【8】クリエイターEXPO参加記録。
続編の「奇跡」編①です。忘れないうちに…。
私、デビューは大きな出版社の有名雑誌だったんですが、やはり若さだけの突撃だったためになかなかネーム会議に通らず、作品を発表することができないまま数年…という時期がありました。
病みやすい年代な上に、仕事も仕事にできず更に病んでいた頃、著作権関係の事件が起き、これがまた複雑な問題をはらみすぎて、いまだにどう対応したらよかったのか、わからないような出来事が起きました。
当時の担当さんにはきちんと内容を話せず、休みたい、そうじゃなければ音信不通を装うしか…という状況に追い込まれたのです。
そして、「新人が休むなんて!」というのもあったし、デビュー時に相当私を推して下さった編集さんだったので、かなり追いかけてきてくださって、最終的に電話が来た時に過呼吸で倒れる羽目になり、着信拒否(に近い)状態にして、そのまま逃げてしまいました。
今思うと、本当に悪いことをしたと思っています。きちんと話せばよかった。少しだけ話した時に編集さんも気を使ってくださろうとしたのですが、前述通り、ここでかいても「嘘やろw」という様な内容であったり(なので書かないw)、状況が複雑で、同人誌も絡み、同人も辞めてひきこもったくらいの出来事だったので、まぁ、うん、あれでよかったのかな…。
この話は、その出来事周辺にもいろいろあったのですが、あまりにもショックな出来事だったらしく、事件自体は10年近く前なんですが、つい3年前にふとした瞬間に思い出してハッとなったくらい、記憶喪失にもなっていたんです。
そんな、当時の編集さんが、今回のクリエイターEXPOで目の前を通りかかって、隣の作家さんと話していました。
「あっ」と思って、名刺を見るけど、ちょっと小さな字でハッキリ読めない!
よく見てやっと「あ、縦位置の名刺を横にしてる」と思った時に「ああ!」と、編集さんも気づいて下さったのです。
面と向かってだと7年くらい?電話で最後に話したのも6年くらい前でしょうか。
「まんがで、生きてます!なんとか!」
精一杯言いました。どきどきで、心臓飛び出るかと思いました。
帰国子女で少しオーバーで、なんでもやってしまうスーパーウーマン。20本ほどしかない連載のうち8本ほどを受け持っていた時期もあった、すごい人です。そんな人にずっとついてもらっているのも、すごかった、すごい負担でもあった(笑)。なんていえばいいのかわかんなくなって失礼なこともたくさんあった。でも、ネームやまんがを見せると、ちょっと前のめりに、真剣に読んでくれて、「漫画の編集部に入るまでまんがなんてあんまり読んでなかった」と言ってて、家にはいつの間にか漫画が増えて、それをちょっと隠して本棚に入れてる?みたいな話もあって。本当に勉強熱心な編集さんでした。
「あ、本も、出してます。4年前に一度単行本出たんですけどそれから、春にも、あまり出てないですけど、がんばってます」
と、最新刊を渡すと、あの頃と変わらないちょっと前のめりの強めのまなざしで読んでくれて。いつも「いいところ」「わるいところ」をきちんと分析してくれる編集さんで、ちょっとキツメな感じで怖かったんですけど、やっぱ言ってることはめちゃくちゃ正しくて。
私も若い頃だったから、「じゃあこうしよう!」が上手く思いつかなくて、できない子だったなぁ。難しかった。
「がんばって!」と名刺をくれて、また歩いて行かれました。
は、はぁぁぁ……!
もう何と表現するべきか、にげてから何回か電話を頂いて、全部無視してしまって、、それから半年後にまた1回だけかかってきていました。
それも無視してしまっていたので。
でも自分の中でどうしてもそれは…という出来事でもあったし、過呼吸のトラウマもあって、取ることができませんでした。
偶然とはいえ、イベントで再会できて、よかったとおもいます。
コミティアは出張編集部があるので、そういう場所で会えないかなぁ、という希望はここ数年もっていたんですね。でも、ちょっと怖くて、少女マンガブースじゃなくて、展示でブースとったりしてました。(逃げてるw)
だから、今回は、もうこの時点で、クリエイターEXPOの目的は果たしたんじゃ?という気持ちになりました。
出てよかったなぁ。
あっいや、だめ!仕事とりに来たんでしょ!
・・・と30分ほど放心してから我に返って、またチラシ配ったりし始めました。
「大手まんが誌は努力の才能こそが重要」「続ける意味を見いだせないと無理」「それでも向いてない人も出るほど過酷」そんな結論に私は達して、コミカライズであったり、WEB誌に行ってしまった人種なのです。
コミカライズ仕事をとるのも、WEB誌も楽ではないんですが、やはり大手誌と呼ばれその中でも有名誌となると、桁違いの労力がいるんですよ。
そういうようなことを(細かくはいってないですが)つたえると、「のめり込んでもらわないとできない仕事だもんねー、今がいいならよかった」というような言葉も言ってもらえました。
長くその雑誌の編集さんをしていた方なので、多くの去っていく作家さんを見ていた人でもあると思いますし、私もその中の一人にすぎないわけで、それでもそんな言葉をかけてもらえたのは、刺さったしじーんときました。いろんなものを巻き込んで引きずって抱えながら大きなメディアというのはできている。私もその一端を担えたのかなーと思って、少し心が軽くなり、気も引き締まりました。
上手く言えません(笑)
ひとまず、私の大きな心の傷(笑)が10年ほど経ってやっと完結したのかなーと思いました。
いつか売れっ子になって、大きな仕事やって、また「新作できました、今度は貰ってください!」と偶然じゃなくて、ごあいさつしたいな、とおもいました。
…あ、ちなみに、著作権関連問題ですが、昨年はマジギレして経産省に電話かけて大ゴトにしちゃう程度にはタフになってますし知識もついてますんで、ご心配なくw
というわけで、奇跡編②につづく(次はお笑いモードですw)