを見ると、舞台セットは他の曲で使われていたものだし、照明演出もシンプルではあります。

前日に曲を追加して、有り物の照明でどうにか当日までに演出を準備する、というのは相当大変でしょうが、「照明さんが徹夜でなんとかしてくれた」でギリギリ納得できるレベルだと思います。こういうときは裏方も火事場の馬鹿力を発揮してくれるものです。

肝心のパフォーマンスも、本来は真乃を含むものの元からあった持ち歌ですから、例えば「3人でShiny Storiesをテレビで披露する機会があったので最近練習していた」など理由をこじつけることはいくらでも可能かなと思います。


②元から[odd;3][ever;4]のセトリに入っていた説

まず、ステージの完成度を見るに、突貫工事でつくったと考えるより、始めから準備をしていたと考えるほうが正直納得感が強いです。

また、2日目の公演の追加要素として観客をサプライズで喜ばせるために、シャニマス世界のファンにとっても貴重であるにちか&ルカのデュエットを用意していたというのも想像しやすいです。

にちか・ルカがライブ前からこのデュエットを許容したのか?という点にも議論の余地はありますが、乗り気じゃなかったとしても「やりたくない」とは言わなかったんじゃないかなと個人的には思っています。

「私が勝ってやる」的な反抗心が動機だったとしても、2人ともこのデュエットをファンのために届けるモチベーションはしっかりあったと思います。ルカの事前の配信などからも、このライブへの意欲や自信が感じられましたから。


そしてなにより、SHHisのステージを1人で守る決断を容認した上に、全く準備してない曲の追加まで提案されたら、シャニPも「流石にそこまでは許容できない」と譲らないと思います。Pとしてそこは断固として守るべきラインだと思う。


★ほんの少しだけ世界が変わった、のだとしたら

というわけで、状況証拠から考えると②が妥当だと思ったのですが。


もう一つ、私の願望強めの別の説を提唱させてください。


③[ever;4]で元々やる予定だった「Shiny Stories」を、[or;3]でも急遽やることにした

これです。


これなら、事前にレッスンも演出も準備できているわけなので、大きな負担なくセトリに組み込む事が可能です。

にちかが言ったのではないでしょうか。
「明日美琴さんがどうなるか分からない。だから[or;3]に不安な気持ちで来る人達のためにも、やれることは全部やりたい」と。


この説を補強する理由の一つに、[or;3]と[ever;4]でのセトリに追加された新規曲の偏りがあります。

[or;3]で追加された新規の披露曲は3曲。
一方、[ever;4]ではダブルアンコール、つまり言ってしまえばボーナス的な「1/3」の1曲のみ。

ちょっとバランス悪いですよね。

やや極端な言い方をすれば、[or;3]のサプライズは「泥濘鳴鳴」と「Fashionable」のみで十分でしょう。

「Shiny Stories」が観客にとって予想だにしないサプライズだと仮定したら、最終公演である[ever;4]だけの目玉として用意したと考えるのは自然に思えます。


なにより、私がこの説を提唱したい理由が……

[odd;3]で「別に」としか言わなかったルカが、[ever;4]ではにちかのパフォーマンスについて「キレが悪い、位置取りも微妙」と呟いた。

つまり、「舞台上でも一回も目を向けてくれなかったルカが、にちかのステージを見てくれた」という大きな一歩は、この変更がなければ生まれなかった。

自分勝手な願いでもいいから、そう思いたいのです。


【オーコメを受けて02/15追記】

まず、オーコメという画期的な追加コンテンツを用意してくれたことに最大限の感謝を……やはりlmeを信じてよかった。

で、ルカがオーコメで「Shiny Stories」についてこう言及していました。
(※一応、オーコメネタバレ注意↓)




「立ち位置も歌い分けもそんな変わるわけじゃないし、合わせる時間がなかった……(ルカの声が小さくて聞こえないよ、ルカ……) …問題なかった」


この発言を受けて「急遽セトリに組み込まれたんだ!」という反応がかなり多かったようですが、かなりどっちの可能性も残した言い方してるな、と自分は感じました。

①急遽セトリに組み込んだ説に一定の説得力があるのは前述の通りなので、②元からセトリに入っていた説に則って解釈しようとすると……

「(唯一別ユニットメンバーとのデュエットだったのでスケジュールの調整が難しくて)合わせる時間が(あまり)なかった」ということにも聞こえるなと。
それに、急遽追加したって事実があるなら、はるきの話題の振り方も変わってくる気がするんですよね。オーコメにはうってつけの裏話なので、「この曲、実は…」って言いたくなるのが自然な気がする。

もちろんルカが美学として「急遽追加した」という事実を隠した(事前に口止めした)って見方もできると思います。「問題なかった」の前の聴き取れない言い淀みも、それを隠すまでの逡巡だったかも。

なんにせよ、どちらの可能性も残して、「見たいものを見るわ、lmeの中に」って姿勢を貫いているようにも思えましたね。ありがたいよなぁ。




「美琴の体調不良を受けて2日目以降にドラマチックな変化が起きるのでは?」と、浅はかな自分は現実世界から「劇的な物語」を求めてしまいました。

しかし、②にしても③にしてもライブの内容に大きな変更は起きていません。

このライブはどこまで言っても「緋田美琴が倒れた」だけのライブだったんだと気づきます。(もちろん、大事には至らなかったとはいえ美琴さんが倒れたという事実が彼女たちにとって重いものなのは大前提として)

美琴の出演縮小以外は、それぞれのアイドルが驚くほど予定通りに粛々と最大限のパフォーマンスを披露した。それだけだったんだと。


自分の浅はかさを思い知るとともに、脳裏にふとよぎったのが「シャニアニ1期」でした。

(01/17追記)
①を想像していた自分を浅はかと表現していますが、①と事前に予想したり信じたりすることを浅はかとは言っていませんので誤解なきよう……!
①も十分に信じられる証拠が揃っているのは前述の通りだし、①だったらそれはそれでめっちゃアツいので。
「浅はか」としたのは、この後触れるシャニアニの件でいたく感動していたのに、私はその感覚をすっかり忘れてしまっていたんだなぁ、という部分についてです。

◆少し脱線:「シャニアニはドキュメンタリー」だったのか

(シャニアニ1期がどうだったか、という議論を今更ここでするつもりはないので、多くは語りません。私はどちらかといえば好ましい気持ちを持っています。)

1期の事前上映が終わった時期にしばしば見かけたのが「シャニアニはドキュメンタリーをやろうとしている」という言説です。

果たしてそうだったでしょうか?


私はこう思います。



シャニアニは「ドキュメンタリー」すらも拒否していた、と。


シャニアニ11話で個人的にとても印象的なシーンがあります。

1期終盤で描かれる283のファーストライブは何一つ大きなトラブルが起きることはなく、極めて順調に終わります。あえて言うならば、物語としては退屈なほどに。
そのライブの中で、アルストロメリアのパフォーマンスを終えて舞台から降りた甜花の目から急に涙が溢れます。

緊張の糸がほぐれたのか、終わってしまうのがさみしいのか、自身のパフォーマンスに納得がいかない部分があったのか。


この涙の理由は驚くほど何も語られません。


「ドキュメンタリー」をやろうとするならば、この涙の理由のヒントを与える動線を引くと思うのです。

凡百のドキュメンタリー番組なら「甜花の緊張の糸が切れて、感情が溢れ出した」などとナレーションを当てることでしょう。ダサいけどわかりやすくはあります。

もちろんシャニアニがナレーションという手段は取れないので、ドキュメンタリー番組に置き換えた例え話でしかありませんが、そんな風に代弁をしてあげないと「観念的でよくわからない、出来の悪いドキュメンタリー」になるのが関の山です。


ましてやアニメという創作物なのですから、千雪に「どうしたの?」とか「ステージ、楽しかったね」とか声をかけさせる事もできたはずですし、甜花に涙の理由を答えさせる事もできたはずです。

甜花が「(涙の理由が)わかんない…」というだけでも、視聴者の私たちは幾分か分かった気になれたはずです。


しかし、甜花の涙の理由を言語化することは徹底して避けた。

ここにシャニアニの強い意志を感じて心を打たれたのを今も覚えています。

甜花自身にも言葉にまとめることができない涙を、千雪も甘奈も、そしてシャニアニも、言葉という枠組みに収めるのを拒否したのです。

今回の[liminal;marginal;eternal]も、同じ意志を感じました。


◆驚くほどに劇的な変更がなかった「予定通りのライブ」、それでも…


[odd;2]で美琴の体調不良があったが、できる限り予定通りにライブを進行した。客観的な事実だけ見ればそれ以上でも以下でもなかったわけです。


[or;3]の「Fashionable」も元々演る予定だった曲を予定通り2人でやっただけです。


でも。
あのパフォーマンスを観て、そんな冷めた言い方が出来る観客がシャニマス世界にいたでしょうか。
にちかが1人で守ってきたSHHisのステージに美琴が帰ってきて2人が揃ったステージは、この日、この瞬間にしか観れない。
一期一会のライブ体験とはまさにこういうものだと思います。


美琴が倒れたからといって、ライブ内容を劇的に変えて、ドラマチックに起死回生の一手を打ってハッピーエンド、なんてことは有り得ない。

ましてや、シャニマス世界で283プロのファン以外にも届いてしまうような大きな話題や議論を呼ぶこともなかった、そんなライブだったでしょう。

でも、にちかが、ルカが、はるきが、羽那が、美琴が、目の前のステージにそれぞれの形で魂を注ぐことで、世界がほんの少しだけ変わったと、私はそう信じたいのです。

ステージのにちかの姿をルカが見つめた。そんな小さな世界の変化を。



★少しだけ、私自身の願いの話


ここまで長々と書き連ねて、結果として言えたことって「驚くような発見は何もなかった」という何も言っていないに等しい結論でした。
にもかかわらず読んでいただいた人には深く感謝します。

ここからは自分が感じたことや願いの色が濃くなるので、ここで読むのをやめてもらっても大丈夫です。



美琴さんが体調不良によってステージに立てなかった。
その無念は自分には想像しがたいくらいの絶望だったでしょう。

それでも、自分はこのライブを通して、

「ね?大したことなかったでしょう?大丈夫なんだよ」


って言葉を美琴さんに掛けられたらいいな、と思いました。

ステージに命をかけてきたからこそ、自分を追い込みすぎてしまう美琴さん。
でも、毎回のステージに彼女が命をかけてきた結果が、七草にちかというパートナーをSHHisの舞台を1人で守れるほどに成長させた。
ステージを求めて283プロに移る決断をしたからこそ、一時は世界から消え去ってしまいそうだった元相方・斑鳩ルカの灯火を蘇らせて、比類なきアイドルとして再びステージに気高く立たせる事ができた。
そして斑鳩ルカにもまた、彼女を1人にさせない鈴木羽那と郁田はるきという存在ができた。

(どうしてもだぶるはへの言及が薄くなってしまってますが、今回のライブにおいて明るく「アイドル」でいてくれた2人の存在はまさに救いだったと思います。)

完璧なライブを届けられなかった無念は残るでしょう。
でも、彼女が1回1回ステージに命を注ぎ、ほんの少しずつ世界を変えてきた、その積み重ねがムダじゃなかったことの何よりの証拠が今回のライブだったと思いたい。
そして、これから生きていく彼女の世界がより健やかなものになってほしいと、私は願います。今度美味しいお寿司屋さん教えてあげようかな。



(ここから先はもっと個人的な話、スーパー自分語りです)



先日の生配信で制作目線の話をしすぎたので、誤解を与えたかもと思い、念のためこっそり補足。

制作サイドがどんな強い思いで本気で作っていたとしても、誰かが悲しい思いをした事実を蔑ろにしていいとまでは言うつもりはありません。

同時に、その感情を生み出してしまった責任にどこまで向き合うべきか、も他の誰かが決められることではないとも思います。
どこまでいっても作った人と受け取った人の間にしか答えはない。

表現はどこまでいっても自己満足だと思うし、「自己満足でない」と思い込んで作ることのほうが危険だと、個人的には思います。



ここであえて、私が大好きなある作品を引用しようと思います。

私が↑このようなnoteを書いた「違国日記」という漫画です。


(↓一応ネタバレ注意↓)



主人公の槙生は少女小説家で、子どもの頃から好きだった小説を生業にしています。

しかし、彼女は徹底して、自分の小説が与える影響に対して距離をおいた態度を取ります。


違国日記(6) page.30より
違国日記(6) page.30より





違国日記(7) page.35より
違国日記(7) page.35より
違国日記(7) page.35より


(じゃあ、彼女にとって「物語」とはどんな存在か?世界にどう影響を与えるか?誰を救うのか?…これは読んでもらうしかない。読んでね。)




創作物はどこまでいっても作り物。
シャニマスも、今回のライブも当然そうです。

虚構を掘り進めていったらどこかで固い地盤にぶち当たります。
私は妄想を自分本位に広げるのがそこまで得意ではないので、もっともらしい理屈から外れた瞬間に、想像が色褪せて死んでいく、なんてことは何度も経験しています。


でも、今回のライブは私にとってそうではなかった。
ここまで10000字を費やして、どこまで掘り進めていっても想像の中でまだアイドルたちが生きている
アイドルだけでない、あのステージを作り上げた裏方や、見届けた観客の息遣いを感じることが出来る。


だからこそ、これを作り上げた人たちへの最大限の敬意を込めて自分の感想を語らなきゃいけないと思ったわけです。



おそらく自分はエンタメを見くびりたくないんだと、そう思います。

コロナ禍を迎えたときにテレビディレクターの端くれだった自分も、「不要不急の娯楽は必要か」の命題に否応なしに向き合わされ、いろいろなことを考えさせられました。


消費者としても制作者としてもエンタメに寄りかかって生きてきて、

もう生きている必要がないと思い至った時期をエンタメによって生きのばした自分は、

楽しいものを表現して明るい気持ちになるだけがエンタメだと言う立場には、もうなれない。



「綺麗じゃない言葉だって心をつくっていく」

その言葉の通り、私は「シニタイヤツハシネ」と叫ぶ歌に救われて死なずに済んだからこそ今の自分があるので。


アイドルたちをあの舞台に顕現させて皆の心に深く刻むために、本気の思いで向き合って嘘の世界を作り上げた皆さんに敬意を評して……
Xで見つけた制作の皆さんのポストを勝手に紹介させてもらって、このnoteを締めたいと思います。
(自分の観測範囲で見つけたものなので漏れているものもあるかもしれません、あしからず……)

(公開後に見つけたものを追加していきます↓)









明日からまた、こういうことだけ言う人間に戻ります。
許せる方はチャンネル登録よろしくお願いします。(許せないこともあると思います。)


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