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桜の舞う頃に雪は舞う②

 そして、また由乃の声が僕の鼓膜の中に響く。
「あー、もう男子って本当にめんどい。なんで、運動場は男子しか使っちゃいけないの? 私だって外でサッカーしたいのに……」
「ねぇお姉ちゃん、今、学校の宿題をしているから少し静かにして」
「ちぇっ、分かったよ紅葉。と、いうわけで紅葉に邪魔されたので今日の日記はおしまい」
「ちょっ、お姉ちゃん私のせいにしないでよ。あと五分くら……」
 思わず、鼻で笑ってしまった。こういう少しこずるいところが由乃にはある。昔からこうだったのかと思うと、思わず笑みがこぼれてくる。紅葉の方がよっぽど大人だ。
 あぁ、やっぱり由乃は僕を笑わせてくれる。死んでいた心に少しだけ光がさしてくるのが自分でも分かった。心がじんわりと温かくなる。……でも、それと同時に僕は気付いてしまう。その光が既にこの世界からは失われているという事に。その事実が温まった心を急速に冷やしていく。そして虚無感が僕の心を占めていく。
 彼女がいた空間の映像から急に現実の冬の夜風が吹く自分の部屋に戻された。
 そうだ。いくら昔の彼女のことを今更知ったって、彼女が戻ってくるはずがない。そうなのだ。そんなことは自分でも分かっている。
……でも、だったらせめて由乃の電子日記には僕の断捨離が終わるまで付き合ってもらう。最後に自分という存在そのものさえ捨ててしまうその日まで……。
 彼女の声は語り続ける。僕の知らない彼女の日常を……。彼女の言葉に耳を澄ましていると、世界には、不幸や悲しみ何てものはなく、ドキドキすることやワクワクすることしかないんじゃないかと思えてくる。多少の不平や不満でさえも、彼女は楽しんでいる節があるのだ。世界の光の部分だけを抽出して、全身で浴びて生きているイメージがしっくりくる。
 羨ましい限りだ。そして、微笑ましい。もしも、僕が今その場にいられたのならと思わずにはいられなかった。どうやったらそんな風に生きられるのかを教えてほしい。
もしもその当時に僕達が会っていたのならどんな会話をしただろう。きっと仲良くはなれなかったと思う。だからこそ、僕達が会話をしているとするのなら、一体どんな話をするだろう? そんなことを夢想してみたりした。
「ねぇ、君何しているの?」
「……絵を描いている」
「ふーん、それって面白いの?」
「……気を紛らわすために書いているだけだよ。別に楽しくはないよ」
「そうなんだ。じゃあ、私外で遊んでくるから出来上がったら見せてよ。じゃあね」
「……」
 うん、こんな感じだろうな。決して交わることのない線みたいだ。でも容易に想像できた。そうやって、たいした会話もなく卒業して、互いに別々の道をいくだろう。そんな気がする。
 ふと、視界の右隅に扉が映る。由乃が死んでから一度も開けていない部屋だ。意識的にそらしてきた。
 ……もしも、この音声を由乃と定義するのなら、あの部屋にも由乃はいることになる。扉を開けると、真っ暗な部屋の片隅に布がかぶせてあるキャンパスがある。どうしても筆が乗らずに最後まで書けなかった絵だ。そして、今後も絶対に完成することはないだろう。部屋の中には他にも雑多に絵が置かれている。キャンパスに書かれたものから、紙に書かれたものまで本当に様々だ。
  小学校から書き始め、今に至るまで様々書き散らしてきたが、とても人に見せられる技量ではない。それに僕にとっての絵画は、何かを表現するというよりは、暗く重いものを吐き出す為の装置みたいなものだ。趣味ではなく、ただの発散である。一種の呼吸なのだ。こうでもしないと生きていけないから書いているだけだ。キャンパスに映し出される絵には、そういった僕の怨念にも似た何かが投影されている。だからこそ、誰かにも見せたいとも思えなかった。そういったものが見たいという人間がいるのも理解しているが、僕は見せたくない。だから、ここにある絵画は一生日の目を見ることはないだろう。
 本当に可愛そうな子達だと思う。無責任にキャンパスという世界に産み落とされても僕以外の誰にも見てもらうことができない。だけど、仕方のない話だ。これは見せられない、見せてはいけないと思う。
表現とは自己証明だと思う。自分はここにいるのだ、自分はこんな人間だ、これだけは絶対にゆずれるものか、この思いだけは絶対に誰にも負けない。そういった産まれたての赤子の泣き声の様な強い主張がどんな作品であれ込められている。
もし仮に、売れるもの、を定義するのであれば、そういった強い思いがより強くあるものなのではないだろうか? そして作品に共感した人たちがそこにお金という形で対価を払う。少なくとも購入した彼らにとっては、お金を払ってでも手に入れたい何かがその作品には宿っているのだろう。
もちろん売れる作品には流行りもあるだろう。だけど、歴史を越えて残っていく表現というものは、それを後世に残したい誰かが必ずいる。その表現を歴史の枠さえ越えてでも残したいと思った人たちが、次の世代の誰かにその表現を残していく。そして、未来だったはずの今という瞬間にまで、その表現は引き継がれてきた。だからこそ今現在残っている作品は、人類という種の表現の集大成といっても過言ではない。
色々な考えを持った人たちが歴史という大きな川の流れに流され、時には逆らい、そして今がある。そんな中にあって手放しくない、子供たちに残したい思いが今この瞬間に溢れている。
 そう考えると世の中には、素敵なものが溢れていて当然なのかもしれない。皆が誰かに託し紡いできた思いが今、この瞬間に溢れているのだから……。
 ………………もしも、この当時の由乃だったらこういう風に考えるのかもしれない。……だけど、今の僕にとってはその全てがどうでもいい。背筋を悪寒が貫き、僕の中にいる誰かが叫んでいる。僕から大切な世界を奪った世界を許すな、憎めと。
「……はぁ、はぁ」
 …………気が付けば、僕は発作のように出てきた感情をキャンパスに書き殴っていた。小学生の時に祖父母が死んでから、寂しさを紛らわすために絵の世界に逃げ出してきた。両親が死んでからはもっと酷くなり、こんな発作が時折出るようになっていた。
 出来上がった作品は、僕の心をそのまんま表したような酷いものだった。見ているだけで気が滅入るそんなものだ。
 冬だというのに脂汗が浮かび、床にその跡が残っていた。水道水をがぶ飲みして、正気を取り戻す。
「由乃。…………やっぱり、君がいないと僕は駄目だよ」
 出来上がった絵に頭を預けて、ただみっともなく涙がこぼれた。出来上がった絵は化粧が雨で濡れたかのように崩れていった。

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いつも読んでくださってありがとうにゃ。 ゆうきみたいに本を読みたいけど、実際は読めていない人の為に記事を書いているにゃ。今後も皆が楽しめるようにシナリオ形式で書いていきたいにゃ。 みにゃさんが支援してくれたら、最新の書籍に関してもシナリオにできるにゃ。是非頼むにゃ。