草刈りを通じて感じたこと
畑を借りてからというもの季節の節目に草刈りをしています🌱
正直夏場は終わった後Tシャツを絞るとボトボトと汗が絞れて凄いなと思っています。
私の畑はそれほど広くありませんが広大な広さになると手鎌では捌ききれません。
いつも気がつくと4時間くらい黙々と刈っています🌱
自然農法の畑を目指してやっているので全部刈るのは違うと思いながらもどれを残してどれを刈るか考えていると時間が経ってしまいます。
ある時、草を刈ろうと鎌を根のギリギリまで入れると、沢山のダンゴムシやら蟻が出てきたことがありました。巣を破壊していたようです。
その度に私は何をしているのだろう?と疑問を持つようになりました。
たくさんの虫たちの住処を破壊して、草を刈る。人間が作物を作り生きるためにたくさんの生き物の居場所や命を奪っている。きっと微生物も入れたら途方もない大量虐殺ではないか?
ただ草刈りをしないと作物は育ち辛くなる。たくさんの生き物がそこで暮らして次の命のための肥料となってくれていると考えると、多くの犠牲の上に成り立っている命なのだという事に気づかされる。
刈った草も畑に横にし、微生物たちの分解によりまた土へと還っていく。何一つ意味のないものはなく、ただ自然の循環の中の一時としてそこに存在しているに過ぎないのである。
多くの虫も植物も人も次の世代へとバトンを繋いでいるだけなのである。
とてもシンプルで分かりやすい世界観にいつも気づかされながら草刈りをしています。
私たちは土から離れて生きることはできない。そんなことを教えてもらっているように感じます。また、たくさんの命の犠牲の上で成り立っている命であることを再認識させられる草刈りとなりました。
草刈りから輪廻転生まで自然は多くの気づきを与えてくれます。
生まれ落ちて生きて行くためには沢山の犠牲の上に成り立っていることを自覚する必要があると思います。
俺は1人でも生きていけるという考えは、きっと何か大切なものを見落としているのではないでしょうか?
命の上に命を繋いでいる。申し訳ない気持ちになるのではなく、ありがとうと感謝したい🙏
ここまで読んでくださりありがとうございます🙏
また何か考えついた時にはnoteに残したいと思います。
でわまた👊
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