火乃絵のロクジュウゴ航海日誌〈scrap log〉 第二百十九日 8/5
八月五日、きょうは火乃絵の誕生日だ。——
父とTwitterで知り合った方と女友達からのお祝いのメッセージをもらった。誕生日といえど、することもなく、つじも寝ているので出掛けることにした、火乃絵はほとんどお祝いをしてもらったことがないし(たぶんひのえの態度のもんだい)、ブンジツの仲間からも現状なにかあるともおもえなかったので(じっさいメールのひとつもなかった、)——というよりなにかあったとしても、火乃絵はひのえをいちばんにお祝いしてあげたかった、そして世界のほうに感謝を告げるのだ——じぶんに向けてなにか贈りたいとおもった。宮沢賢治の角川文庫版『注文の多い料理店』。それからやっぱり崖の階段に会いに行きたいとおもう、ひのえの生誕をたれよりさきにあの場所と火乃絵の木さんに伝えたかった。——
〝君と生き、君と死ぬ〟THE STREET BEATSの「世界に二人だけ」の歌詞に出てきた。立会道路(下に立会川が流れている)をのぼりながら、午後のひざしの傾きのなかで、ØKIさんの唯一無二の澄んだ嗄れ声が、ひのえの胸のガラスを灼いていた、
きょうは火乃絵がひのえに出遇った日、その出遇いを火乃絵はたれよりしゅくふくする、〝自分を愛するようにみんなを愛する〟こと——その逆はない。
いつからだったか、火乃絵は八月五日が一年のうちでいちばんイヤな日だった。この日以上に〝世界はおまえを必要としていない〟ということを感じる日はなかったから。でもそれは、いまからおもえば「この日以上におまえが世界を必要と感じる日はない」といってよかったのかもしれなかった、——
そんな火乃絵を変えてくれたコトバがある、〝I love you even though you don't love me.〟たぶんいつか詩人の中村文昭さんが、愛に飢えるひのえが火乃絵の母にたいし言うべきセリフとして話してくれたのが、なぜが英語となって到来した。〝you〟というのはまずさいしょに火乃絵の母のことだ、ひのえがさいしょに出遇った人は母だから、その母がひのえに英語で話しかけた、そう、火乃絵の母語はにほん語でないのだ、——だから、〝I love you…〟は英語として、ひのえにとってのさいしょの言語としてやって来たのかもしれない…!
Happy Birthday! がなくたって、〝I love you〟をいえばいい、それはたれより自分に向かっていうべきことばなのだ、
そうしていつか Happy Birthday! をひとからいわれたときに、笑顔で「ありがとう!」と返せる、そういうものにわたしはなりたい。——
水無月廿七日
(動画でいっている八月三日にまつわることは別のとこに書こうとおもう、書くまできょうの日誌がこんな内容になるとはおもわなかったし、そのことはチトここにおさまりきらないことでもある。)