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【漫画】田中圭一著「うつヌケ」感想

なんとなく、小池一夫さんの訃報と一緒に田中圭一さんのツイートが目に入りました。あまり、漫画業界のことは分からないので、そのことについて何も知らなかった事が多いですが、ずっと読みたかった「うつヌケ」が、なぜかこのタイミングで、手に取るキッカケを頂き読んでみました。

鬱を克服した方の色々なエピソードは、私の中に少しの光と闇を灯します。私も一度「鬱」と病院で告げられた事があります。
24歳の時でした。親の反対を押し切って夢を叶えるために、東京に出て働いていた時でした。この時、仕事も忙しいのと、自分でも、もうどうしていいか分からないくらい恋愛に混迷していた時期です。
車の中に一人でいると、全ての人が悪口を言って、こちらを見ている気がして、震えてうまく呼吸ができなくなったり、池袋駅で突然歩けなくなってしまったこともあり、とうとう会社に行けなくなりました。
そんな時、「鬱」だと医者に言われました。病名が付くとなんだか欠陥品になった。そんな気持ちでした。
その後、働けなくなった私は、地元でちょっと都会の、「仙台」に戻りました。ずっと実家を出たくて、出た家だったので、親とだけは一緒に暮らしたくなかった。でも親のお金で仙台に引っ越させてもらいました。
親からは、小学生の時から公務員になれと言われており、やっと見つけたやりたい事で病んだ自分に完敗した気持ちで、毎日泣いていた気がします。でも、生きているだけでも、家賃は発生するし、生活費は発生するので、自分は、とても迷惑な存在だとも感じてました。
「鬱」だから、親を頼って働くなという医者に負けたくなかったけど、アニメの制作進行をしていた私が、デザインや印刷系の会社など受かるわけもなく…。10社以上受けても仕事も決まらなかった。やっと決まった営業事務仕事も、またまた超が付くほどのブラック企業。それでも、自分でどうにかして生きる分は働かなくてはいけないという気持ちだけは満たされました。
多分、もう鬱はもう治りました。自分では鬱だと思うことはないからです。
仙台は東京よりもゆっくり時間が進みます。友達も沢山できました。

色々と何度も転職を重ねている私は、30社くらい受けて、やっと受かった会社もあったけど…。今は東京のトークライブハウスのネイキッドロフトで働いております。水商売のようなライブハウスで働く事を始めたのが35歳。女で30代後半で何か始めるのは大変です。会社も若い子にしか未来を託さないということは5年働いてヒシヒシと感じております。(どの会社だってそうだが)だから時間のない私は、何が何でもイベントのブッキングができるようにならなければいけないと思っていました。不眠不休気味だった時、新しく来た店長が「休みをとっていいんだよ」と言ってくれて、「どうしたら休みなんか取れるんだよ…」と心で思いながらも、少し休む努力をして来ました。最近も完全に休める日はないけど、無理してでもどこかに出かけようとか、本を読もうとか。当たり前の事ができるようになって来た気がします。何にも感情が動かなくなっていた私が、ブログを書こうと思ったり、小説を書こうと思うキッカケも「休みをとる」という当たり前みたいな事をしようとしだしたからだと思います。「生活」をする事の大切さを知りました。

「うつヌケ」を読むと、様々な方のうつ体験を知れて本当に楽になります。私は、社畜体質です。でも今、会社よりは、一緒に仕事をしてくる人の為に頑張ろうって心がけております。一緒にお仕事してくれている方に迷惑はかけっぱなしですし…助けられてばかりですが…!

マイナス思考ではありますが、昔に比べてメンタルはめちゃ強くなったので、会社に求められていなくても、求められていてもどーでもいいです。私の代わりなど、どこにでもいるのです。そんなの何回経験したことか。
なので、私は一緒に仕事をしてくれている方が大切です。その人が違う人がいいとなっても大丈夫です。でも、一緒に仕事をしてくれているうちは何とか楽しい時間を一緒に過ごせるように、イベントをして楽しかったと思ってもらえるようにできたら嬉しいです。

だから、自分自身にしかできない事をできるように。それは、仕事でも何でもです。私は私しかいないので。

鬱はたまに戻ってくると漫画には書いてありました。私も鬱にならないように、なるべく休んだり、客観視を忘れず過ごして、どこかに遊びにいける余裕も手に入れられたいなと思います。

いつか、田中さんと少しでいいので話してみたいなと夢がまた増えました。素敵な本をありがとうございます。





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