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イエス様に導かれて(自叙伝略歴)
イエス様に導かれて
わたくしのいままでの人生、すべて、イエス様に導かれていたと、今は思っています。
わたくしは、熊本市内の水源町で生まれました。そして、聖母保育園(現在の聖母幼稚園)から、近くの恵幼稚園に通いました。それぞれ、1年間と2年間です。幼きながら、いつも神様にお祈りをしていました。ご飯を頂く時、就寝前。恵幼稚園では、毎週水曜日に近くの教会から牧師様が来られ、童話などを聞かせてくださりました。両親たちに公開する園児のキリスト生誕寸劇では、3人の博士のひとりを演じました。幼い頃から、遊ぶのが大好きで、夕暮れ近くまで、外で、はしゃいでいました。多くの打撲、かすり傷は耐えませんでした。小学校に入り、一人で寝るようになると、時々、怖い気持ちになった時などは、布団の廻りにいろいろなおもちゃを置き、守ってもらうように、おもちゃ達と会話をしていました。幼稚園で習ったお祈りは、時々忘れることもありましたが、仰向けに手を前に組み、布団の中でお祈りをしていました。そして、小学生高学年になり中学へ入学間際、
今考えれば、わがままな心からでしょうか?今では、とても些細なこと思えるのですが、思い通りにならなかったことに対し、「神様なんか、いない」と信じはじめたのです。そして、中学校に入って、学校教育の中でも、理系の勉強の話の影響で、高校になってからは、
まったく神などいないという心境に変わっていきました。人間、死んだら無だと、思い始めました。大学に入った頃、ある宗教団体の会員が、わたくしに宗教を進めてきました。
そして、多くの議論を交わしましていました。一方、恋愛については、何人かかと友達になりましたが、付き合うまでには至らず、同じ2浪の同級生の友人の紹介で、知り合った
コンビニでアルバイトをしていたMさんと付き合うことになります。そして、両親に結婚を前提として付き合うことを申し出た際、同宗教に入ることを前提に許可するとのことだったのです。わたくしも、まさか、ご両親が同宗教に所属していたとは知らず、いつも議論を重ねていた友人たちのことを考え、自分なりに結論に達しました。「何故?入信することを嫌がっている自分がいるのだろう。何も関係ないなら、躊躇する理由はない」と彼女と付き合いたいという想いが強く、自分を納得させました。それから、彼女と、食事をしたり、ドライブしたり、遊園地へ行ったり、スキーに行ったり・・・。わたくしの人生、大学生になって、はじめての恋人でした。彼女には、今でも感謝しています。
わたくしの就職が決まり、社会人となって、わたくしは、生まれてはじめて、自分のことを知ります。統合失調症を発病してしまいました。そして、持薬の服用がはじまりました。体の状態にいろいろと問題がでました。28歳の頃からです。
そして、彼女との別れの時が訪れます。実家の石川県に帰省した際、親戚が集まる家族会議で、Mさんは、決心したようでした。今でも、覚えています。駅横の下り坂の上のほうに彼女が立っていて、彼女が、下にいるわたしに向かい、「さよなら」をしました。
彼女は人目もはばからず、大泣きしていました。わたしは、ただ、呆然と立ち尽くして
いました。そして、まもなく、宗教団体に呼ばれ、「正式に波紋」という形になり、署名をすることになったのです。
この頃から、わたくしには、様々な霊体験がはじまりました。幽体離脱も体験致しました。
そして、2度目の発病は、より良好な体調、自分を覚醒へと向けるために、次第に薬を減らし、完全に薬を止めて、一週間ほど経過してからでした。とてもひどいことになりました。詳しいことは、いつか自叙伝を書く機会があれば、生まれてからのことをこと細かく書きたいと思っています。いまは、このことばに言及させて頂きます。
この頃から、音楽、特に日本の音楽の「詩」を聴くようになります。そして、生まれてはじめてといっていいほどの、衝撃的な歌の中の「ことば」による感動を覚えます。
若い頃は、音楽といえば、調子の良いリズム感、躍動感、バイタリティーに溢れる力を己にみなぎらせるために聴いていました。若い頃に培った、「ことばと感情を切り離す」といった、心の行為、この影響もあり、「歌詞」は、無視しているというような歌の聴き方でした。その為、大学に先に行った友人から、当初、絶頂の人気を誇っていた、オフコースのアルバムをひとりで彼の下宿の部屋で聴くチャンスがあった際、彼が帰ってきて感想を聞かれた際、一番調子が良かった曲、「一億の夜を越えて」が、まあまあ良かったと答えたことにより、その友は、わたしから離なれていきました。
「歌詞」を聴くようになってからというもの、わたくしにとりましては、音楽のすばらしさを何千倍も味わえるようになりました。今は、心から感謝しています。
そして、恩師との出会いがあり、東京で再び働くようになります。
「ラブストーリーは突然に」、小田和正さんの曲がはやっていました。その時期と偶然にも重なり合うように、渋谷駅で、後に妻となるMさんと、今考えれば奇跡的と思えるように出逢います。Mさんはとても天然で、弱弱しいので、心から守りたいと思うようになりました。さまざまなことが2人の間に起こり、結婚することになります。彼女と出合ってからというもの、わたくしは、忘れ物や落し物をほとんどしなくなりました。とても不思議なくらいでした。そして、更に不思議なことは、彼女が、わたしに告げた、「数字の夢」が現実に起こるということです。それが、数年後であったり、1年後であったり、数週間後であったりするのです。
彼女が卒園した幼稚園は、曙幼稚園でした。2人とも偶然にキリスト教が関係している幼稚園出身だったのです。わたしが、「恵」妻が「曙」、「曙を恵む」と、とても語呂合わせの良いカップルです。そして、子宝に恵まれます。妻の名前から一文字を取り、生まれた2人の娘達につけました。この頃は、イエス様のことの知識はほとんどありませんでした。今、考えれば、この2人の娘につけた名前に驚いています。ひとりは、
巡礼者がひとつになるスペインの「レイナ通り」、もう一人は、イエス様がはじめて奇跡を起こされた「カナの地」に、そっくりの名前だったのです。
きっと、いままでの人生、時折、そっと、イエス様が来られ、導いてくださっていたのだと思います。
そして、2008年からはじまりました、「やさしい心の勉強」、「思いやりの勉強」。
太陽が頻繁に顔を出した「太陽の一ヶ月」
書籍、「アミ小さな宇宙人」との出逢い。
妻と2人で見た十数機のUFO。
満月の夜、雲切り取り文字の大きな十字架
スペイン国の宝くじに当選したこと(妻が証明書の日付けを夢で見ていたこと)
マドリッドの教会100周年の地へ、流れ星と雲切り取り文字で導かれたこと
わたくしは、イエス様をとても心から敬愛しています。
今、創作していますすべての「詩」がそうではありませんが、イエス様の思いを聞いて
創作しています詩も多くあるように思えています。そんな時は、イエス様がそばにいてくださり話しかけてくださっているのかも知れませんね。その証拠に、わたくしも詩をつくりながら、時に、涙しています。
わたくしは、「詩」を通じて、人々の「やさしい心の勉強」、「思いやりの勉強」を、みんなといっしょになって行いなさいと、神様から言われているような気がしています。
これは、キリスト教に限らず、すべての宗教、すべて、人類の良き未来の為、とでも大事なことだと思います。
そのためには、この「詩」たちを広めていく必要があります。
どうぞ、心ある方、ご協力の程、お願い申し上げます。
どうぞ、すばらしい人類にしていくためのひとつのきっかけを与えてください。
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