見出し画像

日系大手企業における女性活躍の文脈と評価対象について

日系の大きな会社で最近女性活躍関連の業務アサインをされた、30代女の感想を記録として。

思ったよりもこの会社は、年功序列であり男尊女卑という古来から続く日本組織やその考え方を引きずっているようだ


元々、ダイバーシティとか多様性とか女性活躍とか、そういう話ってなぜだかとてもうさん臭くて、好きじゃなかった。
ダイバーシティとか言ったって、会社や社会の仕組みは多数者有利なんだから、理想論を語るしかない感じがとても。(とは言え動き出さなければ何も変わらないままなのでそういう潮流があるのは理解できる)

だから今の職場で女性活躍の文脈における仕事をアサインされても、全然気乗りしなかったし斜めに見てばかにしてた。
でも、ある女性管理職とやりとりを重ねる中で、その人がこの領域にかける思いが伝わってきて(それは同時にこの会社での20年以上の歴史と、彼女自身の戦いを垣間見ることにもなったんだけど)、私の考え方や感情も少しずつ変化してきたので、記録しておく。

優秀さの定義から問う必要がある


まずもって、多くの企業で過去から運用されてきた昇格制度が、昇格とは上司の推薦によるものであることへの違和感は引き続きあるが、女性や若手の推薦枠を設定し、とにかく土俵にあげることを必須としたことは、大きな第一歩だった様子。
あくまで「推薦枠」であり、推薦された母集団の中から試験が行われて昇格者が決定されるにも関わらず、当時の偉い人からは女性や若手を優遇するように捉えられての反発があったらしい。

これは勝手な推測だが、「優秀な奴の枠を減らすつもりなのか」的な感情があったのではないか。
それってつまり、「優秀な奴=昇格するに値する能力を持った人」とは、長年その会社にいて苦労を重ねてきた男性社員のこと。

優秀さの定義の話になるけど、業務遂行力とかマネジメント力とか、何でもよいけどそういうコンピテンシー的な考え方ではなくて、同じ組織で何年共に同じ景色を見て同じ飯を食って、同じ空気を吸ってやってきたか、という蓄積の話なんだろうな。

現代の(というか本来のというか)優秀さが何か、なぜ優秀さの定義が変わったのか、なぜ昔ながらの優秀な人ではだめなのか、、、
このあたりの上層部の認識を早く変えないと(40代くらいから少しずつ外部の潮流も踏まえた考え方ができて、それを組織に波及させられる人が出てきているとはいえ)、上意下達の組織では、組織としての認識が変わらない。

若者も女たちも、決して「おじさん」をひとくくりにしてダメだと言いたいわけではない

戦いの場にいると、そのフィールドに集中してそれ以外が見えにくくなるし、だからこそ勝つためのエネルギーが確保されて突き進むことができるけど、フィールドの外から見た視点とかフィールドの外で起きていることに対するフラットな視点を、同じ人間の中に共存させることはきっと至難の業。

その点、フィールドに上がることをこれまで年齢や性別というくくりごと出禁にされていた種類の人たちは、もはや怒りの感情を持つこともなく、冷静さのみそこにあることも多い。
とした時に、彼ら彼女らの意見ってすごく的を得ていることもあるかもしれない。
おじさんをひとくくりにして、そのフィールドで戦っている人すべてを非難したいわけではなく、戦っている人への敬意を持っているからこそ、フィールド上で卑怯な行いをしていたり、戦う覚悟がないままにその場に留まろうとしている人が目立つんじゃないか?

評価は個人の人格に対してではなく、あくまで仕事のアウトプットや役割を果たせたかどうかに対するもの


年功序列も男尊女卑も、たぶん母集団の構成が変わっていかないと変化は起きづらいと思うけど、それより先にできそうなこととしては、やっぱり評価と昇降格だと思うんだよな。
評価もその結果としての昇降格も、その人の人格に対してのものではなくて、その評価期間における業務成果であり、ポジションに求められているものへのアウトプットに対するもの。
いかに優秀で仕事の成果を高く上げられる人であっても、22歳頃から60歳まで休むことなく成果を上げ続けられる人はきっと非常に稀な存在。
多くの普通の人たちは、その時々の環境や運やコンディションや組織状態やいろんなものの影響を受けて多少なりとも浮き沈みが生じる。

だから、その評価期間において(必ずしも1年とは限らない、昇降格を考えると2-3年でもよい)高い成果を出せれば評価は高まるし昇格する、逆に成果が出せなければ評価は低下し降格する。
それって本当はとても自然なことだし、フェアなことだと思うんだよな。

評価の高低は個人の人格や在籍年数や上司と一緒にメシを食った回数ではなくて、その人が担っている役割やポジションに対するアウトプットについてフィードバックするもの。

これはこの会社に限った事ではなく、日本人は評価と言われるとどうしても人格に対することのような印象を持ちやすいから難しいのだが、これもやっぱり、事例を増やしてそれが普通である文化であり空気を作るしかないんだろうなと思う。

3年くらい在籍したメガベンチャー企業で一番よかったのはここだと思っている。
マネージャーも部長も、ずっと業績が高かったわけではなくて、低業績になったりマネジメント不振だったりで降格も経験済みな人がたくさんいた。
それはいちメンバーにもある種良い影響があって、成果を出すのが簡単ではない仕事をしているからこそ、調子が悪くて成果を上げられなくてグレードが下がったとしても、成果を上げられればまた戻れるし、その上にもいける。自分次第。


つまりあれか、組織運用において最も厄介なのは人の感情なのか。
感情というか、自尊心、プライド、メンツ。
そこを傷つけられたと思われると耳をふさぎ目を閉じられてしまう。
組織設計とか人事制度運用とかマネジメントとか業務アサインとか、何につけてもそれがネックになると余分なところで躓くことになりかねない。
組織は人、なるほどなぁ

いいなと思ったら応援しよう!