死の研究④

 研究員の苦悩
 分からない。一体、どうやって殺した。365番が死んで二日が経ったが何も進展がない。検死したラットの組織細胞は破壊されておらず、異常がなかった。言い方は変だが健康そのものだった。つまり、遺伝子を攻撃するウィルスの仕業ではないことは確かだ。
 そして、次にラット内部にあるチップを調べたが、命を制御するような機能はおろか、GPSすら内蔵されていなかった。脈拍と体温を測る機能がついただけのチップだった。もちろん、体内にナノマシーンなども組み込まれていなかった。
 頭を抱えるほかなかった。坂口が今、サイバー要員を使って宮前という研究員の情報を探ってくれている。その報告を待つしかない。宮前の経歴は少し聞いていた。創薬研究に打ち込んでいた一研究員。だからこそ、次に考えられるのは薬を使っての殺害……。だが、宮前は遠隔でラットを殺せると言っていた。つまり、投薬によるものでない可能性が高い。
 今は、坂口が宮前の研究室へうちの研究室のラットが映ったデータを運んでいる。殺せるわけがない。そうだ、殺せるわけがない。見ただけで殺せるなんて馬鹿げている。そう一人で呟いてみても、胸騒ぎが収まらない。
 宮前にデータを渡すことになっている個体は、あらゆる実験に耐えてきた個体の子孫だ。毒や寒暖差に耐えうる上に、寿命も他のラットの二倍もあり、繁殖力旺盛だ。死ぬわけがない。そう、死ぬわけがない。周りの研究員も宮前のことを聞いていたが、このラットが死ぬわけないと鼻で笑っていた。
 大丈夫だ。大丈夫。問題ない。
そう自分に言い聞かせるようにして壁にかけられた時計を見ると、時計の針は午後一時をちょうど示すところだった。


とある夏の研究室にて
「おい、来たぞ」
 そう声をかけても、研究室から何の返事もない。扉を強くノックすると、部屋の向こう側から本が崩れる音がした。そして、扉が開いた。
「すみません、寝てました」
 俺は、溜息をつきながら持ってきた録画データを宮前に渡した。
「ほら、これがペットショップで買ってきたラットの映像データだ。ラットは俺の部屋で管理している。そっちは準備できているのか?」
「ふぁあ、多分大丈夫だと思いますよ。最近は数も増えてきているみたいですし」
「何の数だ」
 宮前は頭を掻きながら答えた。
「そりゃ、実験協力者ですよ」
「俺達以外にも、お前たちのことを知っている奴がいるのか?」
「いないですよ。ただの協力者ですよ。彼らは僕らが何を研究しているかのすら知らないですよ」
「秘密が漏洩することはないのか?」
 宮前は手に持っているノートパソコンで録画データを転送しているようだった。
「うーん、難しいじゃないですかね。研究のけの字も彼らには、出していないですからね」
 会話内容が漏れないように、奥の研究室に移動した。
「そんなので、どうやって研究協力させるんだ」
 宮前は、眠そうな顔から表情を変え、鋭い目つきになった。
「……そんなことはどうだっていいでしょう。あなたがたが知りたいのは、本当に遠隔で実験が成功するかどうかでしょう。そして、それが証拠として残らないかどうか……。違いますか?」
「…………そうだな、気分を悪くしたなら謝る」
 俺はそれ以上の追及をやめた。ここで宮前との関係を悪化させるのは損だからだ。もし、この実験が成功すれば長い付き合いになるだろう。その上で、友好的な態度をとっておけば、どこかでうっかり口を滑らせるかもしれない。それに、遠隔で殺せるのなら、機嫌を損ねて研究室の出入りを禁じられると、それ以上何も探れなくなってしまう。ここはひとつ、様子見といこう。
「いえ、こちらこそすみませんでした。私も大人げなかったと思います。資金を提供するうえで、どうやって、しているのかは気になりますよね」
「あぁ、できれば教えて欲しいものだ。だが、宮前君の気持ちも分かる。せっかくの研究成果を誰かに簡単に教えられるわけないものな。横取りされる可能性もある。気持ちは痛いほど分かるよ。何たって、思いのままに人を殺せる力だ。おいそれと誰かに話せることでもない。だが、宮前君がいつか俺のことを信じてくれる日がくれば、少しでもいい、何か話してもらえると嬉しいよ」
 まぁ、このくらいが妥協点だろう。
「……そうですね。じゃあ、ヒントをあげましょう。因みに坂口さんはどうやってラットを殺したと考えていますか?」
 ほら、さっそく棚から牡丹餅だ。俺は西條が言っていた方法を伝えた。
「坂口さん、凄いですね。遺伝子を攻撃するウィルスに命を制御するチップなんて……。坂口さん、科学者に向いていますよ」
「昔TVか何かの特集で、そういったものが取り上げられていたからな。そうでもなきゃ、俺にそんな知識はないよ」
適当にその場を切り抜ける嘘をはく。
「そうですか」
「それに、チップ関係はなさそうだ。調べさせてもらったが、特におかしな点は見つからなかった。だからあるとすれば遺伝子を攻撃するウィルスだな」
「なるほどですね。実は、私たちが作ったのはそれに近いものかもしれませんよ」
「はぁ?」
 俺は、事前に西條から細胞の損傷がないことから遺伝子を攻撃するウィルスによるものではないと聞かされていた。知らないふりをしているのは、西條からバックに研究機関がいることがばれないようにしろと言われたからだ。
「どうしました?」
 少し動揺したが、なんとか取り繕う。
「……いや、だってそうだとしたら居場所を知らない対象を殺すことなんてできないだろう」
「だから、それがこの研究のみそなんですよ」
 そう言うと、宮前は部屋を出て、電話し始めた。
「データは届いたかい?」
「あぁ、ばっちりだ。準備もできた。たぶんそれに想定よりも早く実験成功しそうだ。そうだな、一時間半といったところだろうな」
「了解、僕らの遺伝子研究の成果が出るといいね」
 電話相手が面白そうに笑った。
「……あぁ、ちょっと待ってろ。前、作ったものがあるはずだ。おっとこれだな、差し替えるから待っていろ。そうだな、死亡時間に多少ずれが出るかもしれないが、まぁ、誤差の範囲内だ。実験開始の合図を頼む」
「三、二、一」
「オッケー、これから一時間半とちょっとで例のラットは死ぬはずだ」
 訳が分からない。
 今の会話は何だ。俺の頭にはただただ疑問が浮かんだ。それからすぐに研究室を出て、車を回した。研究室までは二時間。宮前たちが言う通りなら、俺が研究室に着く頃にはあのラットは死んでいるだろう。車が猛スピードで道を抜けていく。
 とにかく今は一刻も早く、研究室に行き、西條と話しがしたかった。俺には、手に負えそうにない問題だ。
車内は寒いくらいに空調が効いている。だが、俺の手には、びっしょりと嫌な汗が浮かび、額にはじんわりと汗がにじんでいた。


とある研究者の日記
 坂口がたった今帰った。彼らは、僕らが遺伝子を攻撃するウィルスを使っているのではないかと疑っているらしい。なるほど。まぁ、すでに検死されているラットを見て、遺伝子を攻撃するウィルスではないことには気付いているだろうが……。あいつに連絡した時に殺害方法の変更の指示を出した。あいつは笑った。
 それは、そうだろう。普通の研究者がどうやって殺すか考えたら、それに思い当たる可能性は予期していた。だからこそ、あいつには普通の研究者が思いつきそうな殺害方法は一通り教えてある。だから、これからも彼らが見当違いな推理をすれば逆手にとればいい。
 どんな科学者が向こうについているかは分からないが、同じ科学者として同情する。きっと、君は混乱する。
 さぁ、死んだラットを調べたらきっと君は驚くはずさ。さぁ、僕達がこの世界を変えてしまうのが先か、君が僕達の企みに気づいてそれを利用するのが先か。条件的には君の方が随分良いから手は抜かない。もう、すでに君達組織の人間達は、僕達の殺しに必要な条件は全て手に入れているのだから…………。

いつも読んでくださってありがとうにゃ。 ゆうきみたいに本を読みたいけど、実際は読めていない人の為に記事を書いているにゃ。今後も皆が楽しめるようにシナリオ形式で書いていきたいにゃ。 みにゃさんが支援してくれたら、最新の書籍に関してもシナリオにできるにゃ。是非頼むにゃ。