消費から生産へ
自分の行動はどんな意味を持つのか?
はたまた、ジャンル分けするならどういうものなのか?
自分がしている行動を振り返った時にふと、考えました。
このままでいいのか?
私たちは死に向かって生きています。死ぬまでを生きていると定義できます。
自分自身が満足するように楽なように生きてきました。
30代を迎えてあっという間に時が経ち、ふと、自分の行動はどうなのか?疑問を持ちました。
何か残したい。意味のあることを。
そんな思いを抱きながら、未来は今の連続でできいることを知り、今を変えなければ未来は変わらないのだと思いました。
では何を変えるのか?
私が考えたのは、体、精神の両方を高めることはできないか?それは、今後の人生を楽しむためにも必要不可欠だと感じたからです。
楽しい時、嬉しい時は何かしらの圧力が加わった後の解放感ではないのか?
その圧力を作るには今の連続性の継続が必要だと感じました。また、その圧力に耐えるためにも健全な心と体が必要です。
自ら目的を作り、そこに向かう為の目標を一つずつ進めていく。
その目標を一つずつ達成していくことが、達成感や楽しさに繋がっていくのだと思います。
まずは、何をしてみたいか?どんな自分になりたいか?を考えてみます!
私は自然と調和しながら生活することで心も体も充実するのではないか?
日々の暮らしが加速しながらデジタル化していくのに対して反対方向へと向かってみようと考えました。
何も考えず始めたキノコ狩はいつしか自然に触れるための理由になりました。
そこから、少しずつ自給自足という道筋を辿るようになりました。様々な文献に触れつつ、もっと自分にもできることがあるのではないか?と思い始めました。
まずは、お肉を手に入れるために狩猟を始めました。まさか私が銃を撃つことになるとは思いもしませんでしたが、自ずと道は開けて行きました。狩猟の世界には世代を超えた繋がり、人と動物の知恵比べ、山から命をいただくことへの感謝を知ることができました。私たちはどんどん人から離れ、煩わしさを遠ざけて頭の中に住み着こうとしているようです。
また、同時期に畑を借りて野菜作りを始めました。畑にはたくさんの生き物が小さいものから大きいものまで連なっている生態系がありました。
自然農法という自然の力を活かして育てる方法を実践しました。正直大変な作業だと感じました。
ただ週一回畑を眺めて畑に耳を傾ける事が日課になり、そこで育った野菜を喜び食べる事で、大地との繋がりを感じる事ができました。
私たちはあくまでも自然の一部でしかないのです。
ここまで来て、私は自分で生きているというより、様々な生き物のおかげで生かされているのだと気がつきました。
そして、山と畑を経て海にやってきました。
海では釣りをしたりしましたが、今は波に乗ることを目標に海で遊んでいます。海は底知れぬ怖さと温かさを感じます。
今まで、誰かにやってもらっていたことを自分でやることで、自分が何者なのか?どう生きていくべきなのか?少しながら道筋が垣間見えたように感じます。ただ、考えることや振り返ってみることを忘れてしまえば、元に戻ると思います。
時間は有限であり、誰にでも寿命は訪れます。
私は不自然なまでにデジタル世界へと導くこの世界に疑問を感じました。あなた達はもう考える必要はない。そのままでいなさい。と便利さと引き換えに生活は味気のないものへと変わっていきます。気がつけば、四角い画面を眺めている日々が続いています。
デジタルコンテンツがいけないと言っているわけではなく、バランスなのだと思います。私は一度原始時代まで行ってその調度良いバランスを見つけたいと考えています。
消費する行動から生産する行動へ自分を導こうと思います。
そのためには自然に触れることが大切なのではないでしょうか?
自然から生まれたものに新たな発見や価値観を見出し、消費活動と生産活動のバランスを取り戻したいと思います。
生産することで、いつもやってもらっていることの大変さが分かり、人に優しくできるのではないでしょうか?
生産活動を通して人々が支え合える雰囲気を作って行けたらと考えています。
今日もここまで読んでくださり、ありがとうございます🙏
次は何について考察しようか考え中です。
でわまた🤚