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「猿に始まり、狐に終わる」──狂言「釣狐」の話

狂言は笑いの芸能と言われますが、すべての演目に笑いがあるわけではありません

たとえば「釣狐」は、狂言の中でも大曲といわれています。
上演時間も大蔵流では60分、和泉流では75分ほどかかり、20〜30分ほどの通常の狂言とは異なります。

「猿に始まり、狐に終わる」という言葉がありますが、これは「靭猿」の猿の役で子方として初舞台を踏み、成長し修業の節目に「釣狐」を披(ひら)く(初めて演じる)ことで、一人前の役者として認められるという意味です。狂言役者の「卒業論文」といわれることもありますし、能の大曲「道成寺」と並び称することもあります。

「釣狐」のあらすじはこちら

猟師(アド)に一族を釣り(狩り)殺されてしまった古狐(シテ)は、猟師の伯父の伯蔵主(はくぞうす。白蔵主とも書く)という僧に化けて、狐を狩らないよう説得し、罠を捨てさせます。その帰り道、古狐は捨てられた罠の餌に惹かれますが、人間に化けているため食べにくい。動きづらい人間の扮装を脱いで、改めて食べに戻ることにします。一方猟師は、さきほどの伯蔵主に不審を抱き、罠の餌の様子を見て、狐が化けていたのだと確信します。やがて本来の姿の狐が現れ、猟師が新たに仕掛けた罠にかかり、猟師と争いますが、綱を外して逃げていきます。

具体的に、特別な点をあげていきましょう。

1)装束・面

狂言では直面(素顔)で演じることがほとんどなのに対して、「釣狐」のシテは前半は伯蔵主、後半は狐の面をかけます。

白蔵主/野村万蔵
(萬狂言 秋公演 八世万蔵七回忌追善・六世万蔵三三回忌追善 2010.10.31 撮影:前島写真店)
狐/野村万蔵
(萬狂言 披 2000.6.3 撮影:前島写真店)

また、曲の後半の狐は、面だけでなくモンパ(動物に扮するときに着るぬいぐるみ)をつけて、狐そのものの扮装をします。高い声で鳴いたり、四つんばいで歩いたり、より狐らしい動きを見せます。

2)能仕立ての演出

「釣狐」のシテは、曲が始まって舞台へ現れるとき、お囃子の演奏で出て、続けて謡を謡います
また能の「殺生石」(玉藻の前という狐の魂が石に宿り、禍をなす/【檜書店note 「能ではいつも割れる殺生石。現実でも真っ二つに!」(2022年3月9日公開)】)で語られる「玉藻の前」の伝説を語り、狐の執心の恐ろしさを伝えています。
狂言でありながら、能仕立ての演出を取り入れることで、より重厚な雰囲気が出ます

また、「狐らしい動き」を見せるために、「釣狐」に臨む役者は特別な稽古を行うといいます。
通常は足のハコビ(歩き方)が左足から始まるところ、「釣狐」では右足から歩き始め、また基本の姿勢も、肩やひじを張らず、背を丸めて体を縮めるようにするとも聞きます。普段の所作とはまったく違う動きをしなければならず、通常の狂言と比べて、体力と気力が求められるということも、「釣狐」が大曲と呼ばれる理由のひとつです。

狂言のなかでも、特別な重々しさをもつ「釣狐」ですが、伯蔵主に化けた前半の、狐らしさを隠そうとするところや、人間に化けているのに、どうしようもなく餌に心を動かされてしまう狐の本性と、人間らしくしようとする葛藤やおかしみがあります。
また、後半の罠の餌を奪おうとする古狐と、罠にかけようとする猟師の手に汗握る攻防は、特に見どころです。

なお、「釣狐」という曲名は、古くは「こんくわい」と記されていました。「こんくわい」とは「後悔」という言葉と狐の鳴き声が掛けられており、曲中でも「こんくわいの涙なるらん」と謡われます。

ぜひご注目ください!

【「釣狐」公演情報】

野村萬斎×釣狐「狂言ござる乃座 in NAGOYA 27th」

日時:2024年12月15日(日)14:00開演
会場:名古屋能楽堂

第四回 万蔵の会

日時:2024年12月22日(日)14:30開演 
会場:二十五世観世左近記念 観世能楽堂

最後に、檜書店WEBマガジン「Noh+」で万蔵師に取材いたしました。
どうぞご覧ください!
野村万蔵師、第四回万蔵の会「釣狐」鳴き納め


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