今年ワースト映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』感想の感想

『シビル・ウォー アメリカ最後の日』感想を映画感想アーカイブとしてアップロードした。ここでは動画で触れなかった部分について触れておこうと思う。

なぜこの映画を見ようとしたのか

動画中で触れたように、この映画は予告編で悪い印象を抱いていなかったものの、そこまで強く見ようとは思っていなかった。しかし、とある記事がTwitterで流れてきて、考えが変わる。

『シビル・ウォー アメリカ最後の日』アレックス・ガーランド監督が語る「右派と左派が喧嘩せず議論できる映画を」 | CINRA

この文章を読むと、この映画は内戦の原因については触れていないものの

ガーランド:伝統的にカリフォルニアは民主党の州で、テキサスは共和党の州です。そんなカリフォルニアとテキサスが、映画のなかでファシストの大統領と戦うために手を組みます。

そこで本作は観客に問いかけるのです。「民主党と共和党が『ファシズムは悪だ』と同意して手を組むことが、なぜそれほど想像できないのでしょうか?」と。

https://www.cinra.net/article/202410-civilwar_iktay

などと、政治的な要素を多分に含んだ映画であると主張しており、特に”民主党と共和党が『ファシズムは悪だ』と同意して手を組む”といったことを映像でどのように表現しているかが気になってしまったのだった。実際には、映画にそのようなシーンはなかったのだが。

映画では思想に直接的に触れるシーンもなければ、間接的に触れるシーンもない。では戦場カメラマンの活動を称揚しているのかと思いきや、(基本的に報道の価値というものに重きを置いている僕ですら)戦場カメラマンの良さとか重要さを伝える映画にはなっていないと感じるレベルで、要するに何もかも失敗しているのだ。映画の中のカメラマンは、あくまでカネ稼ぎとして、煽りのネタを探している下品なYouTuberと遜色ないレベルとしか写されておらず、そこに報道というものに対する熱意とか、使命感とか、あるいは葛藤といったものは感じられなかった。この失敗が起きた原因は、内戦の原因等を語らずに話を進めたことと、新人女性カメラマンが無知→戦場にのめり込んでいくという成長(?)を描く脚本にしたことの両面から生じていると思う。前者はそのままだが後者について補足すると、新人カメラマンの新米描写として、死体を前にして写真も撮れないという未熟な描写を選択したことで、一行のおままごとらしさが強まってしまい、今現在ここで戦争が起きているという状況の切迫感を削いでしまっているように思う。例えば「なんでこんなことをするんだ」と店員に食って掛かろうとし銃を向けられる、等なら(第一に記録していくことが記者の使命だということを示す導入)、同じ新米描写でもリアリティは保てただろう。

高評価が多いことについて

ここまで自分の感想を語ってきたのだが、この作品は高評価が多く、今年ベストだという評も数々上がってきている、私には理解できないのだが、高評価している人達がこの作品のどこを評価しているのかについては興味がある。大まかに分けて「戦争」「報道」の2つの部分の描き方について論評の対象になると思っていて、高評価の人はわりと「戦争」部分について評価していると思うのだが、それにしてはどうでもいい描写が長すぎないか?とか、ビルのシーンで入る音楽はオシャレだと思っているのか?普通にミスマッチじゃないか?とか。
まあとにかく私にとっては今年ワーストです。まだ3ヶ月ありますが、歴代でも上位に入ると思うので確定でいいでしょう。

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