「ハルさんはマングローブ林だ」という奇論 ~フラカン×ピーズ野音ツーマンの日記(前編)~
碌な予定が入っていないスケジュールアプリの2023年9月2日に、場違いなくらい陽気な4文字が躍っていた。
「ヨサホイ」
フラカン×ピーズの野音ツーマン「帰ってきたぞぉぉ、っちゅうか死ぬまでヨサホイ〜YOSAHOI IN HIBIYA〜」。この日をずっと楽しみにしていた。
フラワーカンパニーズ、通称フラカンに惚れて10年以上になる。
キッカケは御多分に漏れず大傑作「深夜高速」だったクセに、今じゃあすっかり「フラカンは深夜高速だけじゃないのに」と管を巻く厄介オタクだ。
いまでこそ立派な(立派ではない)社会人だが、フラカンにハマる前から今までずっと、脳みその片隅で少年期に閉じ込められている自分を感じている。
「学校に遅れる」「宿題を忘れる」「水泳の授業が始まるのに水着がなくて、裸で廊下に放り出される」そんな夢にうなされるたびにそう思う。
そんな「元少年」が、まさに10代が終わったころにフラカンを知り、当時の最新アルバム「チェスト! チェスト! チェスト!」を聴いて思った。「これからずっと、下手したら死ぬまで聴き続けるバンドに出会ったかもしれない」と。
「忘れてしまう記憶」を歌った『日々のあぶく』のクライマックス、さながら走馬灯のように些細だけどエモーショナルな光景をまくしたてる。
詩的な表現の連なりに交じって不意に飛び込んできた「ドブ川に浮かんだコーヒーの缶」。
ビビった。
初めて聴いた曲なのに、この景色は確かに私の脳内にあった。
死別した肉親に似た後ろ姿を街中で見つけたみたいに、言語野が三度見した。
脳裏に蘇った光景は「錆びたMコーヒーの缶(オレンジと白の、樽っぽい形のアレ)が放り出された近所の用水路」。
些末でくだらない思い出未満のシーンが、この曲のおかげで私の記憶のバケツの中に居場所をもらったのだ。
フラカンのほぼすべての曲を作詞している鈴木圭介さんは、常々「自分のことしか歌えない」と語っているが、こうやってたくさんの人の「自分の歌」になっているんだろう。
前置きが長くなってしまった。ライブの日記を書くつもりで始めたのに。
初めてのフラワーカンパニーズのライブも野音だった。2013年、大寒波に震えながら、憧れのフラカンを目撃した。
あれから10年、来年改修に入る100周年の日比谷野音は暑かった。浮かれて普段は飲まないビールを買ったが、すぐヌルくなって1口目以降は義務感で飲み干した。慣れないことはするもんじゃない。
まだまだ空も明るい17時、オンタイムでライブが始まった。ピーズのステージからだ。
ピーズのライブを見るのはこの日が初めてで、とても楽しみにしていた。
フラカン経由でピーズを知り、「ハルさん節」にメロメロになった。
「温泉だカピちゃん 蜂蜜タマらんだろプー」ってなんなんだ。気持ち良すぎる(真っ先にあげる歌詞ではない気もするけど大好きなんです)。
ほんとうに飾り気なくフラッとステージに上がって、「こんなに暑いなら来年の夏はいらない」だの「痩せ我慢」だのボヤきながら、ぶっといパンクを鳴らす。想像していた通りのピーズだった。『ドロ舟』の入り、カッコよすぎて痺れたなぁ。
心地よく身体を揺らしてライブを楽しんでいた最中。
『体にやさしいパンク』のイントロの印象的なギターが聴こえた瞬間に、ある記憶がフラッシュバックした。
遠く南の島、西表島の民宿の畳に突っ伏して『体にやさしいパンク』を聴いていた日の記憶だった。
前職で映像関係の仕事をしており、沖縄県の秘境・西表島の大自然の映像を撮るために、3週間ほど泊まり込みでロケを行った時のことだ。
素晴らしい自然環境が広がる、美しくて大好きな西表島だが、その記憶はトラウマとして残っている。
自分の未熟さがすべての原因ではあったのだが、とても怖いカメラマンに毎日叱責されていた。「この仕事向いてないから辞めなよ」ってことをあらゆる表現で言われ続けた。
食事も宿もずっと一緒で逃げ場のない3週間。
多くの人が羨むであろう夏の沖縄で毎日「死にたい朝」を迎えていたのだ。
自然相手のロケなので、まとまった待機時間ができることも多い。
そんな時、唯一1人になれる民宿の個室でピーズを聴いていた。
まさしく「精神状態末期色」だっただろうが、すべてを投げ出してしまいたい気持ちをピーズで誤魔化しながら、フラフラと立ち上がって、図々しくヘラヘラとロケを乗り切ったのだった。
ビルに囲まれた都会の真ん中で、南の島を思い出しながらピーズのライブを聴いていたら、おかしな考えが頭に浮かんできた。
「ハルさんってマングローブ林みたいだな」と。
暑さで頭をやられたわけではない(と思う)。
亜熱帯の西表島は日本最大のマングローブ林を有する。
マングローブ林の複雑に入り組んだ根が小さな生物たちの隠れ家になるなど、豊かな生態系を育むことから「命のゆりかご」と呼ばれたりする。
最近では、津波や高波を減衰させる機能があるという研究もあるそうだ。
自由気ままに根を伸ばし、いびつで雑然としながらも多くの命を包み込むように守るマングローブに、ハルさんのやさしさを感じてしまった次第なのである。
なんとも共感性の低い奇論だが、こんな結び付け方をした人間はいなさそうだから、今後もことあるごとに言っていこう。
…なんてことを考えていたら、いつの間にかハルさんが上裸になっていた(あとなんか、飛んでる鳥に突っかかってた)。
色白で痩せているけどサマになるなぁ、と思いながら隣に目をやったら、同じく上裸になっていたアビさんの身体が仕上がりすぎてて笑ってしまった。デブジャージに殴り勝つだろ、あの肉体は。
日が暮れてきたころの『生きのばし』も極上だったなぁ。この曲も自分にとって特別だ。
ハルさんが食道がんの手術によるお休みから復帰して、ライブを再開し始めた矢先にコロナ禍に突入した2020年。突如アップされたこの弾き語り動画に涙したのをよく覚えている。
早期発見だったとはいえ大病を患ってもなお「死にたい朝」は来るのだろうか。そんな救いのないことを考えてしまったのに、むしろ救われたような気持ちになっていたのだ。
こんな風に、ひいこら言いながらゴキゲンに生きのばしていけたなら、どんなことが起きても大丈夫だって思わせてくれたんだと思う。
この日のライブのMCでは「最後の野音」と繰り返していたが、健康でさえいてくれたら、改修後の野音でもきっとピーズの音楽が聴けるに違いない。だって周りが黙ってないだろう、みんな野音のピーズが見たいんだから。
およそ1時間のステージを終えて、名残惜しそうに去っていく4人。
初めて観たピーズのライブはとても豊潤な時間だった。
【雑多なメモ】
・『初夏レゲ』の最後の控えめジャンプがなんだかかわいかった。
・イヤーマフをつけながら『3度目のキネマ』で踊りまくっていた子どもが微笑ましかった。将来どんな大人になるんだろう。
・デブジャージをウキウキで口ずさみながらトイレに向かうオジサン、よっぽど漏れそうだったのかな。
想定していたよりずっと長くなってしまったので、続きは後編として書きます。
(後編は完成次第リンクを追記します)
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