火乃絵のロクジュウゴ航海日誌〈scrap log〉 第二百廿三日 8/9
3日続けばいいほうとおもっていた、この日誌もきょうで16本目だ、しいて努力しているというわけでもなく、たぶん楽しいからつづいている、ロクジュウゴの活動が停滞していることで安定してじかんがとれるというのもある、むしろいまのうちにいついかなる状況でも書くことを絶やさないための訓練を積まねばならない、
今日は市村がそのまま泊まっていて、寝起きの思いつきで変な配信をした、けっかロクジュウゴ文実は四コマ漫画を連載することとなった、そのうち詳細を出す。——
夜になって新島汐里さんと電話で話した、どうしようもなく悪夢で眠ることもできないときはとにかく放心していよう、心ある人が心なき大勢のひとびとのぶんまで痛みをひき受けなければならないいまの社会の酷すぎること、その中で心を見失わずに生き抜くにはどうしたらいいか、無意識の居場所をどうにか作りたいこと、物質への依存におちいらないため精神の依り代を見つける必要のあること、愛の不足をもった生い立ち、甘えることの不具、生身のにんげんや引き受けや転移に気をつけねばならないこと、感情の捌け口にされやすい性質、幻想や幻覚、第二百十日に武田さんと話した〝空間が二重になつてゐるとこ〟との付き合い方、火乃絵たちは典型てきのチルドレンということ、そしてここで敗けたらどんどん下の子たちに苦しみが上載せされてゆくばかりだからどうにか生き延びる方法を創り出さなくてはならないこと、いまは清志郎の〝十年ゴム消し〟の時代ということ——いろいろと話しているうちに気づけばカラダが少し軽くなっていた、新島さんは火乃絵の数少い相談できる人だ、そういう人を有てていられるだけひのえは恵まれている、それすらなくひとりで苦しんでいる心ある人がどれだけいることか、21世紀をとおし自殺はほとんど人類の最大課題となる、新型コロナウイルスどころではおさまらない。——
そして心ないひとびとには何を言ってもこれら痛みがわからない、心ないといわれることさえ解せない、感情がないとかそういうことじゃない、むしろかれらはこわいくらいに感情てきだ、これを甘えやアテツケとするには火乃絵たちはあまりに失望を重ねすぎた、かれらのぶんの苦しみは心ある人たちによって余計に苦しまれている、そしてそのひとたちの多くがかれらによって迷惑者として扱われるのだ、それだけでない、安定した職にも就けず貧を背負うのもまともを保っている心の通うひとたちであることを忘れてはならない、この世紀では心が競売にかけられる。——
どんなにいったり書いたりしたとこで、わたしたちの声がかれらの耳に這入ることは絶えて無い、さらに、さいしょの他者であるじぶんの親においてそうであるチルドレンにはこの関係は絶対とならざるを得ない、こういう経験を乗り越えるにはどうすればいいのか、答はまだ見つからない、少なくとも生身のにんげんには期待できない。——
それでも火乃絵はかつての仲間たちのことだけは信じている。と、こう書かなくてはならないのはそれがもはや祈りにちかいことを示している。頼んだぞ、おまえたち——みてのとおり火乃絵はおまえたちのよりどころになれるような器ではない、おれたちのあの委員長のように…
文月二日