【ひのはら人#2】地元の方と共に100年後の村の未来をつくる、二拠点居住実践者(T.Bさん)
実は檜原村では、役場が管理する村営住宅を除くと、移住者が村内で家を借りて暮らしている事例があまり多くない。
地域のつながりが濃い地方では、家主が「自分の物件に入居した人が、地域と良い関係を築いてくれるかどうか」を懸念して、見知らぬ人に家を売り貸しするのをためらうケースが多いからだ。檜原村も例にもれず、移住希望者数は年々増えているのに対し、物件情報が足りていない現状がある。特に賃貸物件となるとなおさら、出てくる物件数は少ない。
今回取材したBさんは、そんな檜原村では珍しく、地元の方から家を借りて暮らしている方だ。本記事では、都心に住みながらも村の方々とうまく関係を構築し、家を貸してもらうに至ったBさんの体験談を通じて、地域との関係のつくり方や、物件情報との出会い方を紐解いていく。
きっかけはFacebookの「お手伝い募集」。週末に村に通う関係人口に
Bさんと檜原村の出会いは、約10年前。日本赤十字社医療センターで診療情報の管理・分析の仕事をしていたBさんは、同院の福利厚生で年に一度、バスをチャーターして、檜原村のマス釣り場を訪れていたという。
自然豊かな檜原村の環境に惹かれるようになったBさんは、何らかの形で村と関われないかと、檜原村に関する活動を調べ始めた。そのときにFacebookで「檜原村」と検索して見つけたのが、地域の山を管理する有志団体・人里(へんぼり)もみじの里だった。
Bさん「もともと山登りが趣味だったので、山間地域である檜原村に惹かれたのかもしれません。本業はパソコンとにらめっこをするような仕事なので、もっと自然に触れる時間を増やしたいと思っていたんです」
Bさんはもみじの里のFacebookページをフォローし、活動の情報をチェックするようになった。するとある日「お手伝い募集」の投稿があったため、思い切って申し込んでみたところ、活動に参加できることになったという。そこから週末を利用して、檜原村に通う生活が始まった。
100年後に、自分たちの地域を紅葉の名所に。浪漫あふれる有志団体・人里もみじの里
人里もみじの里は、檜原村・人里地域周辺の山々の針葉樹を伐採し、モミジ、サクラ、ツツジなど、春には花、秋には紅葉を楽しめる広葉樹を植える活動をしている有志団体だ。
檜原村は美しい山林の景観や森林資源に恵まれた地域だが、実は手入れされずに放置されている山も少なくない。檜原村の山林には戦後、家屋の材料としてスギやヒノキなどの針葉樹が大量に植えられたが、現在は安価な外国材の台頭によって価格が暴落し、採算が取れないために放置されてしまっている山も多いのだ。
放置された針葉樹林は、木々が大きく、密集して育っているため、日照の妨げになるうえ、遠くが見通せず眺めもよくない。さらには作業道もなく、山の中を散策することさえできない状態になっていることも。
そこで人里もみじの里では、観光客や地元住民に美しい自然を楽しんでもらうために、人里地域周辺の山に周遊道を整備し、道沿いにモミジなどの広葉樹を植え、山の景観整備を進めてきた。
Bさん「人里地域全体を『もみじの里』として楽しめるよう、もみじの里ではこれまでに約8000本のモミジを植栽してきました。また、四季折々の風景を楽しめるように、ツツジやサクラ、ヤマブキなどの広葉樹も植えており、それらをすべて含めると、本数は約1万本にものぼります」
利益のためではなく、地元住民の方々が一丸となって自主的にそうした活動をしているだけでも驚きだが、さらに驚くべきは、皆さんの目標が「100年後に人里地域を日本有数のもみじの観光名所にする」ことに設定されていることだ。
「自分が生きているうちには、もみじの里が見られるかどうかはわからないけれど、子や孫が誇りに思ってくれればいい」、「自分たちの活動によって地域が活性化し、次世代をはぐくむ基盤が作れればいい」。もみじの里の皆さんのそうした言葉からは、現代人が失ってしまった「世代を超えた、長い長い時間軸」の感覚が感じられる。
Bさん「とはいえもみじの里では、地域や次世代への貢献はもちろんですが、自分たちが楽しく活動をすることを何よりも大切にしているんです。急斜面に何千本もの苗を植えるのは体力的にかなりハードですが、作業の後にみんなでお酒を飲み交わす楽しさが、大変さを上回ります。もみじの里の活動は、本当に楽しいですよ」
関係性づくりは、挨拶から。大事なことは、基本的なことをちゃんとやること
初めは檜原村のゲストハウスに宿泊しながらもみじの里の活動に参加していたBさんだったが、次第に檜原村への真剣に移住を考えるようになった。都心での仕事があるため、すぐには完全に移住はできないものの、定年後は檜原村に移住し、ゆっくり過ごしたいと考えるようになり、住むための物件探しを始めたという。
Bさん「活動に慣れ、メンバーの方々とも仲良くなってきた段階で、家を探していることをもみじの里の皆さんに伝えました。その後、いくつか物件を紹介してもらえたのですが、改修費用が高額だったりと、自分の求める条件と合う物件はなかなか見つかりませんでしたね。
でもしばらくしてから、もみじの里のメンバーのつながりで、最低限の改修で住み始められそうな物件が見つかりました。それが、僕が今住んでいる家です」
Bさんは家主の方と直接の面識はなかったが、もみじの里のメンバーが家主の方に話を通してくれ、家を借りられることになったのだという。
Bさん「地方で家を見つけるためには、地域のキーパーソンといかに繋がり、信頼関係を築けるかが鍵だと思います。僕の場合は、もみじの里のメンバーのなかに、地域で顔が広い方がいたので、運が良かったですね。信頼関係を築くには、ちゃんと挨拶をするとか、基本的なところをしっかりとやるのが大事だと思います。
また、僕が個人的に大切していたのは、地元の皆さんの言うことは素直に聞くということ。当然のことですが、皆さんの方が地元での経験が長く、知識もあるのだから、素直に皆さんのやり方に従う、というのは意識していましたね」
Bさんが借りているのは二世帯居住もできそうな大きな古民家だが、Bさんは家の一角だけを改修し、現在は改修した部分のみで生活を完結させているそうだ。大きな家は全体を改修すると多額のお金がかかってしまうので、賃貸で住む場合は、Bさんのように一角だけを改修するのも賢い手かもしれない。改修には、村からもらえる補助金(限度額100万円)を活用したという。
Bさん「改修は、自分が使う部屋の畳の張替えと、トイレとキッチンの修繕のみ行いました。また、賃貸物件を借りる際、住民票を村内に移すとプラスで移住補助金がもらえるということで、家を借りるタイミングで住所も檜原村に移しましたね。平日の仕事の都合で、まだ中野区にもアパートを借りていますが、僕はすでに檜原村民なんです」
地方移住=単なる物件探しじゃない。大事なのは、地域の仲間に入れてもらう意識
以前はもみじの里の活動がある時だけ村に来ていたBさんだが、家を借りてからは、もみじの里の活動の有無に関わらず、週末は檜原村に来ているそうだ。
今後の展望を聞いてみると、もう少しで定年退職を迎えるBさんは、退職後は完全に檜原村に住み、いわゆる「隠居暮らし」がしたいという。
Bさん「私は東京で生まれ、千葉県の都市部で育ったので、便利さはもう十分味わったな、という気がするんです。檜原村は不便ですが、それこそが魅力だと思います。人通りが少なく静かなこの村で、残りの人生をゆったりと過ごしていきたいです。落ち着いたら、家庭菜園も始めたいですね」
今回Bさんの話を伺うなかで実感したのは、地方に移住するということは、単に住むための物件を見つけることではなく、地域の皆さんの仲間入りをさせていただくことなのだということ。都会で生まれ育った私は、インターネットで物件を探し、周辺にどんな人が住んでいるかも知らずに引っ越しをするのに慣れてしまっていたが、本来、ある地域に住むというのは、そこに住む方々の仲間入りをさせてもらうということなのだとハッとした。
だから地方移住を考える際には、「自分にとって理想の場所に住みたい!」と、地域を自分のために利用しようとするのではなく、「その地域のために、自分は何ができるのか」を考えるスタンスが大切なのだと思う。
そして、そういうスタンスで行動をしていった先に、地域の方から受け入れてもらうことができ、住む場所も見つかっていく。そういうサイクルに入れるかどうかが、地方で居場所を見つけられるかどうかの分かれ道なのだと思った。
実は私が現在住んでいるのもBさんと同じ人里地域で、私もつい最近、人里もみじの会の会員になった。Bさんをはじめとした、かっこいい先輩たちの背中を追いかけながら、私も「100年後の未来」を共につくる仲間のひとりに加えていただき、地域のために何ができるかを考えながら、これからも活動していきたいと思う。