死の研究

 とある夏の研究室にて
 部屋には、現代社会においては珍しくらいに冷房も設置されておらず、部屋の一角にただ扇風機だけがぽつんと置かれているだけだった。それがただ部屋にたまった熱を部屋に拡散している。研究室の中は雑多に資料が積み置かれ、人が一人分歩くスペースだけが確保されているだけだ。他にあるものと言えば、フラスコがぽつんと机に置かれており、その中には怪しげな液体がひとりでに熱されていたが、観測する者はいなかった。
 そんなおんぼろ研究所を訪ねてくる者が一人いた。扉をノックされ、研究所の主が本の山に隠れているソファーから身を起こした。しばらくして、再度強く扉をノックされた。部屋の主は眠そうに目を擦り、ソファーから訪問者のいる玄関へ体を動かした。頭が半分眠っている無意識状態で体を動かしているためか、途中よろけて雑多に積んでいる資料に体をぶつけてしまい、資料がモーゼの海割りが終わった後のように左右から主目掛けて倒れ掛かってくる。
 ドサササッ。凄い音と共に主は本の山に埋もれた。

とある研究室にて(依頼主)
 俺は、とある研究者の元を訪ねにきた。うちのサイバー要員の人間が見つけてきたのだ。
「誰でも殺せます。地球の裏側にいようが、どこにいようが証拠もなく殺せます。ただし、前提条件があります。それさえ満たせれば、どんな人間でも殺せます。報酬は研究費と実験費用の負担でけっこう」
 その文章以降は、殺しの条件がつらつらと書かれていた。
普通であれば、こんなバカげた内容を書き込みしている人間は、刑務所にでもぶち込まれた方がいいと思うのだが……。サラリーマンのつらいところだ。上から探って来いと命じられた。それに私自身も奴の今までの経歴が気になった。もしかしたらそんなことが可能かもしれないと思えたからだ。だから、その真偽を問いただすために奴の研究室を訪ねにきた。
 七月下旬のアスファルトを焼く暑さの中を公用車ではなく、わざわざ自家用車を出した。一体、どこで足がつくか分からない。組織だっての犯行だってことが知れれば、我々の根幹が揺るぎかねない。こんなときの為に、偽造ナンバーもいくつか常に用意されてある。我々のナンバーを国が調べたとしても絶対に割れることはない。
 奴が立てたホームページに書かれている住所に来て愕然とした。とてもじゃないが、こんなところで研究が出来るとは思えなかった。無骨なコンクリート張りの建物だが、震度三の地震にも耐えられそうにもない朽ちた有様だった。
 俺は内心、はずれか、そう思った。もし、本当に人を証拠もなく殺すことが可能なら、それは神の力に匹敵する。だからこそ、こんな今にも朽ちそうなところでそれが産み出されるようには思えなかった。
 研究室と書かれている二階に足を運びノックをするが、返事はなくイライラしながら再度強くノックをする。
 中からガサササッと音が聞こえてきた。それからしばらくして、扉が開いた。
 扉から中腰になりながら出てきた男を見ると、俺よりも背が高く、大体190cmといったところだろうか。色白で鉤鼻で中性的な見た目をしていて、いかにも頼りなさそうな見た目をしていた。
「くはぁ、急に何ですか? せっかく量子力学の謎を解く夢を見ていたのに」
 こいつは駄目だ。そうとしか思えない。はっきり言って、大学生のなんちゃって研究生の方がもっとしっかりしている。白衣も何の液だか分からない、いろんな色をしたものが、出来損ないの絵画の様にまだらな模様を刻んでいる。半ば、溜息をつきながら声をもらした。
「………………ホームページを見てきた」
 男は面倒くさそうに答える。
「あぁー、あれですか。ただの嘘ですよ。あんなの信じて来たんですか? 馬鹿ですねぇ。しかもあなたみたいな立派な大人が……」
 頭に血が昇り、青筋が浮かんできた。
「…………」
「……実は、半年前にホームページが乗っ取られまして、あんな風に変な書き込みがされて困っていたんですよ。お陰で、貴方みたいな面白半分でうちに来る人が多くて困っているんですよ。どうにかなりませんかね?」
 おちょくるような言動に耐えながら発言する。
「そうだったか。失礼した。俺もそいつらと同じでね。純粋にそんなことができるか興味が湧いたわけだ。そうか。乗っ取りの件については、俺の方から連絡しといてあげよう。それでは失礼する」
 時間を無駄にされ、頭に来ながら車に乗り込むと、ハンズフリーで組織のサイバー部門に連絡する。
「あの情報はデマだった。しかもあろうことか自分のホームページを他人に奪われたマヌケだ」
 そう言うと、電話の向こうの相手は少し沈黙して言葉を吐き出した。
「……それは、おかしいですね。そういう可能性ももちろん考えたうえで、坂口さんにはお伝えしてますよ。不確かな情報で、上の方を動かすわけにはいかないじゃないですか。あのホームページは、開設されて一度も開設者以外は更新していません。これだけは確かです」
「はぁ! そんな馬鹿な。何の意味があって嘘をついたんだ」
「……試されたのではないでしょうか? 今、そこから例の研究室は見えますか?」
 俺は、半分動き出していた車から、研究室の窓を見つめた。わずかに、研究室の窓のブラインドの一部からこちらを伺うような視線を感じた。
「…………あぁ、見える。しかもやっこさん、こっちの様子を生意気にも窺ってやがる」
「……怪しいですね。どうされるかは坂口さんにお任せいたししますが、何だか気になりますね」
「あぁ俺もそう思う。今からもう一度奴のところを訪ねてやろうと思う」
 俺は急く様に電話を切ると、車を再度止めなおした。奴が一体、何でそんな嘘をついたのかを問い詰めてやろうと思った。狭い階段を上り、扉をノックする。
「……どうぞ、開いてるんで適当に入ってきてください」
 俺が部屋に入ると、ごちゃごちゃになった本やら資料が雑多に散らばっていた。中はまるで小学校の理科室みたいなつくりだなと思った。一番奥に奴の姿が見えた。アルコールランプでビーカーを温めている。コップが二つ並べられている。通路は、まるで一本道の迷路のように左右を本で囲まれている。
 これだから、研究者という生き物は……。奴らは二分化する。まるで機械の様に潔癖で少しの埃も汚れもない人工的な部屋を作る奴。そして、この部屋の様に雑多に散らばっている部屋を作る奴。奴らから言わせれば、これは無駄がないらしい。必要なものがすぐに取り出せるとか何とか。全く、その中間の人間はいないものか。どちらにせよ居心地が良いものではない。
 一本道を抜け、奴がいる場所につくと、椅子を勧められた。いかにも昭和といったパイプ椅子で、所々、錆びているのが妙に気になる。とても座る気分にならず、立ったまま相手の出方を見た。
「お茶、飲みますか? 今お湯温めているんで」
 どうやら、ビーカーで温めたこのお湯でお茶を作るようだ。隣にはティーパックが置かれていた。
「いや、結構」
「そうですか。それは残念。ところで、こんなところにまだ何か御用でも?」
「……君、さっき嘘をついただろ。俺の知り合いにインターネットに詳しい奴がいるんだが、調べてもらったら君しかあのサイトを更新してないといっていたぞ」
 男は、沸騰したお湯にティーパックを入れた。透明だったお湯に緑が一気に広がった。それから俺に向き直った。
「ばれましたか。いやぁ、流石ですねぇ。流石、流石」
 男はそう言いながら、湯飲みにお茶を注いで一気に飲み干した。
「何だって、あんな嘘を」
「まぁ、立ち話も何ですからよければこっちに来てください」
 男は、そう言うと後ろ側にある扉に向かっていった。私が入った入り口とは別のものだ。
「人殺しの依頼でしょ。貴方も色々と一目につくと、困るでしょうし、どうかこちらの部屋でお話ししましょう。中は電波が遮断される作りになっていますし、防音設備も完璧ですから。それこそ外部から震動で探るタイプの盗聴機で盗聴されても証拠は何も残りませんよ」
「……分かった。だがその前に電話してもいいか」
「どうぞ、ご自由に」
 それから、サイバー要員に連絡が二時間以内になければ、上へ連絡する様に伝えた。待っている間、男は暇そうに虚空を見ながら何かを呟いていた。そこに時折、指で何かを書こうとする仕草があった。
「……電話は終わった。案内してくれ」
「………………そして、こうなるはずだから、後足りないのは実験数と対象となる被検体とそれを無意識に手伝う実験参加者の人数だ。そして、それが発現する具体的な人数が数値として明確化されれば人間のどんな望みも叶えることができる。それこそ、人類有史以来の快挙だ。後はそれを元に理論構築を行い、それを僕の」
 反応がなく再度大きな声で話しかける。
「おい、聞こえるか」
 反応がなく、大声を出しながら肩を揺らすと虚ろな目に光が戻った。
「……あぁ、すみません。電話は済んだのですか? で、どうされます?」
「案内してくれ」
「分かりました」
そう言うと、奴は扉を開けた。扉を開けると同時に明かりが灯り始めた。ブルーライトの灯りが手元から奥の方へ順々に灯っていく。
「どうぞ」
 部屋の左右にはいくつものケージがあり、そこにはラットが一匹ずつ入れられていた。三段ずつ縦にケージが並べられており、部屋の真ん中に長机が一つとノートパソコンがぽつんと一台だけ置かれていた。長机の先にある奥側一面もラットのケースが置かれていた。先程の部屋とは打って変わり、空調も適切に保たれており、設備もしっかりとしていた。
 奴が椅子を勧めてきた。今度は息子が使っているようなゲーミングチェアーというものだろうか、そういった類のものだった。俺は座る前に名刺を取り出し、奴に渡そうしたが、奴はそれを一瞥すると言った。
「あぁ、そういうのはいいですよ。どうせそれ偽装の名刺でしょう。団体名とかはあるんでしょうけど、実際は活動していない架空の組織でしょうし。こちらは、研究の支援さえしていただければ、それが誰であれ構わない訳ですから、腹を割って話しましょう。殺しの依頼ということですが、その話に入る前に私に聞きたいことはないですか?」
 偽装の名刺だと見破った理由を聞こうと思い、口を開こうとすると奴が話しかけてきた。
「……靴ですよ。気をつけた方がいいですよ。ネットの奥深くには結構情報が溢れてます。こういった所に来る場合は、履かない方がいいと思いますよ」
 こいつ、どこまで知っていってやがる。ことと次第によっては、こいつを先に消す必要もある。俺達の組織は数が多く、街で出会った場合に仲間かどうかをすぐに見分ける為にとある細工を靴に施してある。だが、それも仲間と知っている人間にしかわからない程度の細工だ。万が一に監視カメラに映されてもよほど画像解析でもして近寄らない限り、ただの靴にしか見えない。奴を睨みつけていると困った表情を浮かべられた。
「……失敗しましたね。警戒させるつもりはなかったんですが……。そうですね。私ばかり、勝手に情報を容姿から盗み見るのも不公平な感じがしますし、自己紹介でもしましょうか」
 奴のことは知っている。サイバー要員にある程度、必要な情報は与えられている。
「日系ロシア人だな」
「……違いますよ。確かに歴史的に見れば、私の血はロシア系の血の方が濃いかもしれない。ですが、ソビエト連合解体の後、先祖は日本に来て、日本人女性と婚約し、日本国籍を取得しています。私はれっきとした日本人だ」
 男がむきになって言い返すのを見て、少しは溜飲が下がった。
「……分かった。君は日本人だ。君の先祖も研究者だったそうだね」
 そう言うと、男は眉をしかめた。
「えぇ、確かにそうです。私の先祖は研究者でした。それが今回の件と何か関係でも?」
「いや、何、カエルの子はカエルだなと……。どんなに生まれた時の姿が違おうとも、最終的には同じ姿になる」
 皮肉をこめて呟いた。奴の先祖は研究の発展という名目の元、多くの人間を人体実験の材料に使っていたことは分かっている。今目の前にいる男も自分の先祖がしたことぐらいは知っているだろう。
 男は明らかに不機嫌そうな顔を浮かべたが、次の瞬間には無表情になった。
「……カエルだろうが、おたまじゃくだろうが構いませんが、他に聞きたいことはないんですか?」
「そうだな。君の経歴に関して確認させてほしい」
 そろそろ、茶番もいいだろう。奴を怒らせれば、組織のことについて知っていることがあれば、俺を脅す材料として何か漏らすかと思ったが、それもなさそうだ。まぁ、信用できるかどうかは別として、ただの馬鹿ではないならいい。この程度でこちらの情報を漏らすようなら……。良かったのにな。……ふっ、残念だがまぁいい。
 それから、事前に伝えられていた情報をすり合わせる為に、今までの経歴を確認させてもらった。大学はアメリカの医学部をわずか十五歳で卒業し、卒業後は製薬会社に勤め、創薬研究に明け暮れた。しかし、二年前に何を思ったか、勤めていた製薬会社を辞めて、日本の大学に非常勤の講師として教鞭を振るうようになった。そして、非常勤の講師として勤める一方、心理学や量子力学を生徒と同じ教室で学んでいたそうだ。その姿は、他の講師陣や学園長に知れ渡るようになったが、大学側は学ぶ姿勢にいたく感動し、授業を受けることを黙認。そして、半年前にはその大学すらも退職したと報告を受けていた。そして、現在にいたるわけだ。
「私の経歴はこんな感じですかね」
「そうか、ご苦労。で、そろそろ本題に入りたいのだがね、その前にもう一つ聞きたいことがある。何故、君は俺のことを一度追い払った」
 男は頭を掻きながら、困ったような表情を浮かべた。
「あのサイトを見て、興味本位だけで訪ねてくる人があまりにも多くて……。記者ややじうま、中にはパソコンに詳しい人なまで。だから、ああいう対応をとらせてもらいました。ホームページの更新をすぐに私しかしていないと返答してくるのであれば、組織での依頼ではなく、一個人での依頼の可能性が高いわけで……。そうなれば、引っ張ってこれる財源もたかが知れているというものです。必然、私が提示する条件を満たすことは不可能でしょうから。もちろん、中には社会的に成功した方もお見えになることもありましたよ。家族を殺されたから復讐したいという願いだったりしましたけどね。いずれにしても、私の提示する条件を満たせないと判断したのでお断りしましたけどね」
「なるほど、つまり君は私が即答できずに引き返した後に電話をしているのを見て、戻ってくるようであれば、財源が多く、君の要望を満たす可能性が高いと踏んだわけだ」
「ま、簡単にいうとそうなりますね。当然ですが坂口さんは、私が本当に証拠なく人を殺すことができると思っていないでしょう」
「そうだな」 
「それでは一つ実験してみましょう。この部屋にいるラットの中から、坂口さんには無作為に一匹、個体を選んで頂きたい。ケージには番号が振ってあります。選び終えたら番号を教えてください。その個体を手も触れずに殺してみたいと思います」
「あぁ、分かった」
 それから部屋を歩き回った。個体にはばらつきがあった。眠っているように動かないもの、餌と思ったのかゲージに顔を寄せる奴、成体になりきっていないもの、今にも死にそうなおいぼれた奴、本当に様々いた。その中でも一際元気が良くゲージの中を走り回るまだ子供の個体を選んだ。365番だ。俺は奴に番号を伝えた。
「なるほど、やはりそういった個体を選びますよね。それでは、その個体が元気な姿を録画させてもらいましょうかね」
 そういうと、録画機材で365番の様子を撮り始めた。
「何をしている」
「正式な実験ではないとはいえ、研究結果を残すのは研究者の性ですよ」
 そういって、奴は録画を終えると、電話をかけたいと言った。
「何故だ?」
「この実験には協力者の手助けが必要不可欠でして、先程の録画データを渡すのと、実験開始の合図を行わいと365番を殺すことはできないんです」
「電話の内容を聞いてもいいか?」
「もちろん。


 


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