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火乃絵のロクジュウゴ航海日誌〈scrap log〉 第二百九日 7/26

朝起きて、いちばん最初にしたことも覚えていない。めざめ間際の夢で、たしかたれかとしゃべった、中学のときの友達、ではないけれども、八つ下の、17歳の子たちと、当時の体つきで。——

〝夢によって生活を律すること〟 何でも、はっきりしないまま、出てきてしまった私は、ふとベランダに水の波紋をもった。「ここにはいたくない、」と言ったのだろうか、向かいの鈴ヶ森の蝉たちのこえがぼやけている。——

書かなくてはならない夢がたくさんあった。金網ごしに見ている。でたらめに駆け回っているこどもたち、ではなく、野球グラウンドの緑ばかりを。小さな背丈が、いつ行っても同じくらい。——

あまりにたやすく書かれすぎた夢の日記を、できなくなったのはいつからだろう、朝起きて、いちばん最初にしたのは往来の車のおとに耳を澄ましたこと、きのうの文字のひとくさりに、ボールペンの尖をひっかけて、風車の花あそびをした。まだ固い肉体をぼんやりと横たわらせ、幼なさは私に「時計」を知らさなかった。

私の心のドアをぬらす遠いコーラス。
フランスパンの白さ、北国でおもうマンゴーの香り。
ものうい午後の飽和した悲しみよ。
南の空、雲の散る空。
炎天にまれな涼気がすこやかな紫外線を放ちながら、錯乱する地上の枝葉をゆすぶって過ぎる。
解き放たれた「幼なさ」は褐色の壺からあふれ出でて、「伸張」の語源を断ってしまった。
         ——「海」第一連、長沢延子

それはちょうど時間と物とが触れ合う地点。そこに火乃絵の    海      があるとおもう。舗道に樹は立っているのに、強い日光にその樹の影がない。

 夢の中で失神はしない
 目ざめるだけだ

            ——花が萎れている。

参考
井坂洋子「道」「夢日記」
長沢延子「海」
吉本隆明「〈日時計〉」「暗鬱と季節」
川端康成「骨拾い」

水無月十七日

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