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メルカリでの出会い


思い出との再会



メルカリとは似て異なるオークションに登録したのは、例によって文房具関係でした。


セーラーの廃盤が決まった万年筆。ネットで購入できないこの商品をオークションで取り扱っていたのを見つけた。どちらかというと警戒心が強い方の私は怪しさを感じたものの、欲望に負けて購入した。商品に特に問題はなかったので、ほっとしました。


次にオークションに挑戦したのは、同じく文房具カテゴリのポメラ。


ネットにもつながらない、いにしえのワープロを彷彿とさせる入力機器。現在は売っていない電池式の旧型、ポメラDM100の美品が出品されていたのを見つけて、オークションプロの家人の手ほどきを受けながら挑戦してみた。二度。どちらも惨敗。欲しい、というライバル達の意気込みを、モニター越しにひしひしと感じた。


必死になりすぎて勢いで予算オーバーしそうになるので、オークションには向いてないな、と思った。いい経験でした。


それ以降、オークションには挑戦していない。出すのはいいかもしれないけど、競るのは精神的負担がきつすぎて、私には無理だった……。



メルカリで最初に購入したのは



人と競るのが無理だとわかり、バザー形式のメルカリに流れた私でしたが、最初の買い物はおもちゃだった。


大人になって大ハマりした『仮面ライダー響鬼』のディスクアニマル。

偵察や助っ人をしてくれる動物型マスコットキャラクターで、円形ディスクが変形し動物の形になって、登場人物たちをサポートする。携帯性もよい。(ここ?)


これがとても素晴らしい出来で、私は番組中に一目惚れした。放映当時、デザイン賞も受賞している。


それから十数年、子供がガチャガチャと組み立てたりディスクに戻したりして遊ぶので、美品はそうそうないだろう、と思っていたが、さすが仮面ライダーカテゴリ。ふと探すとそこそこ状態が良い商品が見つかった。


この作品、実は家人と付き合うきっかけでもあり、なかなか思い出深く……なぜか私の妖怪好きも相まって、現在では私の方がハマりまくっている。


このディスクアニマル欲しさに、避けていた販売サービスに登録した。メルカリだ。


避けていたのは、やっぱり警戒心の強さゆえ。

ネット上で発生する素人同士のお金と商品のやりとりに、やっぱり警戒心は沸いてしまっていた。


おかしいでしょう?同人界隈にどっぷりハマっていて個人売買を普通にしていた人間が、ネットが介在する途端、こんなに警戒心を露わにするのだから。ちなみにネット歴も私はそこそこ長い。パソコン通信経験者だ。仕組みもわかっている。でも……。


ディスクアニマル欲しさに白旗を揚げました。

そして、良い取引を何度もさせていただきました。




大人への成長儀礼と別れの問題



こんな趣味のものとおもちゃばかり購入している私だけど、特におもちゃに関しては

『別れざるをえなかったもの』

に執着していることに気づいている。


最近購入した『こえだちゃん』がそう。

私が『こえだちゃん』を購入したのは、小学生高学年。当時はもう最初の小説を授業で書いていたが、少し前まで友達と人形遊びをしながら、ストーリーを紬ぎだすのが好きだった。昼間は学校の先生で、夜はスパイだったり、荒唐無稽だけどスリリング。友達とは同じ敵に相対する仲間だったり、敵同士だったり。あんまり人形遊びっぽくないけど。


人形遊びをいつも一緒にやっていた、近所で唯一の同年代の友達(近所には同性が、一歳年上の彼女しかいなかった)と、そんな人形遊びがやりたくて仕方なかったが、彼女は年上。しかも彼女が中学生になるタイミングで私は遠方に引っ越した。


そんな時に出会ったのが『こえだちゃんと小さな木のおうち』だった。

この『小さな木のおうち』実はオプション商品。

『木のおうち』という商品に別荘のように取り付けたり、車のおもちゃの上に取り付けてキャンピングカーのようにして遊べるようになっている。このコンパクトさが、これから大人になっておおっぴらに人形遊びができなくなる自分にとっての最適解のように思えた。


両親に無理を言って買ってもらった『小さな木のおうち』のセットは、幼稚園の時に買ってもらったおしゃれバッグという、中に小さなミラーがついている真っ赤な箱形バッグの中に、キットがすべてきれいに収まった。気に入ったハンカチ(この敷地内だけが人形ワールド)もセットにした。


時々、自分の机の上に並べて遊んだ。床に広げるのは子供のやることだと思い始めていた。(子供なのにね)




子供の気持ちと大人の事情



別れは突然やってきた。


ある平日の夕方、突然母に人形のおもちゃを持ってくるように言われた。こえだちゃんを買ってもらって一年も経っていなかった。使ってないでしょう?とかなり強く詰め寄られたことを覚えている。


それを持って、母に連れられて知らない家の玄関先で、知らない小さな女の子に

「大切に使ってね」と贈呈させられた。


訳がわからなかった。


その人形たちの中には、私が初めて買ってもらったリカちゃん、二人目として買ってもらった金髪ストレートがきれいな、リカちゃんのお友達、パットちゃん(パトリシア。ギミックでスカートがパット開く)、和裁・洋裁・編物のプロだった祖母がリカちゃんのために仕立ててくれた立派な和風布団フルセット(枕も二種類ついていた)が含まれていた。


初めてのリカちゃんとリカちゃんハウスが、クリスマスにやって来た時に、

「リカちゃんののお布団がない」と母に訴える私に、おばあちゃんにお願いしようか、と言われて祖母にお願いした時のことも覚えている。


幼稚園の時だった。祖母に作ってもらった嫁入り道具のように素晴らしい出来の和風布団を初めて見た時は、洋風のお家のリカちゃんには似合わずがっかりしたが、あまりの素晴らしさに、布団だけは大切に取っておいたものだった。


おしゃれバッグに詰められた、おきにいりのハンカチに包まれたこえだちゃんと、お友達のみきちゃんも一緒に。強制された贈呈式。


集合住宅に暮らすご近所の人にとって、中学にあがるにあたっての慣習のようになっていたんだと思う。地方から引っ越してきて塾にも通わずに、年下の子供と外で遊ぶ小学6年生。目立っていただろう。


結婚してから、集合住宅暮らしの家人から、そのような文化があることを知ったが、おもちゃのオーナーである子供にとっては知ったこっちゃなかった。


ただ、奪われた、としか感じなかった。


その後、子供と大人の境目の時期、私は少しでも油断をすれば漫画を大人に奪われてしまうところだった。


それまでの、出会った少女漫画をなんとなく読んでいる時代を過ぎ、宇宙戦艦ヤマトに始まる松本ワールドをきっかけに、雑誌『花とゆめ』(50周年おめでとうございます!)世界とSF世界に突進していった私には、その危機に人形どころではなくなった。


小学6年生の秋あたりに

「来年は中学生なんだから、漫画はもう処分しないと」

と頭から言われたときのショックは計り知れなかった。そんなの当たり前だろう、とばかりに口にしたのは父だった。


絶対に漫画だけは守る、そう誓った。


日に焼けないよう、一冊ずつ手製のカバーをかけ、紙製の漫画専用本棚を作り、白手袋をして漫画を触る。兄弟には一切手を触れさせない。そんな様子を父は知っていたのか、知らなかったのか……。


私は漫画以外のものを一度諦めた。


それ以降の物に関するもめ事は、環境の変化による様々な大人の思惑と私の意地、周囲の諦めによって、私の勝利を収めた。

当時の漫画は幸いにして、今でも手元に残っている。守り通した宝物です。




おもちゃに癒やされる大人達



そして昨年、2023年8月。

私は旧Twitter(X)で、一本の漫画に出会いました。

サラリーマンの男性が、シルバニア赤ちゃんに癒やされる話。


わかる!!


雷鳴のような感情が私に襲いかかった。

私が子供の頃やりたかった、中学生になってもやりたかった、こえだちゃん遊びがそこにありました。


シルバニアが発売になったときのことも覚えてます。

今までのデフォルメされたかわいい人形とは違う、リアル動物人形。初期のシルバニアは、本当に動物動物していた。興味はわいたが、欲しいとは思わなかった。子供向けのかわいらしい動物が主人公のアニメが一定数放映されていた時期です。


シルバニアの人形自体はとても大きく感じる。子供が手に取って遊ぶものだから。そのサイズ感に洋服を作ったり、家具をあつらえたりできて、その世界の広がりに、大人が夢中になる。


わかる。

でも、私にとっては違う。


私は数ヶ月の間、迷いに迷った挙げ句にシルバニアのあかちゃんのくじを引いた。

私の元にきたのは、くるみりすのあかちゃん。

今もダイニングに佇んでいる。


一時期の熱狂ぶりに驚いた家人から、みつごのあかちゃんも頂いた。この子たちは他のシルバニアの備品セット(中古で購入)と一緒に、部屋の方にしまっている。


そして……小学6年生の私が訴え始めた。

『こえだちゃん』に会いたいと。




どんな風に出品されているのだろう



出会いは偶然でした。

ポメラを検索するのが習慣になっていた私が、メルカリを開いた時に、メルカリのおすすめにでてきた、『こえだちゃん』に出会ったのは。


子供がすぐに踏み潰してしまいそうな、すぐになくしてしまいそうな、小さな小さな人形。


懐かしいなぁ……

悲しかったなぁ……


急に奪い取られてしまったからこそ、こんな気持ちになるんだろう。


その後発売になったこえだちゃんの新しいバージョンは、色もカラフルで造作も違っているけど、私の中のこえだちゃんは金髪の左右お団子で体はオレンジ一色、初期のこえだちゃんだった。


シルバニアに出会ってなければ、メルカリのおすすめにも出てこなかった、こえだちゃん。


なんだか涙が出てきて、ずっと画面を繰ってしまっていた。


せっかくなら、お友達のみきちゃんも一緒に……と探していたら


『小さな木のおうち』を見つけました。




正直、会えるとは思っていませんでした。

『小さな木のおうち』って、オプション商品なんです。普通の『木のおうち』は山ほど見かけましたが、まさか、まさか!

巡り会えるとは!!


売主の方が、大切に保管していらしたので会えた。売主の方が手放す決心をしてくださったから会えた。


箱も残っていて、引越先の都会の百貨店で「これが欲しい」と両親に訴えたその時に、一気に時を遡った心地さえしました。


お取引をお願いして、届いて、梱包を開いて、緊張した指でつまんで、テーブルに立たせて。


大の大人がちょっと恥ずかしいですが……泣けました。


翌日、少し遊びました。

昔のように、テーブルに布を引いて。


子供の頃の自分が救われた瞬間でした。




次に手放す時は……



手元に来てくれたおもちゃ達を、私はちゃんと次に残せるだろうか……。きちんとその時を判断しないといけないと感じています。


その時はきちんと欲しい方、必要とされている方の手元に届けられたらいいなぁ、と。


こえだちゃんを大切に保管してくれていた売主さんとメルカリさんが、今の私と、小学6年生の私をつないでくれたように。




こうありたい



今は断捨離だなんだと、気軽に捨てる風潮があります。もちろん、使えないものを誰かに無理矢理押しつける、というのは話が違いますけどね。ちゃんと物の行き先まで見通して欲しいし、自分もそうでありたい、あらなければなぁ、と思います。


貴重な資料や商品などが、考えなしにポイポイ捨てられてしまうのは、様々なジャンルの研究者にとっても残念なことです。つい、ため込みがちなのは性分なのですがね。


いろんなものに大切な価値があることを、今回のコンテストで広がるといいなぁ、と願っています。



また、過去の気持ちを昇華させる文章を書くことができたのは、コンテストがあったからです。


メルカリさん、機会をくださり、ありがとうございました。

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